ヤマシタトモコ『HER』

HER (Feelコミックス) 20代後半から30前後くらいの独身男性の悩みや喜びといったものを描いたマンガにはそろそろ共感を示せなくなってきたかもしれない。しかし、女性のそれは相変わらず楽しく読める。「そりゃあ、お前がそういうオンナとヤリたいからじぇねーの」という失礼にも程がある暴言については徹底して無視することにする。

 というわけで20代後半を中心にした女性の気持ちの揺れやら悩みやらが描かれている短編集『HER』は、ぼくの最近の楽しみである。20代後半ばかりではなく、男や女子高生も「主人公」になっているので「20代後半」などと括ることは乱暴な話だが、ぼくが読んで受けた印象なんだから放っておいてほしい。

自分のスタイルを貫くけどモテたいと思っている女

 第一話(CASE.1)に登場するのは、「キレイな人」だと他人から評価されているが、他方で「コワい」とも思われている女性の話だ。主人公の井出は、ある会社のアルバイトをしている。
 「服オタ」と卑下するものの、個性的なファッションをまとう井出は、媚びることが嫌いである。モテルックをした女性が美容室で近くにやってきたとき、

あーゆーの好きな男にバカしかいないって
思っちゃうの あたしだけ?

と美容師にそっと軽口を叩く。

なんだありゃ
世界中の男に好かれたいのか?
男が好きですって
全身で言ってるようなもんだろ

と内語する井出は、コケティッシュな女性を軽蔑する。「コワい」とは隙がないことであり、媚びていないことであり、自分の価値をある種の頑さで守ろうとする固さを言い表している。
 そういう女性というのは、概して「私は男のために媚びたりしない。私が何者にも侵害されずに渡しらしくあり続け、その結果として私を好きな男だけが来ればいい」と思っている。こう書くと皮肉っぽく言ってるようにみえるけども、実にまっとうな人間的要求である。

 しかし、井出の難しさは、自分らしさという価値を決して媚びのために曲げたり放棄したりする気がないというのに、なんと「世界中の男にモテたい」「選ばれたい」という願望をもっていることだ。でも誰も近寄ってきてくれないのだ。

 まあ、そんなに珍しいことじゃないよね。そういう女性、いるよ。確かに。

 こういう女は一体どうしたらいいんだろうね。

 ヤマモトが考えた「答」は、井出の中にある方程式を破壊することだった。
 「世界中の男が自分を選ぶ」という大仰な比喩で表現されている「選ばれるはずの価値ある自分」というものが実は空虚なものだということを認めること。そんなものがありはしないのだと認めることで、選ばれるはずの価値をもつ自分がいないのであれば、世界中の男たちが自分を選ぶはずもない。価値ある自分を多数の人が選びにくるという構図が壊れる。
 そして、構図を逆転させる。
 「誰かたった一人を好きになる」という、自分の中に起きてくるであろう衝動にこそ耳を傾けるのだ。選ばれる自分ではなく、自分がたった一人を選びにいくのである。
 自分が止むに止まれず欲するそのただ一人の男のためにだけ自分「改造」することは、「世界中の男に好かれたい」ためにする媚びではない。たとえその自己改造が「変態」じみたものであったとしても、好きになったたった一人の男のために変わることは、きっと素敵なことではないのか。好きになったら空虚さを見透かされて傷ついてもそんなことはどうでもよくなるはずだ。
 井出はそう思ったに違いない。違うかな。

 男から言わせてもらうと、「キレイ」ならいずれ誰か選びにくるんじゃねーの、そんなにあせらなくてもいいんじゃね、ということだ。つまり井出は悩みすぎなのである。「あたしだけ選ばれない」。そんなわけないって。

不毛な関係にハマってしまうことの恐怖

 CASE.2の主人公は31歳の美容師・小野房だ。
 小野房は客から「モテるでしょ?」といわれるような容姿をしているようだ。
 しかし、彼女には「怖い」という思いが年々強くなっている。それは美容師という職業を選んだために結局仕事に生きることになり、長続きする恋人もできず、このまま仕事だけ、ひとりぼっちで人生が終わるのではないかという不安である。
 そんな小野房にとって、美容室によくくる「男前」の男性客・三上は非常に恐ろしい客である。三上は「床屋談義」として自分の不倫癖をあけすけに話す。カードを捨てるように若い女を捨てながら、妻というカードは決して切らないその狡猾に、小野房は表面上じゃれあいながら、内心、

たとえばわたしが年をとって
ひとりでどれくらいさみしかろうと
ひっかかるまい
この男だけには

と決意する。決意するのは恐ろしいからである。自分がひっかかりそうで。決意は自分への言い聞かせなのだ。
結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日 (幻冬舎文庫) 益田ミリ『結婚しなくていいですか。』には不倫という形ではないが、アラフォーの女性が未来への不安や焦燥のあまりに「ろくでもない男」をつかんでしまう恐怖が描かれている。
 30代女性にとって、不倫とか不毛な恋愛へハマることの恐怖はことほどさように強い。恐怖が強いのはそれだけ抗えない魅力がそこにあり、ハマりやすいからなのだろう。

20歳のときは焦っていた
25歳のときはさみしかった
31歳になった
――ただ怖い

というモノローグのあと、真っ暗な中に置かれた小野房が描かれる。そこに暗闇から幾枚かのカードを持った手だけがぼんやりと浮かび上がる。どれかを選べといっているのだ。小野房はためらいがちにそのカードに手をのばすが、つかもうとしているカードには三上が「JOKER」という言葉とともに描かれている。

だってわたしったらもしかして
このままひらすら働いて
いずれ一人で死ぬんじゃないか

 このシークエンスがぼくは大変好きである。というかカードに手をのばしている迂闊な小野房の顔が好きだ。何度も見返す。つか小野房がこの中に出てくる女性では一番好きなんだよ。「疲れ果てて、不倫に手を出しかけている30女がヨダレが出るほど好きなんだろ」というお前! そうお前だ。放課後ちょっと校舎裏に来い。

 作者=ヤマシタは小野房を救済してしまう。街ですれちがった真っ白な枯れた、しかし颯爽とした老女を「きれいな髪」と形容する。その形容には、自分が今つかんでいる仕事や余暇をどれ一つとして放棄する理由がないことを再確認し、ジョーカーを引かないことを決意するのだ。
 女性である(と思うんだけど)ヤマシタはこういう救済を描かざるをえなかったのかもしれないが、ちと性急である。小野房は「未来への恐怖」の中に放っておけばよかった。小野房はその恐怖の中で孤独にさいなまれていてほしかった。べ、別に男目線からじゃないんだからねっ!!


美しい説教もしくは繰り言

 CASE.3は女子高生・西鶴が主人公だ。この世代特有の極端に排他的な同調圧力の友人関係の中で暮らす西鶴はその価値観に染まりつつも、息苦しさを覚えている。

あたしの
あたしたいの決まりは
とにかくフツーってこと
フツー
月9見なくて深夜番組見てるやつヘン
ラジオ聴いてるやつ ヘン
カラオケで洋楽歌うやつ
第一ボタンまでとめてるやつ
声でかいやつ
ダイエットしないやつ
コイバナきらいなやつ
前髪超短いやつ
あいつも
こいつも
そいつも
ヘン

 西鶴は「ヘンさがし」をする自分と自分たちのグループが、次々と世界の豊かさを剥奪し、自分たちの世界を貧しくしているものだということに、気づく。自分の無価値さがそのような“異端狩り”に自分たちを追い込んでいるのだと知ってしまうのである。

 なーんて。

 そんなこと、高校時代は気づきゃしねえんだよ
 西鶴が相談した老女・武山が述べたようにね。
 なのに、ヤマシタはわざわざ西鶴に「気づかせて」いるのである。おかしいじゃないか。
 これは、女子高生への説教でもあるし、女子高生だった自分たちへの、言ってもせんのない後悔の繰り言である。説教や繰り言を警句のようにして美しく飾る、まさに詐欺的な作品がこのCASE.3という短編なのだ。でもまあそれが美しく飾られているんだから、読んでいて楽しいわけだよ。

「……ふっ
 …花を好きなのを黙ってたことも
 名字が嫌いなことも2年すれば忘れて
 その3年後には今気にしているようなことは
 どうでもよくなる
 …その5年後
 16歳の自分が大切なものを
 ドブに捨ててきたことに気づく」


「……何それ
 予言?」


「人類にあまねくふりかかる呪い
 世界の決まり」

 こんなふうにね。

 この短編集に出てくる女性は、どれもこれも好みだ(except花河)。もっとヤマシタトモコのこういう話が読みたい。