座間の事件がある時にこういう話もなんだけど、人を殺したらバレないようにできるのか、ということをつれあいと考えたことがある。いや、別に殺してないけど。殺す予定もないけど。
そのとき話題になったのは、殺人の痕跡を消すというよりも、例えば自分がパートナーに殺されたとして、それはいつ「いなくなった」ことに気づくのか、それとも気づかないのか、というようなことだった。
『マイホームヒーロー』は妻と娘を持つ平凡なサラリーマン・鳥栖哲雄が、ヤクザの餌食にされそうになっている、単身下宿中の大学生の娘を救うためにヤクザを殺すことから始まる。
1巻は、情けなさ全開の哲雄がどのようにしてヤクザを殺すのか、そしてその死体をどう隠し、警察以前にバックのヤクザ組織に気づかれないようにするのか、というスリルを描いている。
死体の処理をしている最中にヤクザ側の探りが入り、娘の部屋にやってくるが、さてどうごまかすのか…といった展開だ。
具体的にどう死体を処理したかは読んでの「お楽しみ」にしておくが、事情をすべてのみこんだ妻・歌仙の冷静さがすごくいい。
単に冷たい、すなわち「クール」なのではなく、死体を見て事情を聞いてそれなりに動揺しつつも、家族の困難に立ち向かおうとする勇気をふりしぼって「冷静」に振舞っている、そういう描き方なのだ。
この妻という存在に加えて、「娘をヤクザ組織から守る」という大義名分があるので、哲雄のやったことは犯罪でなく家族愛のように思えてくる。家族愛ゆえの犯罪なのだが、後者が消えるのだ。
下図は哲雄が死体を埋める決意をしたシーンで妻が返すメールの画面なのだが、絵文字の2ch感と哲雄の呑気な反応に笑わずにはいられない。作者、完全に笑わせにきてるだろ。
(山川直輝・朝基まさし『マイホームヒーロー』1巻、講談社、p.70)
落語の「らくだ」や「粗忽長屋」を紐解くまでもなく、死体をめぐるコメディという構図自体は、昔からある。
この作品を読んでいると、殺人者である哲雄を応援したい気持ちが断然湧いてくる。逆転してしまっているのだ。それゆえに作品のそこかしこにおかしみが漂う。
価値を転倒させる仕掛けを備えた本作は、まぎれもなくコメディである。