この本ではじめて、行政書士と弁護士の間に「縄張り争い」があるということを知った。
この本の魅力はどこにあるのか
この本は実話系の漫画だ。行政書士である主人公(シバタ・タカヒロ)が大阪弁護士会から「非弁活動」(弁護士でもないのに弁護士にあたる活動をしたという弁護士法違反の行為)をしたとして告発されたのである。シバタはむろんそんな告発を批判する。自分のやったことは行政書士として当たり前のことで、非弁活動でも何でもない、というわけである。本書はシバタの妻(シバキヨ)が描いたものだ。
本書について斬込隊長こと山本一郎が書評を書いているが、
たまに、結構本腰で歯車に立ち向かう人たちがおるわけですけれども、ああいうプレッシャーへの対処って完全にダークサイドに落ちるか無条件降伏するかというような極論に走りがちで、陰謀論者になったりアウトサイダー同士でつるんで傷を舐めあって体制批判に精を出したりするのが通例なんですけれども、本書は軸足が完全に「家庭」にあり「夫婦生活」が砦であって、そこからまったく動かず事態に翻弄されつつ夫婦の絆だけで語り尽くしているという点が非常に新しい。普通は、もっといろんな登場人物がわいわいやるもんなんでしょうが、そこは一切ブレないんです。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/06/post-0ec6.html
この漫画は何を面白さのドライブにしているのかといえば、実は主張の当否よりも、あす逮捕されるんじゃないかという恐怖とその期間に「副業」をしてしのぐ苦労(つうか楽しさ)である。
えっ、行政書士なのに、こんな副業すんの!? とか楽しい。そのあたりを味わいたいという動機なら本書は楽しめるだろう。
シバタの主張の「正しさ」の根拠を知りたい
ただ、ぼくのようなひねくれ者には、やはりシバタの主張が正しいのかどうかが気になる。
そもそも行政書士とはどういう仕事なのかなじみのない人もいるだろう。ぼくもほとんど知らなかった。そこで「日本行政書士連合会」の公式サイトから、その業務について書いた部分を引用してみよう。
行政書士は、行政書士法(昭和26年2月22日法律第4号)に基づく国家資格者で、他人の依頼を受け報酬を得て、役所に提出する許認可等の申請書類の作成並びに提出手続代理、遺言書等の権利義務、事実証明及び契約書の作成等を行います。
http://www.gyosei.or.jp/introduction/
役所に出す書類の面倒臭さといったらないわけで、それを正確に速くやってくれるというふうにイメージしてもらえばいいだろうか。
ところが、弁護士もこの資格を兼ねているのだけども、その線引きをめぐって争いがおきている。漫画『カバチタレ!』『特上カバチ!!』にもとづくドラマが行政書士の仕事をこえて弁護士の活動を無資格でやっている非弁活動だということで大阪弁護士会がそのDVDの販売などに文句をいう事件があった。
シバタのどんな行為が大阪弁護士会の逆鱗にふれたのか。
実は、問題となったシバタの仕事そのものについては、本編ではなんと17ページから19ページまでのわずか3ページにしか描かれていない。それ以外にはシバタタカヒロ本人の補足コラムの1ページだけである。
ぼくはこの問題についてまったくシロウトであるし、ましてやこの事件については事件の詳細な経緯や書類さえも一切見ていない。何よりも大阪弁護士会側の主張や反論を見ていない。ぼくは一方の主張だけを聞いて「なるほどね」と説得されることは実は結構あるんだけど、この漫画を読んだとき、「うーん、ちょっと弁護士会側の主張も聞きたいなあ」と思ってしまったのである。
しかし、この漫画のどこにも体系だっては出てこない。
いや、まあ、ないことはない。
でも、
書類を作って
相手に送りつけることは
【示談交渉】であり
弁護士法違反になります
というような断片では、「なるほどこれがシバタと争っている側の主張か」などと思うわけにはいかないではないか。*1
この問題の基本構造は、弁護士でない人が弁護士の活動をしてはいけないという領域が法律で定められているのだが、それがどこまでの範囲なのかをめぐる問題である。そりゃ「縄張り争い」じゃん、どうでもいいだろ、と感じる人はいるはずだ。本書も、“近年弁護士が過剰で経営難に陥る弁護士もおり、それで仕事を奪われるのをおそれている”というむねの説明をしている。
この問題を「縄張り争い」だととらえる人が増えれば、本書=シバタの側に分があることになる。なぜなら、「縄張り争い」だということになれば、多くの人にとって争っている中身そのものはどうでもいいことになり、「すでに既得権益をもつ大きな団体が、反抗する個人をつぶそうとしている」という構図が前面に出てくるからである。中身を問わずに、この構図だけを問題とするなら、既得権益を守ろうとする大きなモノと戦う個人がカッコよく見えるし、大義がありそうに感じられるというものだ。
弁護士会側の「大義」を越える大義を見出してほしい
だが、そもそも弁護士法でなぜ「非弁活動」を禁じているのかというもともとにさかのぼって考えると、近代以前は「三百代言」といわれる人間が訴訟の代理をおこない、トラブルがたえなかったし、現代でもモグリのこうした行為が問題となっている。だからこそ「非弁活動」への厳しい目があるのだ、というのが弁護士側の大義であろう。
さらにこれを厳格化させて、「行政書士は、ホントに書類の代理執筆みたいなことに徹するべきだ」という解釈になっていく。
この点はシバタ自身がガジェット通信の連載*2でも弁護士会側の言い分を次のように述べている。
「依頼者が言うことをそのまま書面にするなら作って良し! 行政書士の法的判断や助言は書面には一切反映させるな!」
と言い出すのです。
つまり、弁護士に言わせると行政書士は依頼者から言われたことをそのまま書面にする権限しか無いということなのです。
http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20110530/Getnews_119043.html
だが、これを読んで、ぼくには「この弁護士会側の解釈でもいいんじゃないか」というふうに思えてきてしまう。まったくのシロウト判断にすぎないのだが、理由は「わかりやすいから」。
もちろん、ぼくは、大阪弁護士会に何の義理立てをする理由もない。
だから、シバタの議論に分がありそうだと思えばそちらになびく。
シバタがぼくのこの感想を見て「そりゃおかしい」と思うのであれば、行政書士が単に代書ロボットではなく法的判断や助言をすることの積極的な意味をもっと展開すべきではないかと考える。
ぼくは左翼活動家だから、「生活相談」というのをやることがある。
話は法律のことにも及ぶ。
この活動はぼくにかぎらず、日本中で展開されているけども、それが問題にあまりならないのは「報酬なし」という点ですっぱりと線が引かれているからだろう。
そして、もしこれが「非弁活動」という告発を受けたとすれば(あるいは72条の改定によって無料相談自体を禁止するとすれば)、お金がない人たちが法律紛争で何ら解決の糸口を見出せないままとなる非道を積極的に訴えるだろう。
シバタが逮捕や起訴をされなかった、というのは一つの事実として残るわけだが、単なる「縄張り争い」という印象をこえて、弁護士会側の非を圧倒的に示したいなら、そこまで議論をつめていく必要があると思うのだがどうだろうか。