玉野和志『町内会——コミュニティからみる日本近代』

 町内会の本を出したことがあるので、住民団体の講演会などに招かれることがある。その時に「町内会ってそもそもどういう歴史を持っているんですか?」と聞かれることがある。

 あるいは「戦争の時の『隣組』が起源ですよねえ」と同意を求められることもある。

 

 だけど、これらに答えるのは実はぼくの手に余ることなのだ。

 それこそ、研究者がその問いについての答えを膨大な時間や手間を使って発表し続けているテーマなので、おいそれと答えるわけにはいかないものである。

 例えば近代以前にあった村の自治のしくみを町内会の「原型」とみなすかどうか。それによって起源をいつにするかが全然変わってくることは理解してもらえるだろう。

 とはいえ、何かの答えをしないければならないので、拙著『“町内会”は義務ですか?』(p.144〜)のコラムでは、現在のような「行政の下請け」というイメージの原型ができたのは戦時体制の時です、というほどのことを答えている。

 

 玉野和志『町内会——コミュニティからみる日本近代』(ちくま新書)はその問いに答えている。

 

 

 と言っても、単に一般的な「町内会の歴史」の本ではない。

 町内会が危機に瀕し、各地で様々な困難やトラブルを生んでいるという現状認識を共有した上で、その危機がなぜ生まれているのかを探るために、町内会とはもともとどういうものか、そのために歴史を探るのである。

 マルクスヘーゲルのいう「歴史=論理」である。

 乱暴に言って、町内会には、住民の自主的・自治的な組織という側面と、行政の末端・下請けという側面がある。この2つの面のどちらをどう強調するかで町内会の捉え方が変わってくるし、町内会というものの今後をどう展望するかも変わってくるだろう。

 町内会の歴史にあまり詳しくないという人は、この2つの側面・要素を軸に見ていけば出発点の理解はできるし、本書を読む際にも、記述の細部にとらわれすぎないで太い論旨を読み取れるのではないかと思う。

 

本書が説明する「町内会とは」

 ぼくなりに理解した、本書の主張の、大雑把な流れは次のようなものだ。

  1. まず、明治期には支配を揺るがすような農民の運動(地租改正への反抗)があって、豪農層の上層部だけが制限選挙で政治に参加できるようになったが、現場の農民リーダー、末端の農民が完全に排除されたわけではなく、行政の執行に協力するという形で権限を限定しながら参加と包摂をする「自治」制度ができあがった。これが「町内会」の原型だというわけである。
  2. しかし資本主義が発展し労働争議・小作争議が盛んになって支配制度がふたたび動揺する。労働者は都会で小金をためて自営業者になる。顔をよく知る農村とは違い誰が隣に来るかわからないような都市化の進展の中で自営業者たちは親睦の集まりを作っていく。これを行政が再発見し、町内会として組織し直し、やはり支配の中に組み込んでいく。貧乏農家の次男・三男だった人たちは都市で小さな自営業者になり、「臣民」として認められ、支配への末端での参加と包摂に組み込まれるのだ。ヨーロッパにおいて、労働組合の包摂が民衆の体制内化を進めたのと似た役割を日本では町内会が担ったのだと玉野は考える。

 

意思決定への参加は巧妙に排除しつつ執行には協力させる

 1.の性格づけを見て、なるほど今の町内会について思い当たることはある。

 政治の意思決定への参加は巧妙に排除されながら、行政の業務の遂行には協力させられる。その実行への協力に限った中で、いろいろ意見が言えるし、行政側もかなりその点では町内会の意見を尊重してはいはいと言うことを聞くからである。

 なんとなく行政の意思決定に参加している気分を味わえるし、実際にある程度までは声を聞いてもらえるのだ。

 例えば、ぼくの住む福岡市では九州大学の跡地利用をめぐって地元の町内会(正確には自治組織の連合体)が「意思決定」のテーブルについている。しかし、そこでは大きな路線はすでに決まっていて、部分的な問題にしか事実上口は出せないように、巧妙にコントロールされている。「地元の合意は調達しました」という「やってる」感だけを演出するための道具として駆り出されつつ、ごく部分的な「あそこに並木を」とか「ここに公園を」程度の意見しか聞いてもらえない。「こんなところにスマートシティなんか作るなよ! 財界のモルモットじゃないんだぞ。住民アンケートで示されたデカい防災公園作れ!」というような抜本的な意見は絶対に認められないのである。

 同時に、行政からの様々な「依頼」は膨大な量にのぼっており、一定の改善は図られるものの、地域から不満の声がいつも出されている。

 玉野はこのような参加のさせ方を「芸術品」と呼ぶ。

 いやあ、まさにそうだわ。

 そして、このような「参加」のありようは、まさに町内会に限ったことではない。

 日本の組織のいたるところに見られる光景である。

 さらに言えば日本だけでもない。例えば中国共産党のシステムは、末端の意見を汲み取る上で、ある種の「民主的」な性格を持っている。

中国共産党というと、上意下達のイメージが強いでしょうが、このように基層党組織を見ると、上意下達のみではなく、下から上への意志や情報の流れも存在しています。実態としては、上意下達と下意上達が組み合わされています。(西村晋『中国共産党 世界最強の組織 1億党員の入党・教育から活動まで』星海社 e-SHINSHO、pp.67-68、Kindle 版)

 …重要決定事項には上級党組織の承認が必要になります。

 言い換えれば、上級党組織は一種の拒否権を持っているわけです。上級党組織が下級党組織を統制する力の正体は承認の権限にほかなりません。…

 党員大会で最も時間を要するものが討論です。表決の前に支部の党員が意見を表明したり質問をしたりする時間をとります。もし、議論が長引くならば、会議を別の日に持ち越しても問題ありません。討論が終わったら表決ですが、一般的には過半数の賛成で可決、そうでなければ否決となり、少数意見は多数意見に服従することになります。

 この辺りは「民主的」かつ「自由」な仕組みなので、中国と関わったことがない日本の読者の多くが意外に思われるかもしれません。中国人は自己主張が強烈な傾向があります。高い教育を受けた人でもそうでなくとも、意見や要求をバンバン言います。中国共産党について、単に上から言われたことをしているだけの組織というイメージを持っている方も多いかもしれませんし、確かに党是や理念などについては上に服従しているわけですが、実際の細々したことの決定については、そうでもありません。むしろ日本の様々な組織のほうが、上の決定にはとりあえず従うとか、会議などで強烈な主張や要求をしないという傾向は強いかもしれません。

 とはいえ、党支部の意思決定は民主的な側面だけで構成されるわけではありません。少数は多数に服従し、末端は中央に服従するという仕組みと組み合わされています。(西村前掲p.65)

 しかし、統治の大もとは揺るがないように管理されている。根本的な意思決定への参加は巧妙に排除されているが、「自由」で「民主的」にものが言えて、実際に現場レベルの意見や修正は、まさに現場の声無しには進まないのである。

 それは日本でも実によく見かける光景ではないか。

 進歩的だと自称している政党にもそれはあるし、政党に限らず、PTAや労働組合など、いろんな組織でそれは感じる。

 

臣民として認められる

 2.について言えば、地域団体から長年の功労者に対して勲章の推薦があるけども、あれはまさに玉野のいうところの「臣民として認められる」プロセスの顕現なのだろう。

 …町内会を積極的に支えたその担い手は、主として都市の自営業者層であった。彼らの多くは村落の小作や雇いの出身で、農民層分解によって村落を出て都市に流入し、労働者や雑業者として生活の資を求めた人々であった。…

 行政による奨励と整備をへて、戦時体制の下で正式に位置づけられたことは、村落を追われ、労働者としては弾圧され、それまではひとかどの人間として決して遇されることのなかった彼らが、初めて天皇陛下の臣民として認められると言う、かけがえのない体験であった。(玉野p.100-101)

 ぼくの父が語るぼくの祖父(つまり父の父)像は、「家のことをロクにせずに、村の公的な仕事ばかりに精を出していた」というもので、父の僻目を差し引いたとしても、祖父がそうした「村役の名誉」に相当執心だったことがうかがえる。

 彼は農家の長男で家や土地を持っていたが、彼なりの「臣民として認められる」ことの追求であったのだろうと思う。

 

 本書がこうした町内会の歴史的成立を説明することで、その後の戦後における町内会の役割やそこで見せる様々な矛盾をうまく説明していけるようになる。他にもいろんな説があるのだろうが、その展開はなかなか見事なもので、「ううむそうだったのか」と唸ることが多い。

 例えば1970年代に町内会は地域コミュニティとしての新たな装いのもとで「完全な住民自治、要求団体化」の方向を目指すのだが、その動きはやがて圧服されてしまう。それは革新自治体をめざす住民運動を反映したものであったし、その衰退とともに、その動きに勢いがなくなっていったのと、もともと町内会の原型を考えればそのような急進化は支配層の許すところではなかったのである。

 また、単なる行政の執行への協力というだけで町内会は満足していたかと言えば、そこをはみ出して、地元の保守政治家との結びつきを強め、その選挙に関わることで、政治参加をするルートを切り開いていったというのは、これも町内会の歴史から説明することで新たな得心がいくものなった。

 そして、今日起きている様々な町内会の危機は、こうした近代に成立した民衆統合の仕組み、自営業を中心にした統合システムの解体として捉えることでより根本的な理解ができるのだとしている。

 

本書が展望する町内会の今後

 さて、その上で本書は町内会の今後についてどう展望するのか。

行政の側の統治性については、つねに最大動員システムとして住民の側に自発的な協力を求めつつも、意思決定への関与については、これを巧妙に避けるという特質を有してきた。(玉野p.132)

としつつも「はたして、このような都合のよい特質がこれからも維持できるのだろうか」(同前)と問い、「もはやそれは不可能であると観念」(同前)するべきだと答えを出す。

 玉野は、もはや町内会が次の世代の若い人を結集し、動員させることはできないと結論づける。その上で

そこで町内会を、住民が誰でも参加して、行政とともに協議し、決定し、場合によって議会に要求を突きつける、そんな開かれた協議の場にするというのはどうだろうか。(玉野p.135)

という提案を行う。行政にモノをいう窓口機能だけにしてしまおうというのである。行政にとっても意思を集約する便利さがあるではないかとメリットを説く。

 これまで行ってきた具体的な地域のための活動は有志の市民団体に任せたらいいだろうと言う。

 

 これは、具体的な地域活動のリストラぶりについては、ぼくののべる「ミニマム町内会」に近い。行政の下請け機能の継続や、これまでのような役割の延長が不可能であることをきっぱり認めた点は慧眼である。

 しかし、町内会をその地域を代表して「行政にモノをいう機関」にするというのは、ぼくの著作の中でも部分的に取り上げている。

 個人的には、こういうふうに町内会が変身できるならそれはそれで歓迎である。

 ただこれ(行政にモノをいうこと)はぼくのように、そういうことを面白がり、やりがいを感じる人間にはいいけども、一般の人がそれをやるのはずいぶんしんどい、もしくはハードルが高いようにも思える。

 

 歴史的な役割にまでさかのぼるという根気のいる作業をして町内会の現状を眺めたときに、長期的な視点でこの地域組織が今後どうなるかが見えてくるというものであって、Amazonのカスタマーズレビューなんかにあるように、この本に即効的な町内会改革などを求めて勝手に「失望」している向きがあるが、それは著者がかわいそう。そういう本ではない。

 

 

拙著が参考文献に!

 本書の参考文献として、拙著が2冊紹介されている。

 巻末にも、そして本文にも。

 

 

 本書の第1章はぼくが取り上げた問題への一種の「返歌」のようなつもりで読めた。

 いやあ、うれしくなっちゃうじゃないですか!