たまきちひろ『ビットコイン投資やってみました!』


 一昨日(2017年12月22日)はビットコインが急落した日だった。

 仮想通貨バブルに転機が訪れている。米国勢を中心に高値警戒感を強める投資家が利益確定売りを急ぎ、代表的な仮想通貨ビットコインの先週の下落幅は約5000ドル(約57万円)と週間で過去最大を記録。22日は1日の下落率が29%となり、リーマン・ショックなど他の市場の歴史的な急落記録を超えた。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25012120T21C17A2EA5000/

ビットコイン投資やってみました! 「ほーら、だからビットコインは危ない…」とぼくのような一般ピープルは思うところだが、たまきちひろビットコイン投資やってみました!』(大塚雄介監修、ダイヤモンド社)を読むと、ビットコイン「信者」には、通常運転の範囲内なのだ。過去にもこういうことはあり、ジグザグを描きながらも、泡のように消えてしまうことはなく、長期的には伸びていくであろうと信じているのである。

マンガとしての面白さ

 新聞広告を見てぼくは本書を買った。
 作者は貧乏マンガ家で、ビットコインの「ビ」の字も知らないシロートだったのだが、ビットコイン投資にハマり、200万円の保険を解約してつぎ込み、いま1800万円ほどになっている(ただしビットコインなどのまま持っているので、まだ現金として全て手に入れたわけではない)。その右往左往を描いたエッセイコミックである。


 マンガとしては、「狼狽売り」「飛びつき買い」などのビギナーらしい七転八倒をへて、「ビットコインは将来も必要な新しいものとして存続する」という確信(本人曰く「信仰」)のもとに安心立命の境地にたち、保有し続け(ホールド)、しかしやっぱり少し動揺してしまう……という機微が、軽妙に、勢いある筆致で描かれていて、読みやすかった。
 お祭りの神輿の描写で価格が上がっていくのを表現するのがかわいかったし、ジェットーコースターから逃げ出したりする擬人化された動物たちも可笑しかった。
 右図(本書p.53)を見てもらうとわかるが、いまどきの「億り人」と昭和の金持ちとの生態の違いの描き方をみたとき、「こうした投資で成功した人がどこにでもいる感」がぼくに強く迫ってきて(すごくよく描けている)、「俺もそうなれるかも…」とかいう思いが浮かんで、一瞬やばかった


 「信仰」とはよく言ったもので、たえず「騙されているのでは?」「危ないのでは?」などという外野からの心配に揺さぶられつつ、ビットコインが虚妄の一時的なものなのか、それとも将来にわたって存在するものなのか、そこへの確信を試され続けるのである。


 ちなみに、本書を読んでもビットコインや仮想通貨がどういうものかは、貨幣論的にはあまりよくわからない。ネットに載っているような概略が示されるだけだからである(その範囲ではよくわかる)。
 この本にお金を払う意味は、ビットコインのようなものに投資をすることの気持ちの動き、実際の行動を「楽しむ」ためだ。そういう本だと割り切って読もう。


 ビットコインを貨幣として初心者にわかりやすく話す、という課題に成功している本やネットニュースはまだ見たことがない(そんなに見てねーけど)。だいたいは、いきなりビットコインの具体的なしくみを解説するか、目新しいキーワードで説明しているだけだ。「ぼくらが使っているお札とどう違うのか?」レベルの原初的な、しかし根本的な疑問を、やさしく、そしてラジカルに解説はしてくれないのである。


 さて、本書の最終章、第9章は「仮想通貨とお金の教養」である。
 ここでは「ビットコイン決済ができるお店は2017年には約30万店舗に」(p.119)なんていう豆知識も得られるけども、作者・たまきのお金論が展開されているのが特徴だ。

「投資はこわい」について

 違和感を持ったのは2点。
 まず、「投資はこわい」という感情への、たまきの反論について。

自分の貯金や年金は銀行や国が投資に回して運用してるって知ってた!?(p.118)

 いや、そうなんだけどさあ……。
 貯金は元本が割れないでしょ。国や銀行が代わりにリスクを負ってくれているわけで、リスクをおう自信がない人は、別にそれでいいじゃないですか。
 そのことを正直に言おうよ。


 投資っていうのは、配当のようなインカムゲインをあてにする限り、マルクス的に言えば、労働者を雇って価値をつくらせ、その一部を搾取して得た価値(剰余価値)のさらに一部を株主として分けてもらうことだけど、世間でいえばそれは実体ある価値を生むビジネスを育てることでもある。

 株価自体についていえば、たくさんの、いろんな大企業の株をまぜこんだタイプの株を買って、スッゲー長期にわたってホールドしていれば、まあ経済成長率程度には増えていくんじゃないかと思う。まあ、それもあくまで平均としての話であって、自分個人が持つ株が元本割れを起こさない保証はないんだけどね。


 ちなみに、ビットコインのような「投資」は、確かに投じた資本を増やそうとする(GがG'になる)限りにおいては「投資」なんだけど、上記に述べたような意味での、剰余価値の一部の還流を当てにした、本来の意味の投資ではない。いわば投機であるが、そのことはあとで少しのべる。

「いろんな悩みの8割はお金があれば解決する」について

 もう一つ。
 いろんな悩みの8割はお金があれば解決する悩みだという主張について。精神論じゃダメって話。
 これは同感なんだよね。
 経済基盤が悩みのベースにあるっていうのはその通りだと思う。
 だけど、その基盤を投資で得るか、労働・節約・貯金で得るかは、別の話。


 ぼくはマルキストだから、政治闘争をやって多くの人が安心できる経済基盤をつくろうってことをモットーにしているけど、それがぼく個人の人生の締め切り(例えば定年退職)に間に合うかどうかは別の話なので、そこは個人防衛せざるを得ない。ぼくの路線は、労働・節約・貯金なのであるが。
 

ぼくなりのビットコインへの見方

 ビットコインというのは、投資の材料としてみたときは、価値の実体がないものなので、需要と供給が全てである。簡単に言えば安く買った人が高く買った人から収奪するしくみになっている。どこかでうまく抜けられればもうかって終われるが、そうでなければババを引かされる。最初の低いころに持っていた人ほど有利なゲームである。
 別にそれがいいとか悪いではない。
 マーケットの存在は、必要な人のところに必要なものを届けるという意義があるのだから。形の上でいえば、ドルや円を売買するのと同じで、ビットコインという通貨を必要とするビジネスがこの世界のどこかにあり、その必要のために自分の持っているビットコインを売ってあげるのである。
 ただ、そこでもうけをあげるとは、そういう相手から奪い取るということなのだ。そのゲームを切り抜けられる才能があればやればいいし、ないと思えばやらない方がいい。


 通貨としてはどうか。
 投資の対象でなく、購買・支払・決済の手段として。
 いまのところ、ぼくは円で十分である。
 少なくとも現時点で、使えるお店が極端に少ないビットコインを使う意味をまったく感じない。


 「仮想通貨」と言われるビットコインをただの通貨としてみた場合、「価値としての実体をもたない、流通を媒介する、ただの紙切れ」であり、これは現代の不換紙幣(つまりぼくら持っている1万円札とか1000円札)と本質的には同じである。*1


 違いは「国家による保証」、強制通用力があるかないかだけだ。

商品の流通は商品―貨幣―商品すなわちW1―G―W2というコースをとるが、このW―GとG―Wがあいついで行なわれるならば、Gはたんに一時的に販売者の手中にあるにすぎなく、ただちにG―WとしてWに転形されることになる。この場合GがGとして存在しているのは一時的であって、たんにW1とW2を媒介するにすぎない。したがってGはたとえこの場合現実に金が用いられていても、価値物としての資格においてではなく、たんに媒介者として機能するにすぎない。


つまり、販売において相手から取得するGはたんに購買に当たって他の相手に受け取られさえすれば良いのであって、価値物としての実在性は必要ないのである。Gはこの場合流通手段として機能しているのであって、この機能においてはGは素材として無価値な紙片であるたんなる価値章標によってとって代わられていっこうに差し支えがない。ただこの紙片が、それが流通する範囲においてGとして受け渡しされることが保証されていればよい。この保証を国家が与えているのがさきにいった強制通用力なのである。


素材的に無価値に等しい不換紙幣が通用しうるのは直接には強制通用力によるのであるが、より基礎的には、貨幣の流通手段機能つまり通貨機能はこのようにそれ自身に価値のないものでも果たしうる機能であるからなのである。(三宅義夫『金融論〔新版〕』有斐閣双書、p.194、強調と段落区分は引用者)


 自分が労働して作り出した価値(つまり賃金)をニンジンとか服とか現物(価値物)で渡されるのではなく、お金で我々は渡される。お金は現在の日本銀行券であるなら、それ自体はただの紙切れであり無価値なものだから、実はある日突然紙くずになることはありうる。それはビットコイン(仮想通貨)も同じなのだ。
 国家・中央銀行を信じるのか、ブロックチェーンという技術(全て公開されていてみんなが持ちあっている)を信じるのか、という差にすぎない。
 もしお金が金(gold)であればニンジンとか服とかと同じ、価値の実体がある価値物だから消えてなくなることはないのだが。

*1:中央銀行という中心の統御を受けない分散型ネットワークによる管理、いわゆる「ブロックチェーン」と言われる点が新しいとされるが、その新しさの意義は今ぼくにはよくわからない。