野党共闘は「見直せ」


 共産党が参加する野党連合政権が誕生し、共産党が閣僚を出せば、その閣僚は国会で「政権としては自衛隊が合憲であると考えるし、そう運用する」と答弁することはもちろんである。
 それだけではない。平時には自衛隊が正面装備を買う予算をつけるだろうし、北朝鮮のミサイルを迎撃するための体制、運用も行うだろう。PKOのような自衛隊の海外派遣も認めることになる。
 「朝鮮有事」となり在日米軍基地が攻撃されるようなことがあれば、日米安保条約を発動し、それにしたがって米軍の活動も認めることになる――


 共産党がそんなことまで認めるわけがない、絵空事だ、と思うだろうか。
 実は、共産党が呼びかけている野党の連合政権の原則を突き詰めれば、ここまで認めることになるのである。

志位 私たちは、日米安保条約を廃棄するという大方針、それから自衛隊は、日米安保条約を廃棄した新しい日本が平和外交をやるなかで、国民合意で一歩一歩、解消に向かっての前進をはかろうという大方針は堅持していきたいと思っています。ただ、その方針を「国民連合政府」に求めるということはしない。これをしたら他の党と一致にならない。そういう点では方針を「凍結」する。
 ですから、「国民連合政府」の対応としては、安保条約にかかわる問題は「凍結」する。すなわち戦争法の廃止は前提にして、これまでの(戦争法成立前の)条約と法律の枠内で対応する。現状からの改悪はやらない。「廃棄」に向かっての措置もとらない。現状維持ということですね。これできちんと対応する。
(強調は引用者)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-11-08/2015110802_02_0.html

 安保条約(そして自衛隊)の「凍結」とは「現状維持」のことだと志位和夫はハッキリ述べている。そして「現状維持」というのは、(安保法制以外の)自民党政権下での法制・運用の「現状」を「維持」するということを意味する
 「凍結」というと、共産党支持者には聞こえがいい。フリーズして、固まらせて、全然動かないようにさせてしまうかのように聞こえるからだ。
 しかし、そうではない。志位は明確だ。
 集団的自衛権の行使容認と安保法制をなくすことのみが連合政権の合意になるのだから、その改革だけが実行され、あとの自民党政権のベースは継承されるのである。


 この原則は、はるか昔から共産党が提出していることで、まったく驚くに値しない。しかし、「凍結」とか「現状維持」という言い回しで、あまりツッコんで触れられていないに過ぎない。


 民進党の新しい代表である前原誠司は、保守的だとされる。
 前原が保守的な色彩を期待され、「野党共闘の見直し」を期待されているのであれば、彼がやるべきことは、保守的な立場から、「野党共闘の見直し」を行うことである。
 どう「見直す」のか。
 それは、果たして本当に共産党と政権を組めるかどうかを、共産党に対してきちんと確認し、保守的な立場から、このような具体像を共産党にしっかりとただすことではないのか。


 お前ら、「凍結」とか「現状維持」とか言っているけど、それは自衛隊と安保条約に対してこういうのを認めるってことだよ、本気なの、と。
 イージス艦の運用はどうか、軍事費はどこまで認めるのか、イージス・アショアの導入はどうなのか、PKOや米艦への補給はどこまで大丈夫なのか――そういうことをただすのである。
 これはぼくの勝手な想像だが、法制は集団的自衛権と安保法制だけ元に戻すけども、それ以外はいじらない、法制に基づく政策運用は相当弾力的に行う、ということになるんじゃないか。
 つまり法律は変えない。しかし、例えば軍事予算(防衛予算)をどこまで組むか、どんな兵器を導入し、どういう部隊をどこに展開するかは法令に根拠がある以上は自由に考えられる、あらかじめ制約を設けない、ということだ。*1


 そうすることで、前原は保守的な立場での政治と「野党共闘の見直し」という期待にきちんと応えることができるし、同時に共産党は原則を曲げずに、しかし一つの試練を受けてそれを乗り越えることを求められる。

井手 私がずっと引っかかっているのは、昨年、共産党との選挙協力について懸念しておっしゃった「シロアリ」発言です。この発言を踏まえてもなお、政策的に合意が可能であるかぎり、野党共闘はあってしかるべきだとお考えですか。


前原 政策がないまま枠組み論になることのリスクを伝えたくて、あのような発言をしました。過激ではありましたが、政策を置き去りにした枠組み論は不毛です。政策に主体性をもち、有権者の信頼を勝ち取ることが私たちの最重要課題です。枠組み論ありきでは議論が逆立ちしてしまう。政策論議を深め、共闘のフェイズをさらに進化させる。政策論議のすえの共闘努力こそ、私たちの責任だと思います。(「世界」886号2016年9月/“センター”への道は切り拓けるか〜「生活保障と税」の政策論から政治を変える〜 対談 井手英策×前原誠司

http://www.maehara21.com/sekai/


 この前原の発言はそれ自体、まったく正しい。
 衆議院選挙協力は、必然的に「安倍政権にかわる政権」ということを意識せざるを得ないのだから、前原民進党は、野党共闘を「見直す」べきである。つまり、ただ「安倍政権を倒す」ということだけにとどまらない、「ポスト安倍」の政権を組む、その政策の中身について話し合うという、政権協議へ移行すべきなのだ。


 民進党がそこに触れなくても、解散・総選挙でテレビ討論ということになれば、自民党公明党の側から聞いてくる。つまり攻撃してくる。

「野党の候補が当選し、そして安倍政権を倒したとしたら、いったい、もし朝鮮有事の場合、どう対処するつもりなのですか」って聞くだろ? 聞くよ。俺なら聞くね。

 対話を通じた平和的解決っていう話はわかる。そうしないとダメだ。
 だけど、もし野党が多数を取って政権を組むことになったら、どうなるのか、有事の原則はどう考えているのかを国民は聞きたがっているのだ。自民・公明の「攻撃」はそこをついている。
 その時に、「政権として自衛隊は合憲として運用するし、安保条約も必要なら発動させるし、米軍にも安保法制以前の法令の範囲で協力を行う」とハッキリ述べられるかどうか。民進党がまだ政権合意に応じてなくても、「……っていう政権を作ろうと民進党には呼びかけています」っていうぐらい共産党には言ってほしい。
 集団的自衛権と安保法制をやめることは、日本の安全にとって、むしろ喫緊の課題ですらあるから堂々とそのことは政権の合意にして主張すべきである。安保法制が朝鮮有事の際に危険なものになってしまうことは、すでに志位が述べている論点を言えばいい。

いま米朝で軍事的対立がエスカレートしています。万が一、軍事衝突ということになった場合に、日本が自動的に参戦することになる。国民が知らないところで日本が戦争の当事国になる。日本が攻撃されていないにもかかわらず、米国の戦争に参戦することで、戦争を日本に呼び込むことになる。この危険が安保法制によってもたらされている。それでいいのか。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-20/2017092002_02_1.html

 これは全くその通りだからだ。安保法制は、朝鮮危機についてきわめて有害なものでしかない。


 前原・民進党執行部は、「共産党と組むことへの不安」という感情に、「共産党を排除する」という前時代的対応で付き合うのではなくて、保守なりに筋を通し、むしろ共産党に迫るやり方で乗り越えていくのがよい。
 それは単にパフォーマンスではなく、政策の論議でもあるし、「基本問題の違いを脇において当面の問題で一致する緊急の政権」という新しい政治を、日本の政治史に打ち立てることになる。

*1:厳密に言えば、共産党としては他に例えば核兵器禁止条約を合意に持ち込もうとするだろう。そして条約を厳密に解釈すれば、米軍の動きはかなり制約を受けることになる。しかし、それは今野党間の合意事項ではない。その扱いをどうするかは、話し合いで決めればいい。