兵庫の川西市長がPTA改革のための議論の検討会を設けるという記事を読んだ。
市長選の公約だというのでみてみると、はあはあなるほど、確かに「【2019年度に】保護者の負担軽減に向け『PTAのあり方検討会』を設置します」とあるね。
インタビューを読むと、この問題意識は痛いほどよくわかる。
マニフェストを固めるために子育て世代の人と話していた時、「PTAをなんとかしてほしい」「大変だ」という声がたくさんあったんです。「役員が決まらないと帰れない」「役員になれない理由をみんなの前で発表しないといけない」など、多くの人が不満を抱え、「しんどい」「変えたい」と思いながらやっている。
今は自営業者や専業主婦が多かった時代と異なり、少子化により保護者の数も減っています。なのに、PTAは基本的に同じことを続けている。「いらない」と思っている活動でも、「変えよう」と提案すると「自分でやれ」と言われかねない。「それなら1年間我慢しよう」となり、いつまでも変わらない。ならば、長期的に取り組める行政がなんとかする必要があると考えました。
ただ気になることがある。PTAは任意団体なのに、なぜ政治が介入できるのか、という問題である。このあたりは越田もよくわかっているのだろう、「政治は『学校と別組織』という理由で放置してきた」と現状を批判した上で、次のように言っている。
最初は「PTAの見直し」を考えていたのですが、「PTAって任意の組織でしょ?」という突っ込みが入りました。確かに、任意の組織を市長が変えるのはおかしい。でも、あり方を見直すきっかけをつくることはできます。オープンの場で議論することが、その一つだと考えました。モデル的な活動を示し、協力してくれる学校での実践を踏まえてさらに課題を洗い出したい
もう一つは、これは教育の問題であるのに、市長が容喙している、という問題である。
市長が教育をどうこうしたいというのは当たり前だろ? と思う人もいるかもしれまない。まあ、何しろテスト結果で教師の給料を云々するなどという市長も世の中にはいるくらいだからw
教育は政治の道具になり子どもを戦場に送ったという戦前の反省から、戦後は教育委員会制度が設けられ、市長などからの独立性がうたわれている。
[教育委員会制度の特性]
1 首長からの独立性
◎ 行政委員会の一つとして、独立した機関を置き、教育行政を担当させることにより、首長への権限の集中を防止し、中立的・専門的な行政運営を担保。
この2つの「限界」(任意団体への介入、教育への市長の介入)をふまえながら、政治はどうPTAに関わるのがいいのか。
限界その1 任意団体に介入できるのか
第一に、任意団体への介入という問題。
任意団体に介入するなというのは正しいとして、事実上任意団体じゃなくなっていてそれが「公立学校」という公的機関が深く関与しているというところに闇の深さがある。
この点でPTA規約には多く「学校長」や「担任」という公的役職が初めから組み込まれている場合がある。ネットに転がっている各地のPTAの規約を見てみよう。
第7条
本会の役員は次の通りとする。
イ.会 長 1名
ロ.名誉会長 1名(学校長)
ハ.副会長 5名以内(副校長を含む)
第13条【役員会】
役員会は役員および学校長で構成され、任務は次の通りとする。
第8章 顧 問
第22条 この会に顧問若干名を置く。 但し、校長は常に顧問となることができる。
第23条 顧問はPTA運営に関し、会長の諮問に応じ、また総会・運営委員会に出席して意見を述べることができる。
第33条 運営委員会は役員・運営委員・学校長・教頭をもって構成され、この会に必要な企画立案・運営等、重要事項について協議する。
校長というのは公職である。任意で入った先生の一人がたまたま校長先生で、その人がたまたま役員になったというのではなく、「校長」であるがゆえにその関与、特に役員会や運営委員会など高度な意思決定への関与が初めから規約にうたわれている。こうしたケースは少なくない。
これは1948年に作られ、その後もこの形が受け継がれているPTA参考規約に拠っているからだ。ぼくの娘が通う小学校のPTA規約もこれを参照していることがわかる。だいたい「会員はすべて平等の権利と義務とを有す」(10条)としながら、日常的な意思決定を行う「実行委員会」*1には「本会の役員、各常任委員会の委員長および校長またはその代理によって構成される」(25条)として初めから校長には特権的なPTA内の地位を規約上で与えているのである。
PTAは任意団体である以上、自発的な同意によって参加が行われるべきもので、それは教職員も、そしてその一員である校長も例外ではない。校長を充て職のようにして規約に初めから盛り込むのは、ぼくからみると任意団体としてまことに奇妙という他ない。
さて、もしこのような規約の構造を持ったPTAであるならば、PTAは校長という「公職」が関与して成立している組織であり、それは公が関与できない任意団体とは言えない。*2
「公職」である校長は、「校長=公職」としてその団体に入っている以上、公の立場で任意団体への関与を行わねばならないはずである。例えばPTAがめちゃくちゃなことをやっているとしたら、ホントの民間の任意団体ならどんな方針を取ろうがそれは自由であるが、公職者が公職者としてそこに入っている団体であるならその公職者はその団体のめちゃくちゃを正さねばなるまい。例えば任意加入と言いながら実際は強制加入をしている、というようなめちゃくちゃを。むろんPTAの最高意思決定機関は「総会」だから、校長が決定できるわけではないが、校長は少なくとも「正そうとする」姿勢は示す必要がある。
このとき公職者(校長)が取るべき選択肢は2つある。
一つは、こうした規約を利用して、今述べたようにPTA内部のめちゃくちゃを正す行動を起こすことだ。例えば任意加入を徹底したり、非会員の子どもへの差別をやめさせたりするなどである。
もう一つは、こうした規約を変えて、「公職」としての関与を一切やめることだ。ぼくはこちらをお勧めする。公職としてできる最後で唯一の関与は、公職としての関与を今後やめるように規約改正を提起するわけである。
教職員も事実上の強制加入に追い込まれている現状があるが、
校長・教職員も含めて、完全な任意団体に変えてしまうということだ。校長についても教員についても、やりたい人がやればいい。
完全に任意の団体、例えば保護者がやっている読書サークルとか、そんなものと同じになるのだ。もともとPTAは社会教育=成人教育=大人を教育する団体であり、父母と先生の勉強会に過ぎない。それがこれをアメリカから持ち込んだ時の理念だったはずである。
そんな完全な任意団体にしたら、学校はまったく関与できなくなるではないか……という不安があるかもしれない。
その通りである。それでいいのだ。
学校としての管理上の責任は、任意団体に対して外から発揮されるべきもので、例えば場合によっては学校を貸さないとか、PTAに懇談を申し込むとか、そういうことで発揮されるものである。
限界その2 教育への市長の介入はできるのか
次に、もう一つの「限界」、つまり教育への市長の介入はどうだろうか。
校長が公職としてPTAに関わっているとしても、市長の言うことに教育者がただちに従うべき必要はない。先ほど述べたとおり、教育委員会には独立性があるから、市長は予算などの形で教育条件の整備には責任を持つが、教育内容に首を突っ込んであれこれ振り回すのはルール違反である。
ただ、市長というものは、まったく教育について意見を述べられないわけではない*3。きわめて抑制的な形であれば、言うことは可能であろう。
地教行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)第1条には「総合教育会議」という、教育長と市長が協議できる場の設置がうたわれている。ここであくまで抑制的に市長が問題提起し、教育長との間で協議することは可能であろう。*4
ただ、たとえここで教育委員会と市長との間で協議が整ったとしても、もう一つ問題がある。
それは校長は必ずしも教育委員会の方針に従う必要はない、ということだ。
学校ごとに自主的に方針を決めるということはもっといっぱいあっていい。子どもの成長・発達をすべてに優先させるという立場に立つなら、画一的な教育行政に従うべきではない。特にPTAへの関与のあり方などという問題は、地域の実情に応じる部分が多分にある。教育委員会がこうだと決めたからといってそれに従わせるのは、逆に良くない。
ぼくの考えでは、ぼくが娘を通わせている小学校のようなケースであれば、教育委員会はゆるやかな呼びかけにとどめればいいと思う。どうするかは個別の学校が考えることだ。どうしてもイヤな家庭は個別に脱退すればいいのである。
そうではなくて、非会員の子どもが差別されるような緊急のケース(通学の班から外す、卒業式の記念品から外すなどして、その上で救済のための措置がないような場合)は、個々の人権にかかわる問題として教育委員会が是正の勧告をおこなうか、必要な保護の手立てをとるなど、強めの関与をすべきだと思う。
というわけで、タイトル「PTA問題に市長はどこまで首をつっこめるか」という問いへの答えは「手順を踏めばいろいろできる」ということになる。川西市長の試みは、ていねいに進めてもらうことを望む。*5
*1:現在の「運営委員会」にあたる。事実上、保護者でほとんど構成する「役員会」と学校側との調整決定機関。
*2:もちろん、任意団体は結社の自由があるので、どんなぶっ飛んだ規約だって作ることは可能だ。俳句サークルが「本会の会長はアメリカ合衆国大統領とする」という規約を設けることもできるだろう。ただその場合、アメリカ合衆国大統領がその規約を改めるよう求める権利はあるし、その範囲で任意団体に口出することには正当性がある。
*3:「政治が教育内容について何も言ってはならない、ということはありません。…教育の自主性を重視するあまり、教育内容について政治は意見を述べたり批判してはいけない、となったらどうでしょうか。批判されることのない世界は、独善におちいりがちです。……専門家の自治だけでは十分ではないということなのです。それは、体罰や暴力的な言葉などで子どもが教員から心身を傷つけられる場合があることが社会問題化するなかで、いっそう自覚的にとらえられるようになったと思います」(藤森毅『教育委員会改革の展望』p.175-177)。この視点から言えば、PTA強制加入問題が人権問題であるならむしろ政治が意見を述べることは正当性がある。
*4:「この法律でいう協議とは、自由な意見交換という意味です。さらに付け加えれば協議とは、極端に言えば会議があっという間に打ち切られようが、とにかく一度両者が話し合いのテーブルについたら、法的には協議したということになるものです」(藤森前掲書p.62)。このような「協議」程度の話し合いとして持ち出すべきであろう。
*5:全然この話題と関係ないけど、この話を調べる過程で川西市で越田と市長を争った自民党推薦の大森という候補の略歴や、大森の市議時代の市議会での質問に奇妙な関心を持ってしまった。