古処誠二『死んでも負けない』

ビルマ従軍経験者はうわごとで誰に謝っているのか?

死んでも負けない (双葉文庫) 『この世界の片隅に』関連で文献をたどり、古処にたどり着いた(←イマココ)。
 とんでもない小説である。
 ビルマ戦線を生き延びた、粗暴きわまる祖父を、現代の高校生が観察する体裁をとるのだが、祖父が日射病(熱中症)に倒れてから繰り返す寝言(うわ言)、「申し訳ありません」「申し訳ない」は、一体誰へのものなのか、という謎解きをする小説である。一種のミステリーでもある。(ゆえに、ネタバレは、本作の面白みを半減させる。この記事の次章に結末が示されるので、承知して読んでほしい。)
 ああ、これは自分の不注意で死なせてしまった部下とか戦友*1とか上官に対する贖罪の言葉であろう、と誰もが察する。「ありきたりな」戦争小説ならそうするであろう。
 しかし、いかにもそれらしい結論になるだろうというフラグが小説の途中に何箇所も散りばめられるので、逆にぼくは「いや……これは孔明の罠だ」と用心深くなる。「部下や戦友に対する謝罪と見せかけて、別のものに誤っているに違いない」と。
 祖父は敵兵を殺しまくり、味方の糧秣を奪い、現地人ともトラブルを起こしていたことを「武勇伝」として自慢げに語り続ける「猛者」である。戦後も、息子や孫に鉄拳制裁を加える家長として振る舞う「大暴君」だ。
 うーむ。
 このような暴君が戦友の死に贖罪の意識を持っていたというのは、「意外」ではないので、じゃあ……現地人じゃないか!? 現地でひどいことをした住民にアレな気持ちを持っていた。
 これが「意外な結末」だろう。
 どうだ?

えっ、それが謝罪相手の正体なの!?

 ところが。
 読み進めていって、とんでもねー結論にたどり着く。


 なんとご先祖様に謝っていたというのである。
 祖父と同じくビルマ戦線への従軍経験を持つ、捕虜収容所仲間が解説する。
 祖父の上官や上級者たちには、日露戦争日清戦争を経てきた者やその薫陶を受けてきた者たちがいる。近代日本の「初代」たちは、かくのごとく苦労をして列強の支配を跳ね返し、むしろ世界の一等国の地位を築き上げてきた。
 ところが、祖父たちの世代、すなわち近代日本の「三代目」でそれを全て失ってしまった。
 大失敗したというのである。
 とりわけビルマ戦線というのは、敗勢が濃くなり始めた「大東亜戦争」の起死回生策であり、日本軍が勝利すれば、ビルマやインドなどのアジア民族が反植民地闘争=反米英闘争に立ち上がるのではないかという予想があった。しかし勝てなかった。
 祖父は、そのことを詫びているというのだ。
 そして、どうやらこれが小説の結論らしい。


 なんということだ。
 「三代目取り潰し」説という司馬遼太郎的与太の変奏を読まされているのか、と思わないでもないが、作者・古処誠二の意図はそこにはないのだろう。

「戦友たちへの贖罪意識」批判

 従軍した兵士たちに広く贖罪意識としてあると信じられている、「戦友・部下・上官上級者たちに対する生き残ったものとしての罪の意識」というのは、それほど普遍的なものではない、という批判なのだ。
 そのことは、本作で、最後に、ビルマの「戦友」が語る次のセリフに現れている。

死んだ兵隊に詫びる必要なんかありゃしない。戦地での生き死には運だよ運。すべてが運の結果だった。……兵隊の死は鴻毛より軽い。隊の誰かが戦死したからといって、いちいちタケさんが気に病む必要はない。タケさんは先祖に申し訳なく思っとるだけだよ。だから毎日仏壇に手を合わせておるだろう。(古処『死んでも負けない』kindle1602-1627/1874)

 もちろん、そういう意識を持っている体験者がいることも古処は否定しないだろう。しかし、それは不自然だと古処は言いたいのではないか。いや、自分(古処)の方が正解とまでは言わなくても、少なくとも、「こういう意識を持つ人もいるんだぜ」という示し方をしたかったのであろう。
 この小説は、錐で揉み込むように、この1点――「戦友たちへの贖罪意識」を普遍的なものとして書く描き方への批判に照準を合わせて書かれている。


 世の中にある、兵士ではなく被爆者の手記には、「生き残った」ことへの贖罪意識が溢れているという。

それで、五万点以上もあると言われている被爆者の方がたの手記や体験記を手に入るだけ読んだ。その手記を読んでゆくうちに、もっとも驚いたのが、「生き残ったのが申し訳ない」とおっしゃっていることでした。(井上ひさしの発言/『戦争文学を読む』朝日文庫、p.176-177)


 ぼくも「ユリイカ」2016年11月号(こうの史代特集)で、引揚体験者であり、戦争を生き延びた世代である絵本作家・あまんきみこのインタビューを引いて、「戦争被害者」としての民衆の意識の一断面を紹介した。

古処の史料・記録への慎重な向き合い方

戦争文学を読む (朝日文庫) 今紹介した『戦争文学を読む』の中に、「戦争を知らない世代の戦争文学を読む」の章が末尾にある。そこで鼎談形式のインタビューに答えているのが古処だ。そこには、古処の資料扱いや再現に対する過剰とも思える慎重さが横溢している。
 古処の小説で戦争末期を扱ったものについて触れられて、古処は次のように答える。

所有している資料に戦争末期のものが多いというのが大きな理由の一つです。戦中は新しい法律がどんどんできて、国民の意識や知識も変われば、兵役制度も変わってきます。ですから、うかつに遡ると思わぬミスを犯す可能性があります。今、東部ニューギニアに材を取って、四二年から四三年にかけて短編で書き繋いでいますが、一歩一歩薄氷を踏むような執筆になっています。(古処の発言/『戦争文学を読む』朝日文庫p.297-298)


 また、戦争を体験しようがしまいが、個人として感じることに大きな違いはあるまいという感慨を述べた後で、次のようにも言う。

ただ一ついえるのは、事実確認はないがしろにしてはならないと言うことです。その目が読者側にもあれば、戦争神話の類は自然と淘汰されるはずです。私の小説に考証ミスがあれば遠慮なく指摘してほしいし、私も誰かの小説を読むときには、そうした目を持たなければならないと思っています。(同前p.302)


 古処は、「調べた上で書く」のと「調べたことを書く」のは違うんだと述べ、例えば日付を入れるような書き方は、「後知恵」のような、全能の神の視点のような気がすると述べたり、「不必要に日付を入れると、いかにも調べました、資料で確かめています、と主張しているようで」(同前p.308-309)とも言っている。
 回想記に出てくる意識の多様性についても、こう指摘する。

回想記の類を読むたびに知らないことが出て来ますし、それまでの認識とは正反対のことが書かれているケースもあります。こうなると、何が正しいとか正しくないとか言っても仕方がないと思います。(同前p.299)

それこそ虫の目の数だけ物語があるわけで、機会があれば全く同じ空間と時間で、誰か別の視点で小説を書くかもしれません。(同前)


 紹介しきれないが、古処のこのインタビューは、ぶっきらぼうというか、できるだけ言葉少なにして、作者のおしゃべりによって作品のイメージを狭めまいという、強烈なストイシズムを感じる。
 ただ、その中でも、戦争を体験したことのない世代として(自身は自衛隊出身であるが)記録や調査を踏まえて書いており、そこで間違えないかという恐れをいつも抱いていることを、しつこいほどに語る。
 そしてインタビューや「現地事前調査」という方法にも慎重である。インタビューによって特定の個人に拘束され、そのことが小説にハネ返ることへの恐れを持っている(直接に古処が語っているのは、実在部隊などを出さないことで迷惑をかけないという趣旨なのだが)し、現地に行くのは「答え合わせ」のような気持ちで後から行くようである。

ノンフィクションではなく小説という手法を古処が選ぶ理由

 戦争を体験していない世代が、記録や資料・史料と徹底して向き合いながら、慎重に当時を再現しようとする態度は、実にこうの史代片渕須直を思い出させる。具体的な方法は異なるとはいえ。
 本作もそのような努力と態度の上に築かれた作品であろう。
 出てきた結論は「とんでもない」ものだった。
 ビルマ従軍経験者がうわ言で述べていた、つまり心の底から感じていた謝罪は、戦友たちに対してではなく、なんと近代日本を作ったご先祖様に対してだったというのだから。
 ここには、古処なりのロジックがある。
 例えば、体験者の証言で戦友やら部下やらへの贖罪意識が出てきたとしても、それは「後知恵」の可能性はないか。当時の一番前線で活発に戦っていた兵士や下士官が抱いていた意識とは、こうではなかったか――これこそがノンフィクションや証言形式のドキュメンタリーという方法を取らない、小説としての古処が選んだ結論であろう。

「笑える戦争小説」を目指した本作

 この朝日文庫に載ったインタビューは2008年のものであるが、このとき

極端な話ですが、笑える戦争小説をいずれは書きたいと思っています。戦争が悲惨だというなら、その「正解」に反することも挑みたいと。そのためにも体力をつけないといけません。(同前p.311)


と述べ、そして本作が2012年に上梓された。本作は「笑える戦争小説」として古処が描いたものに違いない。

戦争世代は不気味な他者のまま放り出される

 そうやって出てきた結論、「ご先祖様への謝罪」ほど、ぼくのような左翼を置いてけぼりにする結論はあるまい。共感も、同情もしようがないではないか。祖父は人殺しを誇り、今も暴君であり、理解不能な存在のままである。
 ぼくの祖父も、山東省に派兵された世代であるが「匪賊」の討伐を誇り、戦争観ではついにぼくとはわかりあえぬまま、亡くなった。ちなみに古処はぼくと同年代であるから、祖父の年齢は似ているはずである。不気味な他者のまま祖父は死んだ。
 リアルに見れば、まず祖父世代はそのように在った。そこから出発するしかないのかもしれない。


 そういう意味では、「とんでもない」結論であるし、不愉快な結論でもある。
 ちなみに、この作品では文体が軽薄。祖父の豪放磊落さを表そうとする台詞回しや言葉遣いが単なる軽さになってしまい、それがよく調べていない内容を語っているのではないかという薄さにもつながってしまっている。そのことが気になってぼくがこの作品を読んでも、ぼくには「笑い」は起きなかった。
 さらに加えていえば、主人公とそのガールフレンドである高校生の描写に違和感がある。主人公は、まるでぼく(=古処)の世代の現在の主観のように見える。見えるけど、いいんだ、それは。骨格である謎解きのロジックはしっかり支えられているから。


 ぼくを不愉快にさせた、というのは、この作品の中心部分が成功したことの証明であろう。


 戦後世代、ぼくとほぼ同じ世代が戦争について作品を作り、その態度がよく似ている、というのは興味深いことだ。

*1:ここでの「戦友」は「同じ部隊に属して生活をともにし、戦闘に従事する仲間。戦場でともに戦った友」(大辞泉)のこと。古処は別の著作で、戦友とは厳密にはベッドが隣り合っている一年兵と二年兵のこと、とか書いているが、とてもそんな使い方はできねえw