ジョン・E・ローマー『これからの社会主義 市場社会主義の可能性』(青木書店、伊藤誠訳、1995)について、コメントしていきます。
ローマーはアメリカのマルクス主義の一派、「アナティカル・マルクス派」の中心人物です。これを書いたときはカリフォルニア大学デイヴィス校の教授でした(現在のポジションはわかりません)。
すでに一度読んでいるんですけど、も一回。
章ごと、あるいは、いくつかの章ごとに。
結論から言っておくと、ローマーは「クーポン経済」、うーんまあ一種の「民主的・平等主義的な株式会社」みたいなもんを社会主義の将来として想定していて、あんまり賛成できません。
まず、「日本語版への序文」「はじめに」「序章」について。
ここにはローマーの見解が大ざっぱに書かれていて、あと、本の見取り図を紹介しています。
ローマーは市場社会主義をめざすんだといいます。彼のいう市場社会主義は、市場と計画の結合です。市場システムと社会主義の「いいとこ取り」をする、と。ハイエクとランゲの論争に刺激されています。
市場と計画の結合の見本の一つに日本が挙げられています。
市場だけが独力で立派にふるまっているなんて、そんなことあるわけないだろ?――とおっしゃるローマー。市場はさあ、それを支えるいろんな制度でようやく成り立ってるんだよ、と。
ローマーは社会主義を「一種の平等主義と定義する」(p.19)んですね。
だから生産手段の「公的所有」を「必要ない」(同前)といいます。
とりわけ、国家による企業の直接的管理は社会主義の諸目的に不必要であり、独占的諸条件のもとではそれはまったく有害であると主張したい。(同前)
はい、まずここまで。
単一の集権的な計画で経済を運営する、そのために国家が生産手段をすべて握る――こういうイメージの社会主義はぼくもダメだと思うんだよね。
以前、ぼくのところに“お前はコミュニストのくせに市場メカニズムを容認するのか”という批判のメールを送ってきた人がいました。
その人と議論した後が、ネット上に残っています。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sijou-haizetu1.html
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sijou-haizetu2.html
ぼくの基本点は、「膨大な需給調整は、今のところ市場メカニズムが一番すぐれている」ということです。
インターネットとか、IoTとか、人工知能が発達したので、ひょっとしたら集権的に管理するという問題が市場に頼らなくても解決する可能性はありますが、今のところ願望にとどまっています。
だから、市場は残らざるを得ない。
ただし、市場はローマーが言うように、それ単独で立派にやっているなんてことはありえないわけで、市場を支えるいろんな制度を前提にして成り立っています。
例えば独禁法はその第1条*1を見てもらうとわかるけど、自由で公正な市場の競争の環境をつくるために、経済を支配するような力を、いろいろな制度を使って排除するかんね、と言っています。
市場経済=資本主義だという誤解があるので、市場を排除しなければ社会主義だと言えないと思っている人がいますし、市場を認めることは社会主義の後退・敗北として受け止められています。
ここで考えておくべきは、一つは、市場経済と資本主義の違いでしょう。
市場経済は、等価交換で成り立つ商品交換経済のことです。
資本主義は、Gという投資額をG’、つまりG+ΔGにすること、もうけをあげることを至上目的・最優先にする経済のことです。
両者は明らかに違うものです。
こまかくは立ち入りませんが、資本主義は市場経済という交易様式の上に成り立っている生産様式です。
資本主義の克服というのは、もうけをあげることを経済の至上目的(自己目的・最優先課題)にしている、そういう原理が全体を覆っている社会を乗り越えることです。長い資本主義の歴史の中で、利潤第一主義という原理には次第に修正がかけられていきます。
もうけ本位でやりすぎて、労働者がバタバタ死ぬために労働者は反乱を起こし、工場法ができました。社会保障もできました。同じように環境が破壊されるので、環境規制もできました。
そのように、「もうけ最優先」という原理には次第に規制がかけられて行きます。
しかし、社会全体ではやはり「もうけ最優先」「利潤第一」という原理がはびこっています。
社会の必要を第一にして、こういう原理を自分(社会)の統御・コントロールのもとにおいていくのが社会主義でしょう。
従来は、その統御・コントロールを市場と対立させて、生産手段を国家所有にして一元的な集権計画に委ねる経済が「社会主義」だとされました。
しかし、市場と資本主義は別のものであり、市場を使いながら資本主義を克服していくという方策は、いますでに資本主義の中にそのヒント・制度が芽生え始めています。
ローマーは公的所有≒国家所有として、公的所有を「不要」だと言います。
ここには「所有」概念が狭すぎてとらえられているという問題があります。
ローマーは日本語版への序文の中で、所有というものを分解してみんなに与えてしまえばいいんじゃないかと言っています。それがローマーの、後から唱える「クーポン経済」です。国民みんなが平等に株式を持つような、そんなやつ。
「生産手段の公的所有」というイメージの狭さが、ローマーに、とっぴもないアイデアへの飛躍をさせてしまっていると思います。
ちょっとまとめますが、ここでローマーが言っていることにかかわって、考えておくべきことは、
- 資本主義と市場経済の違い。
- 「生産手段の公的所有」というイメージの狭さ。
この2つです。
この2つが解明されないと、いつでも議論に混乱が起きるし、社会主義は「死んだ犬」のままになってしまうということです。
まあ、最初はこのくらいで。
*1:「この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。」