NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の本日(2014年9月14日)放映分は、なんと「城井谷の悲劇」である。
ぼくは以前のエントリで、“どうせNHKはこの官兵衛の黒歴史は描けまい。ハハハハ”と侮りまくっていた。
NHKパンフの描き方にみられるように、大河ドラマの主人公が謀殺などをした男であってはならず、このエピソードがとりあげられることはまずない。
職場でこういう話が好きな人と、「まさかあのエピソードは扱うまい」と話題にしていた
かなり、しっかり、はっきり扱いましたね……。ええ。
NHKの描き方は、次の通りである。
- 宇都宮に大敗したのは官兵衛ではなく、息子の長政の独断専行であって、官兵衛の天才軍師としての実績には傷はつかない。
- その後の宇都宮攻めでは、長政が作戦を立てたものの、官兵衛の承認のもとにおこなわれた「官兵衛の管理下の戦争」であって、しかもその戦争によって宇都宮側は孤立し、もはや和睦をする以外に道はなくなっていた。(官兵衛の天才軍師性の発現)
- 平和主義者である官兵衛は、宇都宮を家臣としてとりこんだ。最初は反発していた宇都宮鎮房や鶴姫も次第に「黒田一門」の中に馴染んでいたのだ。ところが、秀吉のあまりの理不尽かつ苛烈な「反乱経験者は絶対に許すな」という圧力の前に、官兵衛は謀殺にふみきった。
もちろん3.には、肥後で反乱を抑えきれずに秀吉につぶされる佐々成政を目の前で見てきたという事情をしっかりと描き込む。NHKでは「黒田家が生き残る道はただ一つ」と官兵衛に独白させるシーンをもりこんでいるので、「平和主義者である官兵衛の選択を秀吉が無残に断ち切った」という描き方である。
中津市監修の屋代尚宣のマンガ『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』と比べると1.は同じである。
2.もほぼ同じだが、宇都宮の篭城を最後まで力攻めするのは犠牲が大きすぎるので、最初から騙すつもりで和平をもちかけている。
したがって3.は、宇都宮をそもそもこのまま黒田一門の中に組み込もうとする意図は官兵衛にはなく、屋代尚宣のマンガではもっと前の過程から秀吉の意向を恐れていたということになっている。*1
マンガ『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』に所収されている中津市教育委員会(三谷紘平)の解説では、鎮房謀殺の理由について、
鎮房はあくまでも旧領安堵を秀吉や官兵衛に主張していたものと思われます。それが宇都宮鎮房という中世武士の生き方だったからです。先祖伝来の所領や領民を守ることが、中世の領主の使命であり誇りでした。しかしこの考えは、新しい武士社会を作ろうとする秀吉の政策にはそぐわない、結果的に古い考え方であったといわねばならないでしょう。(p.142)
と記している。
これはそのとおりだと思うし、宇都宮の反乱とそれが一定支持された理由でもある。
問題は、それならなぜ黒田は宇都宮を力攻めで攻め落して滅ぼさなかったのか、ということだ。
宇都宮を力で滅ぼさなかったのは、NHKの描き方は「軍門に下るなら無駄な戦争はしないですむ」という平和主義的動機での和平ということになり、屋代マンガでは「犠牲が大きすぎるのでやがて謀殺すればよい」という描き方になる。中津市教育委員会(三谷紘平)の解説では、
大軍を持って〔「以て」では?〕城井攻略にあたった黒田勢の前に城井のゲリラ軍も次第に押され、残すは城井ノ上城まで兵を引いた鎮房が拠る本陣のみとなりました。〔1587年11月〕二十四日、官兵衛と〔吉川〕広家は合議し、鎮房に対して和睦の使者を送りました。
このときの逸話ですが、一気に勝負の決着をつけるため鎮房本陣を切り崩すべきと主張した吉川広家に対し、官兵衛は待ったをかけたといいます。後日、広家が官兵衛になぜ兵を引いたのかを尋ねると、官兵衛は先日長政が大敗した鎮房に、広家が大勝利を得るのは困ると笑って答えたといいます。(p.135-136)
と書いている。まあ、息子の面目が丸つぶれになるので、戦争で勝敗をつけなかった、という説明である。
どのみち宇都宮は滅ぼさねばならない、という決意をしていたという点では、屋代と中津市教育委員会は同じ立場であり、NHKは異なる立場だということになる。
屋代マンガ=中津市教育委員会が描くように、中世的発想に固執する土着勢力を一掃することが、近世権力たる秀吉の意志だとすれば、秀吉の「宇都宮滅亡」指令は「合理的」なものであるし、その流れにしたがった黒田家にも一定の「合理性」がある。
他方、NHKの描き方では、「自分に逆らったものを生かしてはおけない」という個人的嗜好にもとづく暴虐、その前に屈した官兵衛、ということになる。
ぼくが支持するのは前者である。
まあ、それにしても……ちゃんと描いたことは評価する。NHK、よくがんばった。