鬼頭莫宏『のりりん』2巻

のりりん(2) (イブニングKC) 河合克敏とめはねっ!』8巻を読み、その後なぜか鬼頭莫宏のりりん』2巻を読み直すという機会があったんだが、「ウンチクの解説量を漫画でどうさばくか」ということを再び考えた。


 このテーマはこれまでも何回か考えている。


 『とめはねっ!』は高校書道部の話。『のりりん』は自転車というかロードバイクの話。どちらも膨大にウンチクが登場する。


 自分も『理論劇画 マルクス資本論』をつくっといて何だが、僕自身はもともとウンチクのような漫画を敬遠気味なのである。なのに、この2作は苦なく読める。というか楽しいぞ、そのウンチクを聞くのが。むしろ。

 何が違うのか。

 『とめはねっ!』はたとえば8巻の場合、「散らし書き」の説明をするのに、勝負=順位づけの要素を展開にもりこみ、物語の緊張を味わいながら、自然に「散らし書き」における優劣の論理を知ることになる。
 読者は、主人公のユカリが思いついたアイデアがいったい何位になるのかドキドキしながら読み、それがその順位になった「理由」を食い入るように読むだろう。


 『のりりん』の場合、ウンチクを語り続けているのは主人公を自転車に乗らせるきっかけになった女子高生・織田輪の母親である。この母親が一人でずっとウンチク、というか自転車にかんする知識と自転車論を喋り続けている。
 この母親のキャラクターとしゃべりに依存している。

 この母親、明らかに「ラーメン屋の奥さん」じゃなくて、作者自身が憑依した、鬼頭節。

 母親の顔をみてわかるように、瞳が描かれず、いつも笑っているような表情が読み取りにくい造形にされている。まあ一種不気味な顔で、その顔のまま、自転車嫌いの主人公(丸子一典)とロード乗りの勝負を勝手に設定したり、「あいつに勝つ方法を教えてください」と懇願する主人公に「あるわけないでしょ そんなの」「丸子さんホント自転車なめてるわねぇ というか世の中?」と切って捨たり、何を考えているかよくわからない、かつ冷徹な調子。
 そしてまあ、この母親、実に「イジワル」というか主人公の丸子をいじめている感じ満載で、そこがいいのであるが。

 何を考えているかわからない、ということは、次にどんな言葉を繰り出すのかが予想がつかないということだ。冷徹というのは、頭がよいということだったり、俯瞰して見ることができるということだったりする。だから、不気味だということと冷徹だということがあわさると、同じことを説明するにも、意外な角度づけをしてそれを語ったりする。

私 お店に初めて来たロード乗りには
カラアゲをサービスで出すんだけど
その反応でね
どのくらいトレーニングしている人か
わかるのよ


走れる人
もしくはそれを目指してトレーニングしている人は
大体喜ばないわね
むしろ迷惑そうな感じ


ロード乗りは体脂肪率
自己管理と自己満足のバロメータだから


 「ロード乗りは体脂肪率が自己管理のバロメーターである」という命題を料理して説明していることがわかるだろう。そしてそこに「自己満足の」という皮肉っぽい一言を入れることが、対象から距離をとった客観性を小さく、しかし的確に表現している。


 図(鬼頭『のりりん』2巻、小学館、p.82参照)をみてもらうとわかるが、かなり文字量が多い。文字が重なっているコマも大して(絵的に)工夫されているわけではないことがわかるだろう。ひとえに母親の「語り」によって支えられているのだ。




 このウンチクのあとも、母親の断定調の語りは続く。

ロードってのはね
本当


正直で単純なスポーツなの


走った距離に比例して
速くなる


極端な話
草レースなんか
レースをせずに
それまでの1年間にどれだけ走ったかで
順位を付けてもいいくらい


まあ
これはちょっと冗談としても
本当にトレーニング量と速さの相関関係が
はっきりしてるのよ

 うーん、こういうことなんだろうと思う。
 マルクス経済学は、すでに教育体系が定まっているので、不変資本・可変資本の説明の仕方、相対的過剰人口の説明の仕方、資本の原始的蓄積の説明の仕方……そういうのものがすべて「予定調和」的である。
 教育体系というのは、わかりやすくする、という必要性の中から生み出されたはずのものであるが、別の言い方をすると「だれでもわかりやすく教えられる」ためのものだから、簡単である反面、平板でつまらないものになってしまう。

 『資本論』の2・3巻の解説本をもしつくるとしたら、こういうことを心がけないといけないはずだ。
 たとえば商業資本の説明なんかはどうだろうか。公式的説明は、

商業資本は、市場を拡大し、流通期間を短縮し、流通費を節約し、資本の回転をはやめることによって総剰余価値から投下資本にたいする配分(商業利潤)を受け取る。(『社会科学総合辞典』)


となるが、商業資本の説明のポイントの一つは、それ自体が価値を生み出さないことだろう。母親と丸子に登場してもらってもし説明をしてもらったらどうなるか。


母親「商業資本って何の価値も生まないの」
丸子「そりゃひどくないですか」
母親「どうして」
丸子「だってコンビニとかいっぱい売っていっぱいもうけてますよ。あれがあるおかげで、ものすごく便利だし」
母親「あのね メーカーがやればいいことをやってるだけなの 社会的にみればメーカーの営業の一部門が独立したみたいなモンなのよ」

 どう? どう? なんか頭良さそう? わかりやすくなった?