たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記』

アンゴルモア 元寇合戦記 コミック 1-6巻セット (カドカワコミックス・エース) 元寇づいていて申し訳ないが、元寇のマンガの話である。
 本作のメインタイトル『アンゴルモア』は、ノストラダムスの『予言書』に出てくる謎の言葉として有名で、ノストラダムスより300年前にヨーロッパを灰燼に帰したモンゴルの侵攻を表す言葉ではないかという説がある。いわば「この世の終わりほどの恐怖」としての「モンゴルの日本侵攻」の意味を込めて、タイトルがつけられている。
 元寇を描いたマンガというのは、学習マンガ以外にあまり知らない。それくらい珍しい。
 しかし、描いているのは、その中でも文永合戦(文永の役)の緒戦にあたる対馬での戦闘である。
 なんともマイナーな題材の選び方だ。
 が、これは、「圧倒的不利な状況下での戦争」を描くために、作者・たかぎ七彦が選りに選ってつかみだした舞台だ。
 元寇における対馬戦争にフォーカスし、流刑人として送られてきた元御家人・朽井迅三郎の活躍を描く。
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_KS00000007010000_68/

皇国の守護者』と比較せざるを得ない

 対馬は、元・高麗連合軍の最初の侵攻に見舞われ、壊滅的な打撃を受けた土地とされている。そこの地頭だった宗助国が壮絶な戦死をしたと言われている。本書でも『八幡愚童訓』が引用されて、その戦いぶりが描かれている。*1


 つまり、対馬は「モンゴルの侵攻を受け、圧倒的武力によって徹底的に殲滅された場所」として認識されている。
 本作でもこのような場所認識を設定に生かす。
 さらに、そこに、少弐景資が「7日後に援軍を連れてやってくる」という約束を、主人公・朽井迅三郎と交わす設定が加わる。


 とくれば、これは『皇国の守護者』の新城直衛ですよ。
 突如侵攻してくる〈帝国〉に対して、〈皇国〉側は連敗で圧倒的に不利。北領から撤退戦をする中で、新城はそのしんがりの任務を担う。大隊が全滅する中で、水軍の中佐からさらに10日間の時間を稼ぐよう要請される。


 そしてこのビジュアルですよ(下図参照)。
*2
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 もうね、意識していないと考える方がおかしい


 ぼくはかつて、新城の「瞳」について書いたことがある。

その瞳に注目してほしい。「漫画のなかにあって、眼はもっとも重要で特権的な記号である」と、ある漫画評論家は述べた。新城の眼自体はとても大きいが、瞳はこの作品の登場人物の中で最小である。内面を過剰に表す少女漫画の巨大な瞳とは正反対に、それは新城の内面を覆い隠す絶妙の役割を果たしている。この絵柄によって、「得体の知れない」戦術を駆使するのにふさわしい「得体の知れない」キャラクターとなったのである。(拙著『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』p.162)

 そのようなキャラクター造形として、朽井は新城に、はっきりと劣る
 この瞳の小ささが生かされていないのである。
 新城は、無意味な「散華」のための突撃を嫌い、できるだけ多くの将兵の命を守ることをモットーとしつつも、撤退を完了させるための、戦術機械といってもいいほどに目的に固執する。目標とする時刻まで、敵をこれでもかと足止めし、任務を完遂するのである。
皇国の守護者 (1) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ) そして、それは単に新城のキャラクターということを超えて、近代的な軍人の定向進化の果て、ともいうべき普遍性を備えている。硫黄島やペリリューで抗戦し抜いた日本の軍人たちを思い浮かべずにはいられない。*4
 このような「戦術機械」としての得体の知れなさを表すのには、この瞳がまことにふさわしい。物語を最もよく表現するためにこのグラフィックがある。


 しかし、朽井は、一体なんのために対馬で徹底抗戦をしているのか、8巻もでた現時点で、未だにその理由がよく見えない
 これは、本作の中心部に蟠踞している明確な欠陥である。
 いや…8巻で「旦那は一体何のために戦ってなさる?」と問われるシーン(p.176)があるように、ひょっとして作品の最後でこのテーマが明らかにされるのかもしれない。ただ、「なぜ戦うか」というエートスを隠したまま8巻まで物語を引っ張るのは、あまり効果的とは言えない。

輝日姫の描き方はなんとかならんのか

 もう一つの大きな欠陥は、輝日姫の描き方である。
 Amazonのカスタマーズレビューで1巻の朽井に対する詐欺的な引き止め方をもって「キャバ嬢」などと書かれていたが、そこまで言わんでも、「幼馴染にプンプンしちゃうおてんば美少女」に見えて仕方がない。制服の方が似合う。安徳帝の子孫であるという重みもない。


 輝日は勇猛で果敢な軍人なのか、可憐で無垢な深窓の姫なのか、有能で利発な才女なのか、はっきりしない。例えば『皇国の守護者』の東方辺境領姫・ユーリアのような。
 単調なキャラクターの色つけをしろ、というのではない。
 しかし、輝日の今のキャラクターとしての曖昧さは、人格の複雑さを描いているというよりも作者が描きあぐねている、ということの結果にしか見えない。朽井に好意を抱いてキスしたりするシーンも唐突だし、作中でどのような役目を持っているのか、いまひとつ理解できないのだ。


 元・高麗連合の中にある多様性(モンゴル、旧南宋、高麗)と矛盾。
 対馬を防衛する側にある多様性(外部の罪人、地頭勢力、刀伊祓、裏切り者)と矛盾。
 本作では、これらの諸要素が絡み合ってタペストリーのような豊かさを編み出す……はずであった。しかし、逆に複雑化してしまって、『皇国の守護者』のような、「不利な状況下での戦術的命令の固守」といったテーマの絞り込みができずに、拡散してしまっている印象を受けた。

本作の面白さ(1)――圧倒的不利な状況下での突破

 では、本作はつまらないのか、と言えば、そんなことはない。
 本作の面白さは、二つある。
 一つ目は、そうは言っても、圧倒的不利の状況下で朽井がどのようにしてそれを突破するのか、という点である。
 二つ目は、単純に元寇にかかわる周辺の歴史情報を細かく描き込んでいることの面白さである。


 1つ目について。
 すでに1〜7巻まででこのテーマは存分に展開してもらったのだが、金田城攻囲戦に舞台が移り、8巻にいたってさらに元・高麗連合の援軍が到着し、いよいよ絶体絶命となる。
 どうやってこの危機を打開するのか、説得力ある描写をぜひとも見せてほしい。
 ちなみにAmazonのカスタマーズレビューには、たかぎの戦闘シーンの描き方が下手くそだと書いているものが散見されるのだが、そんなことはまったくない。
 グラフィックは抜群に上手いと思うが、戦闘シーンの要諦は、彼我の位置関係と攻守のやりとりが瞬時に読者に理解されるかどうかであり、この点では、作者・たかぎの描写力は申し分ない。

本作の面白さ(2)――周辺的な歴史情報が魅力

 二つ目について。
 いろいろ不満点はありながら、本作を買い続けてきたのは、一つ目の理由による「マンガとしての面白さ」からであるが、その後元寇鎌倉時代に関する本をいくつか読んだ後でもう一度読み直した後では、本作が周辺情報として描いている部分が無性に面白くなってきた。


 例えば8巻で登場する高麗の内部事情。
 高麗は30年にわたりモンゴルに抵抗するのだが、結局敗れてその支配下に入る。その弱小王朝の悲哀を8巻で描いている。こうした高麗理解は、例えば新井孝重『蒙古襲来』の中にも書かれている。
 高麗で即位した忠烈王は民衆の極度の疲弊をかえりみることなく、元の要請に応えて軍事動員を準備する。

忠烈王は民の惨苦をかえりみず、ひたすら帝国に軍事貢献することによって、モンゴル世界における己が立場を維持しようとした。だが、かれのその姿勢には複雑で屈折した怒りの感情が鬱勃としていた。洪茶丘が自分や金方慶に対して誣告の策謀をめぐらしたとき、王はクビライにむかって必死の弁明をすると同時に、強硬な日本遠征を主張した。そのときの態度は、たんなる媚でも愛想でもないようだ。名状しがたい意地のようなものが滾っていたのである。(新井p.140)*5


 これ自体が一つのドラマになりうる豊富な素材なのだ。


 あるいは、朽井迅三郎が「罪人」とされることになった、御家人時代の物語、名越時章が討伐される「二月騒動」を描いた4巻。
 ここには、執権を生み出す北条得宗家の独裁へと道を開く矛盾が描かれている。*6

元寇戦争全体を描くように期待する

 たかぎは、対馬での合戦が終われば、この作品を閉じるつもりであろうか。
 それはどうにももったいない。ぜひ、元寇戦争全体を描いてくれないだろうか。
 いろいろ文句をつけてきたのも、たかぎと本作に期待するところが大きいからである。少なくとも8巻まで買い続けさせる面白さが本作にはあった。


 特に、文永合戦で、鎌倉武士(というか九州武士)が圧倒的な敗北を強いられたという史実の中に、「朽井」を蘇らせることができるのではないか?


 文永合戦について、歴史学者の筧雅博は次のように述べる。

文永の役は、ただ一日の戦いである。が、その凄惨さにおいて、ほとんど類例を見ない。(筧『日本の歴史10 蒙古襲来と徳政令講談社学術文庫、p.101)

 そのような「凄惨さ」を出現させてしまった最大の原因が、戦法の違いである。

元・高麗連合軍と迎え討つ鎮西御家人は、戦いの場における行動様式を著しく異にしており、しばしば後者の振る舞いは、前者のためには嘲笑の的でしかなかった。すなわち、鎌倉武士の誇りとする一騎打ち戦法は、蒙古兵にまったく通じず、集団のなかに取り籠められて命を落とすものが相次いだのである。(筧p.101)

蒙古側から見れば、全体の統率者を欠き、同族単位で駆け入ってくる鎮西御家人は、くみしやすい相手と見えたかも知れない。(筧p.102)

 ここには、単に「戦法が違う」というレベルにとどまらない、深い戦争思想・戦闘動機・社会構成体の違いがある。

鎌倉時代の武士の「戦功」は、おのれの力と技と勇気、つまり「武勇」を証明する意味が強かった。具体的には敵中へ一番駆け・敵首の分捕り・自身か従者の討死あるいは負傷といったことがらが「戦功」とされた。これらの戦功はいずれも、全体から切り離された個人の行動と結果であり、戦争全体の戦略や戦術の中に位置づけられることはなかった。武士たちがどんなに勇壮に戦っても、戦争の勝敗について意外なほど無関心であるのはこのためで、この無関心は彼らの戦功への強い関心(願望)と、ちょうど裏腹の関係にあったといってよい。(新井p.78-79、強調は引用者)

 …日本の場合合戦に参加する武士は、なによりも自立した農村の領主であることが多く、そうではなく寺や神社の神人武士・商人・輸送業者などであるであるとしても、かれらは主権的個人として、平生から武器を所持していた。したがって、かれらが武士団としてあらわれる時には、あらかじめイエを単位に組織されており、それらの武士団が一カ所に集合して軍勢となるわけである。
 その場合、戦功と恩賞が単位組織(イエ)の戦闘を動機づけていたから、軍勢が整然とした隊形を作ることはなかった。合戦を始めるのに鏑矢を上げこれを合図とするが、あとはそれぞれがばらばらに戦う。こうしたところを見ると、日本の軍勢は個の自律・自立性が強い集団であったといえる
 これに対してモンゴル軍は日本の軍勢のようにイエを前提にするのではなく、個々の兵は戸(イエと同様の共同体)から切り離されて、徴発された人々であった(軍戸制という)。……高麗の軍隊も、イエを単位とするのではなく、国家が軍隊を管理した。……モンゴル軍の軍事力はモンゴル・高麗いずれも、初めから〈個〉ではなく〈全体〉としてあらわれるのである。(新井p.80-81、強調は引用者)

 「全体から切り離された個人の行動と結果であり、戦争全体の戦略や戦術の中に位置づけられることはなかった」! そこで朽井迅三郎ですよ。戦略家・戦術家として立ち現れるわけですわ!


 史実において、文永合戦で鎮西御家人たちは、元・高麗連合軍に、いいようにやられて、その日のうちに、大宰府周辺の水城まで後退してしまい、すっかり戦意阻喪してしまう、という感じなのだ。
 しかし、どこで戦闘をしたかについては、あまりはっきりしていない。
 いや、はっきりしている場所はあるけども、それは全体像ではないのである。
 そこに、朽井が登場して、全く新しい戦法をとったということにしたら、面白いんじゃないか?


 文永合戦における九州本土での戦闘は「一日の戦い」(筧前掲)というのが通説であるが、最近、九大の歴史学者である服部英雄によって1日ではない、という説も唱えられている(服部『蒙古襲来』山川出版社、2014年)。
 だとしたら、存分に、朽井の活躍を文永合戦でも弘安合戦でも描けるのじゃなかろうか。

余談 対馬は島をあげて戦ったのか

 『アンゴルモア』は、それこそ対馬全島で元・高麗連合軍と戦ったという前提になっている。この記事の冒頭に述べたように、現地の地頭である宗助国の奮戦と戦死も『八幡愚童訓』に記されている。
 しかし、先ほど述べた九大の歴史学者・服部英雄は『蒙古襲来』で、そこに疑問を投げかける。
 まず文永合戦における疑問の根拠としては、高麗正史に対馬の記述がまったくないこと。日蓮系の文書には宗助国は「逃亡」した、死んだのは息子たち、とするものが目につくこと。そして、そもそも服部は『八幡愚童訓』を“八幡神のご利益を説くための、作り話”として厳しく退けている。

文永でも弘安でも、対馬島民の大半は、親しい高麗を受け入れたし、後世にいわれたような島をあげての激戦はなかったと、本書は想定する。(服部p.141)

 弘安合戦については、『高麗史要節』に記される「日本世界村」をまず襲ったという記述を通説では対馬の「佐賀(さか)」のことであるとしているが、服部は「世界」は「siga」と読み、それは現在の福岡市の志賀島にあたる「志賀」のことだと主張する。対馬教育会編『対馬島誌』の日野清三郎の指摘をあげながら「高麗は対馬を日本と表記しない」(服部p.389)というのがその根拠だ。
 対馬は、朝鮮と日本に対して「二面性・両属性」をもった付き合いをしていたのだと服部は主張する(服部p.458)。

*1:他方で日蓮関係の文章(『金綱集』など)では宗助国は逃げたとか、死んだのは息子たち、などの叙述がある(新井『蒙古襲来』p.52)。

*2:たかぎ七彦アンゴルモア 元寇合戦記』1巻、角川コミックス・エース、p.156

*3:佐藤大輔原作、伊藤悠漫画『皇国の守護者 壱』集英社、p.104

*4:もっとも新城の「降伏」と「名誉のための戦死の拒否」は最終的にはそうした旧日本軍への批判となっているのだが。

*5:この叙述自体は、文永合戦の後の様子を描いたものだが。

*6:ただ、この騒動が朽井に何をもたらしたかのかは、あまり明確ではない。いや、言ってるよ。罪人として担がれる籠の中で、朽井は「太刀を突きつけられて太刀を捨てればただ奪われるだけよ」と思い知るっていうことを。しかし、それが朽井の中での教訓だとしても、今そこに迫る元・高麗連合軍との戦争になんか役に立つのかなあ…と思ってしまう。