本田悦朗『アベノミクスの真実』

 アベノミクス本の紹介が続きます。
 アベノミクスをどれくらいシロートにわかりやすく説明してくれているか? 景気がよくなるメカニズム、とくに賃金があがるメカニズムをどうやって説得しているか? あるいは批判しているか? という点に重点をおいて読んでいます。


アベノミクスの真実 今回は本田悦朗アベノミクスの真実』(幻冬舎)です。


 もう、まぎれもなくアベノミクス派の本です。なんたって、カバーに「安倍総理公認」ってデカデカと書いてあるんですもの。本を開くとツーショット写真なんかが載っていたりして、そりゃあもう…。

4・5章は冗長

 5章だてですが、明らかに第四章の「私が見てきた社会主義経済」がまず不要です。ソ連・中国型経済を批判し、ユーロの試みを批判しています。ソ連型経済との対比で「市場経済」下での通貨の役割を書きたいそうですが、まったく成功していません。ユーロはともかく、今さらソ連あたりを超古典的な批判方法で批判して何がしたいんだオマエは、という感じです。
 「ハハーン、お前がコミュニストだから悔しいんだろ」って思っていただくのは自由ですけどね。要らんでしょ。こんな章。その分、アベノミクスのわかりにくい点をさらにていねいに書いてくれた方がナンボかまし、というものでした。


 第五章の「豊かな社会を目指して」も冗長です。アベノミクスが目指す経済と、第3の矢(成長戦略)を説明しようとしていますが、散漫にいろんな話題にふれているという印象です。

 例えばですが、待機児童がたくさんいる保育所や幼稚園での規制を緩和すれば、多くの人が恩恵を受けるし、マクロ経済にもよい影響を与えます。(本田p.190)

 保育士の試験をカンタンにしろ、などととんちんかんなことを書いた岩田に比べると、論理一貫性の上では本田の方がマシです。質を落として量をふやせばつめこめますよ、ということですから。


 ただ、この後の1段落を書いておきましょう。

 また、老人ホーム、介護やヘルバーなどの分野も、規制緩和が可能なように見受けられます。(本田同前)

 どうでしょう。いかにもスケッチ風で、雑駁な印象を受けるのではないですか。規制緩和しろ、ということ以上に情報がほとんどないのです。こんなのばっかりなのです。


やはりインフレ予想(期待)を重要視

 大事なのは、一〜三章です。
 核心点は、すでに岩田の本の紹介でのべていますが、「インフレ予想ができるかどうか」という点です。この点を、本田の本でも最も大事な点として強調しています。

 経済を成長させて豊かな社会を作るためには、デフレからの脱却は前提条件です。かつての日銀のように「成長期待ができるまで、デフレからは脱却できない」などと間違ったことを言い続ける余裕は、日本にはもうありません。
 その意味で日本経済は今、崖っぷちに立たされているのです。
 安倍総理も明確に述べているように、デフレ・インフレは貨幣的な現象です。モノやサービスの提供に比べて通貨の供給が少なければ、通貨の希少価値が増し、デフレになるのです。
 「通貨はジャブジャブに供給されている」と言う人が日銀を含めてたくさんいます。しかし、問題なのはデフレ予想が人々の間に凍り付いて、カネが使われなくなってしまっていることです。
 日銀がいくら「カネの素」とも言えるベースマネーをジャブジャブに供給したところで、企業や消費者がカネを使わなければ、カネは市場に出回りません。テクニカルな言葉では、これを「信用乗数が小さくなった」とか、「通貨の流通速度が遅くなった」と言います。
 要するに、緩やかなインフレ予想ができてこない限りは、いくら日銀がベースマネーを供給しても無駄なのです。そう、問題は「インフレ予想ができるかどうか」なのです。
 金融政策だけでデフレから脱却できます。「期待」は金融政策で作れるからです。安倍総理自民党総裁就任以降に起きている円高是正や株価上昇、さらいは不動産価格の緩やかな回復を見ても、これはすでに明らかでしょう。(本田p.93-94)

 こういう基本点は、岩田本(『リフレは正しい』)でも述べられていますが、「デフレ期待を日本人の頭から払拭しないと何も始まらない」という強調は、アベノミクスを理解するうえでは大切です。このあたりのメリハリがついているのは、本田本の特長だと言えます。


予想インフレ率について詳しく書いている

 加えて、本田本では、初心者に向けた形で「予想インフレ率」について、随所に説明を載せています。
 アベノミクスの話や記事を読んでいると、この「予想インフレ率」に何度も出くわすのですが、シロートにはあまりなじみのない概念であるにもかかわらず、十分な説明がありません。

岩田規久男・日銀副総裁は――引用者註〕量的な緩和、すなわちマネタリーベースの増加が予想インフレ率(キーワード参照)を上昇させ、実質金利名目金利−予想インフレ率)の低下によってデフレから脱却できるという。(週刊ダイヤモンド2013年4月6日号p.47)

 んで、その記事の「キーワード」に行ってみると「予想インフレ率」は

中央銀行の行動や需給バランスの変化などから人々が予想する将来のインフレ率。

とあるのですが、うーん、これだけではよくわかりませんね。

 本田本では、

 予想インフレ率は、元本固定の普通国債の利回りから物価連動国債(物価が上昇すると元本が増えるように設計された国債)の利回りを差し引いて求められます。
 普通国債の利回り=名目金利は、実質金利と予想インフレ率を足したものですが、物価連動国債は元本が変動するので、予想インフレ率は元本の変動で吸収されてしまいます。だから物価連動国債の利回りは、まさに実質金利そのものを表しています。(本田本p.39)

と説明し、数式をカコミで表示しています。元本が変動するとか吸収するとかがわかりにくいのですが、少なくとも「名目金利」や「実質金利」が具体的に何の数字であるのかははっきりしています。
 「元本が変動」うんぬんとかいうのは、“普通国債は、利回り部分に、物価の上昇分と純粋な利回り分がいっしょくたになって出てしまうけど(名目金利)、物価連動国債は物価上昇分が元本部分に吸い取られてしまうので、利回り部分は純粋な利回り部分(実質金利)だけが出てくるよ。だから普通国債の利回りから、物価連動国債の利回りを引けば、物価上昇分の反映すなわち予想インフレ率が残るんですよ”というほどの意味です。この説明はなくてもいいか、むしろ難しくしているかもしれません。
 ちなみに、やはり予想インフレ率の上昇を力説している岩田の本(『リフレは正しい』)ではp.73に説明が出てきますが、叙述がサラリとしすぎていて見過ごしたり、戸惑ったりしています。


 そして、岩田のグラフ、すなわち、6カ月後に予想インフレ率がインフレ率に一致していくことを裏付けるグラフをのせます。

41頁のグラフで分かるように、もちろん完全に一致はしませんが、予想インフレ率のだいたいの波形は6カ月後に現実のインフレ率になります。(本田p.42)

 このメカニズムの中に、すべてが含まれているというわけです。

 まずプロの投資家の間でインフレ予想ができ始めると、次第に他の通貨に比べて円の価値がさがることが予想され、円安が進みます。
 円安によって輸出業者などの活動が活発になり、収益が上がるとともに株価が上昇してくる。
 株価が上昇すると企業のバランスシートが改善されて、将来的に強気の経営ができるようになり、輸出企業やその関連企業のみならず、広く産業の収益が上がってきます。
 そうなると企業は設備投資を再開し、従業員の新規採用を増やすと同時に、優秀な人材を確保するための正社員の数も増やします。
 労働者の給料は、一時的な残業手当やボーナスの方から先に増えてくると思いますが、いずれ必ずベースアップにつながり、今度は消費者の購買意欲が高まります。(本田p.41〜42)

 この冒頭の「プロの投資家の間でのインフレ予想」から「消費者の購買意欲が高まる」までのラグが6カ月だというわけです。
 インフレヘッジで預金から株へ、といったような岩田的説明ではなく、円安→輸出企業活発→株高、という径路で説明しています。


 現在、予想インフレ率は2%に迫っています。(図参照、出典はhttp://www.bb.jbts.co.jp/marketdata/marketdata05.html
 だとすれば、6カ月後には、インフレ率が2%になる……と、説得的に示されているといえるでしょう。消費者物価指数とか、設備投資とか、思うように増えていかないけども、6カ月後なんだよ! というふうに言えるわけです。
 先ほどの引用のように、アベノミクスから景気回復にいたる論理は一応示され「今そうなっていないけど?」という疑問に対してはデータを示して「ラグがあるんです」と言っていることになります。


 ちなみに、この予想インフレ率の話を細かくやってくれているおかげで、「インフレになると金利ってどうなるんだっけ?」という素朴な疑問も見えやすくなります。この点については、また別の機会に論じたいと思います。


賃上げにどうやったら回ってくるのか

 さて、ぼくらの一番の関心事は、果たして賃金が上がるのかどうか、というそこなんですね。今いったとおり、アベノミクス賛成派は「賃上げはもっと後です」とくり返し言っているわけですが、まあそれはいいでしょう。ここでは、その論理をもうちょっと見てみたい。
 「金融緩和→賃上げ」というその論理のところをもう一度じっくり見てみます。

 株価が上昇すると企業のバランスシートが改善されて、将来的に強気の経営ができるようになり、輸出企業やその関連企業のみならず、広く産業の収益が上がってきます。
 そうなると企業は設備投資を再開し、従業員の新規採用を増やすと同時に、優秀な人材を確保するための正社員の数も増やします。(前掲)

 本田は第三章「アベノミクス批判に応える」という章で、「給料が上がらないまま、物価だけ上がったら大変」という節をもうけて、こう述べています。

このまま停滞していては、物価が下落する以上に給料の水準は下がるのです。(本田p.100)

とまあ、脅します。続けて、

 インフレ予想が金融市場にできて、それが企業の収益やバランスシートの改善につながり、賃金も徐々に上がってくる。
 そうしたことが起きて初めて、消費者に購買意欲が生まれ、現実のインフレ率も上昇してくる。これが、物価が緩やかに上昇するメカニズムです。
 従って、2%程度のインフレ率が実現する際には、賃金はそれ以上に上昇しているはずです。(本田p.100-101)

 まあ……だいたい一貫しています。こうした岩田本でも同じように、アベノミクス賛成派の多くはこうした主張ですね。さらり、というか、かなり楽観的に言うわけです。
 誰でもいいんですが、たとえば「毎日新聞」の2013年5月5日付にのったエコノミスト三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長)・嶋中雄二は「賃金 あとからついてくる」次のように言っています。

円安が進行すれば、輸出企業の採算が改善すると同時に外国人観光客も増える。「金融緩和による株高はバブルだ」という批判が出てくるが、株価は先を読んで動くから現在の経済状況と乖離があって当たり前。実体経済や賃金上昇は、あとからついてくる。〔…中略…〕金融緩和によって円安が定着すれば海外に投資していた企業は国内に目を向けるようになる。新たな雇用が生まれ、地域にお金が落ちるだろう。

「賃金はあとからついてくる」のうさん臭さ

 岩田本のところでも述べたように、このトリクルダウン的説明に対して、「ホントかよ」っていう感情がどうしても生まれる、その根拠は2000年代半ばの「好景気」経験です。結局、企業はあんなに利益をためこんだのに、逆にリストラが進んだし、設備投資は抑えられたし、賃金は下がったじゃないかと。そうしたら結局、ホントの需要はできないだろ。うまくいっても、いい目に会うのは、金持ちや大企業だけだろ、という気持ちになっちゃうんですね。
 「ユニクロの柳井さん一家はこのアベノミクス相場で1兆円も増やした!」という格差拡大の宣伝が入りやすいのは、こうした背景があるからです。


 ぼくの前のエントリに、反論するコメントがいくつかありました。「あれは好景気じゃないよ」とか。うん。まあ別に「2000年代に好景気があって…」とかそういう「細かいこと」を多くの人が考えているわけじゃないでしょう。
 この20年くらい、大企業が内部留保をためこんだとか、大金持ちが資産をふくらませた、という話はいろいろ聞こえてくるのに、おれたちは貧しくなっているじゃん、という感覚です。「トリクルダウン」ってそんなにあるのか? という不信感ですね。そこへの反論をきちんとしておかないとやっぱりそこでリアリティを欠いてしまうんじゃないですか。アベノミクス派の本、リフレ派の本は、そこをどうするのかをやっぱりしっかり書いてほしい。


 まず、本田本には、この点についての直接の反論はありません


 アベノミクス派の中には、ここに反論を試みている人も
います。
 たとえば永濱利廣(第一生命経済研究所主席エコノミスト)は次のように述べています。

小泉政権当時は労働生産性との見合いで高すぎる賃金の調整局面にあった。むしろ、そうした局面でデフレ下にある中でも、2005年に基本給は一時的に上昇している。従って、肝心の基本給については、過去の厳しい経験を踏まえても遅くとも3年、むしろ高すぎる賃金の調整が片付いている現状を踏まえれば、早くて再来年ぐらいには増加が期待できる可能性がある。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130523/248515/?P=2

 はあ。「賃金の調整局面」ですか。
 言い方をかえると「ばか、おめえ、そんときは、まだ賃金が高すぎたんだよ。ガンガン下げないと大変なことになってたわけ」ということでしょう。力が抜ける言い訳です。
 そうなると、「ああ、今度も何かのやっぱり『調整局面』って言われるのかな」って思うじゃないですか。
 つまり、ホントにそうだったとしても、あれこれの条件が加わったら賃金は上がらないってことじゃないですか。そういうふうに受け取っちゃうんですよね。


 そこはブレずに、「いやまだあのときは強固なインフレ期待が形成されていなかったから」と言った方がいいでしょう。しっかりしたインフレ期待が形成されないうちは、どんなにもうかっても、企業も個人もカネを使わないんだよ、という言い訳の方がいいんじゃないですかね。いや別にぼくはアベノミクス派じゃないですけど。


 実は、本田本は別のところでこのことにふれているんですね。さっき紹介した第三章の「アベノミクス批判に応える」の中の一節、「銀行貸し出しは増えない?」のところで次のように述べています。

 現状を見ても、企業は内部留保をたくさん蓄えています。12年9月末の預金・現金残高は215兆円に上ります。また、「積立金・準備金」、いわゆる財務諸表上の内部留保の数字を見ると、12年秋ごろで約270兆円あるというデータも存在します。
 なぜそんなに内部留保があるのかというと、繰り返しになりますが、原因はデフレです。
 デフレによって通貨の価値が自動的に上がるため、企業にとって資金が目減りしない一番安全で確実な方法は、設備投資や賃金に回さないで、現金や銀行預金の形で持っておくことです。〔…中略…〕
 だからデフレ脱却のために必要なのは期待の変化であって、銀行融資の増加ではないのです。
 将来収益が増えると期待できれば、企業は設備投資を始めます。商品が売れるのに事業規模を拡張しない経営者はいません。(本田p.105-106、強調は引用者)

 あまり細かいことを言わずに、アベノミクス派は「インフレ期待ができれば万事OK」みたいにしたら論理一貫するんじゃないでしょうかね。世の中のためにそれがいいことかどうかは別として。