俺はっ!!
震災のっ!!
あの時のっ、
死体の絵なんて絶対描かないっ!!
たくさんのコンテストで賞をもらっている美大生・本吉は、後輩から震災の時の死体をモチーフにした絵へのアドバイスを求められて怒り狂う。東北にある「バカでも入れる」美大の3人組を描いた『モディリアーニにお願い』の一コマである。
本吉が絵を描くのは、言葉には尽くせないようなきれいで、見たことのない宝物、世界にあふれているきれいなもの、そういうものを誰かに届けるためのものなのである。
誰かが傷ついたり
泣いたりするものが、
美術なもんか。
とつぶやき、この後輩の絵を「叩き潰そう」と決意する。物理的にではなく、同じコンテストに参加して自分が賞を獲得することによって、である。
ところが、その巻(2巻)の終わりに、そのことへの「返歌」が載せられる。
本吉の友人である千葉が「合同ゼミナール展」で作った作品――ガラスで作った魚や泡を天井から吊り下げ、一面をまるで海の中にいるようにして観る者を圧倒させたのである。それは、3人組のもう一人、藤本に激しい嫉妬を起こさせるほどの出来栄えであった。
ところが、この作品にクレームがつく。
「津波の記憶を呼び起こす」ので「不謹慎」だ、という苦情が出たため、1日で撤去しなければならなくなったのである。
抗議しかける本吉。しかし、千葉はその抗議と撤去要請を受け入れ、作品を撤収する。
撤収しながら、千葉は泣きわめくのである。
千葉は言う。
でもやっぱし
誰かがちょっとでも
傷ついたりしたらさ、
だめだ、そんなの…
くっそ…
「傷ついた」と言えば藤本も「傷ついた」のである。作品を壊したい衝動に駆られたからである。
そして藤本に好意を寄せる美大生・吉野は、藤本を抱きしめながら言う。
いつかね、
ちっちゃい私達の
起こした波でね
世界が少し
動いたり
したら、
そういうことが
できたら、
良いなって
思うの…
表現をするとはこういうことではないのか。
これは、『ゆらぎ荘の幽奈さん』問題のエントリで述べたことの一つの応用である。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20170707/1499363338
創作が人の心を揺さぶる以上、揺さぶられたことで傷つく人もいる。あらゆる表現は必ず何らかの暴力性を含んでいるに違いない。その暴力性を自覚するのかどうか。
千葉はそれを一旦うけとめた。もちろん、受け止めて「撤去」という行動に出るかどうかは人それぞれだろうが。
千葉のエピソードの前にある本吉の持論、感性、そして行動は爽快だ。
読者はスカッとするのである。
しかし、それを裏切るかのように、千葉のエピソードが入る。
読者はここで表現するということを考えさせられ、試されるのである。
むしろ、本吉の方が、自らが暴力性を孕むこともあるかもしれない、という問題に無自覚だ。合法的とはいえ報復によって相手の表現の暴力性を叩きのめそうとするのは、その表れだ。
むしろ、モヤモヤする対応――千葉こそ、自らの暴力性に向き合っている。
違うか。違わないだろ。