作者の自伝的マンガ。
大学を卒業してプータローの瞳子と、その家族、なんの性的においも感じない2人の男友達をめぐる、だらだらした日常。
おもしろい、ただそれだけの本。
吉野朔実は、このマンガの「あとがき」で、不安だけど呑気にくらしていた自分の二十代を、加齢とともに距離ができて冷静にみられるようになった、とのべているけど、ぼくにはそれだけじゃないような気がする。
吉野朔実が、初期の作風を脱して、意識とか精神というものを客観物として、突き放してながめるようになったことは、前にのべた。
近年、吉野のこの傾向は加速している。プロフィールに出生年を明示するようになったのは、少女漫画家として何かを飾ろうとか衒おうとかする態度と絶縁したことを意味するように、ぼくにはうけとれた。自分の経歴さえも、虚飾をすべてとりはずし、ごろりとした客体として眺めようとする姿勢は、どんどん強まっている。
そうしたからどうだというものでもなく、ただただそのことが、彼女のマンガをぐんぐん面白くしているのである。
ぼく的には、冒頭の「俄か雨」の、母子関係が、まるで自分の話みたいだと思えた。
食事しながら本を読む、それを母親にとがめられまとわりつくような「コトバの反抗」をする、そして自分の母親の俗人ぶりと対比的な友人の母親の「粋」――夢野久作の話題で笑いあえるような――にときめいてしまう……ああ、ぜんぶおれのことじゃないか、と思って読んでしまった。
この話の最後に、母親をはじめて他人のように思い、母の身の上を泣いたというエピソードも、同じ。
そして、そうやって、母親と自分を客観視して、はじめて自分の母親への依存が反発や憎悪となっていることを自覚するのである。
ああ、やっぱり同じ。
くり返しくり返し読んでしまった。
そして瞳子みたいな女性がいたらひかれるだろうな、とおもった自分は、自分を映した鏡を愛しているってことだな、ってな感慨がよぎり苦笑してしまうのであった。