日米同盟=核の傘の下での核兵器禁止条約参加は可能か

 核兵器禁止条約が発効の見通しとなった。日本の世論調査でも、日本政府に批准を求める声は大きい。

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14、15の両日に、朝日新聞社が実施した全国世論調査(電話)で核兵器禁止条約について尋ねると、日本が条約に「参加する方がよい」は59%で、「参加しない方がよい」の25%を大幅に上回った。(朝日11月16日付)

 

 そもそも日本の自治体の99.5%が加盟する平和首長会議は、すべての国の批准を要求している。

 自民・公明政権があくまで批准を拒んでいる現在、政権が替われば批准する政府ができるのではないかという期待は大きい。ぼくのまわりの野党連合政権支持者は、当然に批准する政府ができるものと考えている。だが、そう単純でもない。

 自公政権が批准を拒否しているのは、アメリカの核抑止力に依存する安全保障政策をとっているからである。「核兵器の力で守られている」という政策を持つ国が、核兵器禁止条約を結べるのだろうか。

 

立憲民主党核兵器禁止条約

 松竹伸幸『安倍政権は「倒れた」が「倒した」のではない』はこの問題に触れている。

 

安倍政権は「倒れた」が「倒した」のではない

安倍政権は「倒れた」が「倒した」のではない

  • 作者:松竹 伸幸
  • 発売日: 2020/10/24
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 8月5日に枝野代表が広島で開かれたイベントで「条約に参加するための具体的ロードマップを描く」と語ったことなどを紹介して、松竹は次のように言う。

 

枝野氏が、「米国との同盟関係を維持しながら核兵器禁止条約に参加する」とか、その両者を「矛盾せずに解決する道」に言及しているのは、現在の立憲民主党の本質的な矛盾を象徴している。それは鳩山時代から変わらない。…立憲民主党が、一方でアメリカの抑止力に頼ることを防衛政策の基本として維持しようとしていることと、他方で核抑止力の否定の上に作成された核兵器禁止条約に参加することとは、本質的に対立しているのである。だから、枝野氏のようなものの言い方になってしまう。(松竹p.105)

 

 立憲民主党集団的自衛権行使を否認している。

 集団的自衛権はダメってことにして、あとは変わらない政権ができたらどうなるか。結果的に2015年以前の自民党政権の安全保障政策と同じになる。つまり、核兵器禁止条約は参加せずに核抑止力に頼った日米同盟が維持され、(本当の意味での)専守防衛となるわけである。

 松竹はこれ「だけでも意味のあること」(p.106)だと述べる。

 これはぼくもそう思う。そもそも、集団的自衛権の行使容認という現憲法下で絶対にありえない状態を放置しないことが解消されるだけでも大いに「意味のあること」だ。アメリカの戦争に巻き込まれるリスクも大いに低減する。それこそが「今そこにある危機」なのである。

 しかし、と松竹は続ける。彼は「どうせなら抑止力問題を徹底的に深め、専守防衛政策に新たな魂を吹き込んではどうだろうか」(同前)として、「抑止力」概念を批判的に検討して新しい防衛政策に転換することを提案している。つまり核兵器禁止条約に参加する専守防衛政策、「核抑止抜きの専守防衛」(p.108)を訴える。それがどんなものかは松竹の同書を読んでみてほしい。

 

共産党の「安保条約下での禁止条約参加」論

 同じ問題は共産党にも突きつけられている。

 共産党はすでに野党連合政権をつくるさいに、日米安保条約は廃棄せず、安保条約通りに発動させることを明言している。つまり日米同盟そのものは「維持」するとしているのである。

 そうなれば当然米軍の「抑止力」、すなわち核抑止力は維持されるのか、という問題が生じてくる。

 この問題について、共産党の理論誌「前衛」2020年12月号で川田忠明(共産党平和運動局長)が「発効する核兵器禁止条約をどう力にするか」という論文で「日米安保条約下での(核兵器禁止)条約参加」という問題に言及している。

前衛 2020年 12 月号 [雑誌]

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  川田は、

日米安保条約によって、「日本に米軍の『抑止力』が提供される」、と一般には解されています。その中で核兵器によるものが「核の傘」です。別の言い方をすれば、アメリカが提供する「抑止力」の中の一つが「核抑止力」だと言うことです。私たちは、軍事的な「抑止力」という考え方は、日本の安全にも、アジアの平和にも有害だと考えますが、そこで考えが違っても、「日本の防衛のために、アメリカは核兵器を使わないようにする」ということは、日米安保条約と矛盾する話ではありません。したがって、理論的には、日米安保下での禁止条約参加は可能だと考えます(前掲誌p.45-46)

とする。つまり“米軍の抑止力一般は否定しないが、日本の防衛のために核兵器を使わないようにすることを、新しい日本政府の防衛政策にする”ということになる。

 具体的にはどういうことか。

 川田は、核兵器禁止条約の条文と解釈を読み込んで、次のように結論づける。

私は、アメリカの核兵器の使用とその威嚇を「要請」したり、「援助」「奨励」したりせず、核兵器の配備も「許可」しない、という点で一致できれば、連合政権は条約の義務を基本的に果たすことはできると考えます。(前掲p.46)

 つまり日本政府から核兵器使用・威嚇・配備などについてアメリカに「言わない」「手伝わない」ということである。

 これはぼくの解釈だが、逆に言えば、アメリカが核兵器を使用することについて手を縛る日米間の取り決めはしないということでもある。

 具体的に考えてみよう。

 A国と日本が戦争状態になる。その時に、日本からアメリカに「核兵器を使ってやっつけちゃってくださいよ」と「お願い」することはしないのである。核兵器以外の兵器でやっつけることは「お願い」するけど。他方で、アメリカが日本の防衛と無関係に、勝手にA国に核兵器を使うことについては手を縛らないということである。

 いや、「使うな!」と言うと思うよ。新しい日本政府は。だけど、条約上の整理は上記のようになるってことだろう。

 

リアルなところは

 アメリカは「核兵器を使う」という自国の選択肢が制約されるのを嫌う。だから、アメリカとして日本との間で「核兵器は使用しない」という取り決めはしないだろう。その取り決めをアメリカに求めれば、日米同盟は維持できない。

 しかし、日本政府が決意することはできる。核兵器使用には頼りません、と。

 この方式は、「核の傘」とか「核抑止力」をどう解釈するか*1、という難問を避け、禁止条約を条文通りに履行する方式で問題を解決するもので、なかなかよく考えられている。

 アメリカが核を使うかどうかは、リアルなところで言えば、日本防衛などという「チンケな理由」で使うことはあるまい。日本から要請があろうがなかろうが、日本が危うかろうが安全であろうが、使うときは使うつもりだろう。それがいいかどうか別にして。

 

 ただし、この方式を利用する際に待ち受けるハードルは、アメリカの日本(の米軍基地)への核兵器持ち込みを厳格に否定する手立てを、日本政府としてとるということだ。

それを担保するためには、日本への核兵器の持ち込みを容認した日米核密約を正式に破棄し、非核三原則を厳守、法制化することが必要です。(同前)

 核兵器を持ち込んでいい、という日米間の取り決めは「秘密」になっていて日米ともに公然と認めていないから、仮にそうした手続きを日本政府のイニシアチブで進めても、アメリカは公式には文句は言えないことになる。文句を言えば「え、やっぱりそんな取り決めがあったの!?」ということになってしまうからだ。

 だから、密約を破棄し、非核三原則を法制化したとしても、表面上は問題ない。

 水面下では相当な妨害が予想される。

 しかし、川田は「米政権の核による『拡大抑止』政策も変化しつつあります」(p.46)としているように、米政権は必ずしも日本への持ち込みにこだわるとは限らない。持ち込めないなら持ち込めないで、柔軟に他の道を探るんじゃないかということだ。そのあたりは松竹の本にも言及がある。

 この方式が現実的かどうか、国民の間で大いに議論が盛り上がればいいと思う。

 

 はじめはこうした議論をすることは、政権合意もないのにあまり意味がないのではないかと思った。しかし、こういうふうに「どうしたら条約に参加できるか」という形で問題を立てていけば、それは現在の自公政権も含めて参考になるはずである。建設的な議論だと言える。

*1:例えば「あくまで抑止だから、核兵器を使用しなければいい」などという解釈。