柳原望『かりん歩』1巻


 ぼくの故郷は愛知だ。喫茶店が実に多い。多かった。
 つれあいは、ヨメとして実家に行くたびに、喫茶店の多さに驚愕していた。何しろ、ぼくのいた小学校区にコンビニができたのは、ぼくが故郷を出て社会人になり、相当時間が経過してからであったけど、田んぼにぐるりと囲まれたぼくの集落に喫茶店ができたのはぼくが小学生の時だった。集落の外れ、田んぼの中に出現した。そのあとも隣の集落にさらにできていた。
 統計的にどうなのか知らないけど、実感として多いな、と思う。*1
 喫茶店はどのように使われていたかというと、中小企業の社長をしていたぼくの親父が、昼間に打ち合わせる時などによく使っていた。また、自宅に遠方からの客を泊まらせるのだが、朝は家でご飯を食べさせることもあったが、喫茶店に行ってモーニングを食わせていた。


 名古屋の喫茶店は、コーヒーに豆がついてくることやモーニングが変わっていることで有名だ。
 名古屋のモーニングについては、次のような由来があるとされる。

 …名古屋の家庭用パンの購入額は6大都市で最下位です。同じ外麦の大輸入港である横浜や神戸のように首都圏や関西圏という大消費地もなく、パンが売れない地域なのです。
 一方で名古屋は全国随一の製造業地帯です。下請け町工場の需要から喫茶店が非常に多い地域で、当時はサービス合戦の真っただ中でした。そこで中堅パンメーカーは喫茶店向けの業務用パンを新たな販路にして生き残りを計りました。
 パンが売れない名古屋で、パンの消費を拡大させたのはコーヒーにトーストを無料でつけるモーニングサービスだったのです。(小泉和子「昭和とパンのおはなし」7/「しんぶん赤旗」2016年12月16日付)

 「サービス合戦」を背景に、喫茶店の顧客に合わせたカスタマイズというものが進んだのだろうと推測する。
 喫茶店が地域の客の好みにぴったりと合わせて姿を変えていくことは、最適化のための進化戦略のように思えるが、他方で、それは新たな客を排除する異様な雰囲気を生み出す。チェーン系カフェの画一性と好対照をなしていく。
 愛知でもこうした従来型の喫茶店が潰れ、コメダの一人勝ちといった状況が生じているのを見ると、後者(画一的であっても、その中で「シロノワール」や量のあるコーヒー、居心地の良さなど、人気のある、強いサービスを画一的に押し広げていく)の方法のが圧倒的に強いのだろう。


 『かりん歩』は、就職難に苦しむ女性(市井かりん)が、商店街にある名古屋的な喫茶店を祖父から受け継ぐ物語である。
 ところが、祖父の死後、すでに縁を切ったと思っていた祖母が現れ、実は離婚していないので、喫茶店の土地と建物の相続権を主張する。祖母(松江多加子、本名市井多加子)は敏腕経営者で焼き鳥チェーン「とりどり」を展開している。多加子から、かつてかりんの同級生(石居理央)が送り込まれ、顧客に徹底的に合わせてしまう名古屋的な喫茶店と、データに基づく合理的判断を重んじるチェーン系経営との対決構図となる。
 とはいうものの、そう単純でもない。
 かりんの側は、決して「商店街の客至上主義」というわけでもなく、「家賃が払えるほどの儲けをあげる経営」を目指す合理性を備えようとする。他方で、「とりどり」側は必ずしも画一的な経営ではなく、進出した地域に合わせた店舗のカスタマイズを行なっており、ただ経済力にモノを言わせた経営をしているというわけではないのだ。
 ただ、大きくは、顧客に合わせて変化する戦略と、チェーン系の合理性、この二つの要素が対決の軸になっている。
 

 古い商店街がどうやって再生するか、もしくは生き残るか、という話題になった時、「買い物弱者支援」、すなわち高齢化したお年寄りの元への配達などといった話になることが多い。つまり高齢化した地域のニーズやウォンツを細かくつかむ仕組みを作って、それに合わせたらどうか、という方向である。
 これがなかなかうまくいかないのは、高齢者が日常的に買い物をするのはせいぜい生鮮3品であり、生鮮3品が揃っていない商店街、あっても1〜2店舗で、とても注文を受け、配達をする人員が割けないからだろう。買う量も細く、実入りも意外と少ない。
 妙案はなかなかない。


 こうした中で、果たして本作はどういう結論を出すつもりなのか。
 まだ始まったばかりなのでこの対決がうまく展開されていくかどうかはわからないが、期待しながら読んでいる。


 前作『高杉さん家のお弁当』でも発揮された、地理学の分析ツールを駆使する手法も健在である。
 文芸評論家・奥野健男の「原風景」論をもとにした、「原風景地図作り」というのにぼくは興味を持った。思わず自分でも作っちまったよ


 というわけで、読む箇所ごとにいくつも引っかかりがある。
 演出の中心となる対決要素も鮮明。
 読みながら、とりとめもなくいろんなことを考えさせてくれる、豊かなマンガだ。

かりん歩 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

*1:その後、統計を見たけどやっぱり多いな、愛知。人口当たりで全国第3位。http://www.region-case.com/rank-h26-office-cafe/  人口1千人当たり喫茶店従業者数ではトップな。 http://www.stat.go.jp/data/e-census/topics/pdf/topics95_2.pdf 「家計調査では県庁所在市及び政令指定都市別に1世帯当たりの『喫茶代』の支出金額を集計しており、愛知県名古屋市は 14,301 円と、全国平均 5,770 円を大きく上回る金額で全国第 1 位となっています。」ふむ、つまり名古屋市民は喫茶店に金を使っている市民であると。