鴨居まさね『雲の上のキスケさん』

 

 

 他人がラブラブなマンガを読むというのは、ノロケを聞くようなもんじゃないか、と思うかもしれないが、どうにも面白いんだな、これが。ファンだといえる漫画家の一人。

 OLだった眉子が会社での人間関係につかれたころ、漫画家の「こでら きすけ」に出会う。
 この眉子とキスケの、アホでラブラブな日常をとともに、他方で、それに糧をえるかのようにして進行していく眉子の新しいエステでの仕事も描いていく。

 ぼく的には、2巻が圧巻。
 眉子が家で本を読んでいると、いっしょにいたキスケが眉子に被いかぶさって、本の感動する場所にくると、「センサーが感知して」眉子の体にいたずらをする。
 そうやって、だんだん情痴にふけっていくわけだが、そのなかでも、「知ってる?」といって、タコが交尾しているとき、オスの腕がメスの体に入って、腕が白くなるっていう話を突然キスケが紹介し、「かわいいと思わない?」と聞く。
 眉子は(それはかわいい)と思ってしまったりする。

 また、風呂場で2人でだきあっているのが、どうしようもなく心地よくなって、トイレにいくのも我慢していた眉子が、風呂場で失禁してしまうというエピソードにつながっていく。

 ……ああ、もう、なんだか文字にすると、すごく恥ずかしいぞ。

 犬上すくね(『恋愛ディストーション』)のラブラブぶりっていうのは、妄想のツボはついているけども、リアリティーはない。けらえいこのセキララシリーズは、ほんとうによくあるエピソードを厳選して提示している(そしてそこからセックスを一切消してしまった)。
 他方で、鴨居まさねの『キスケさん』は、どこにもないような特殊きわまるエピソードのくせに、妙なリアリティーがある。そのラブラブぶりが、30前後の社会人カップルの空気を濃密にあらわしているように思う。

 ところで、鴨居まさねのマンガには、ぼくは、そういうラブラブさだけじゃなくて、ときどき息苦しいような厳しさがただよっているのを感じる。
 たとえば、仕事にたいする厳格さ。この作品では、眉子が新たに勤めるエステ店の店長が、きわめてクールで、仕事や接客について高圧的とも言える厳格さで眉子に接する。鴨居の有名な『スイート・デリバリー』では、マヤさんという、やはり仕事に厳しい女性が登場し、デコラちゃんという主人公格の一人に徹底的に教えさとす。

 鴨居は、こういう女性たちをどちらかといえば好意的な、リスペクトするような気持ちで見ている。
 それに指導される女性(眉子とかデコラちゃん)は、おそらく鴨居に近い、分身的な存在なのだろう。

 ぼくには、正直、そういう男性も、女性も、息苦しい。そして、それを受け入れる感性というのにも、ある種のうとましさを感じる。
 有無をいわせないような高い峰として屹立しているような存在がほしいとは、ぼくは思わないのだ。
 それは、鴨居が依存的であるということではなく、自己への厳しさが、そういうものの存在を欲するんじゃないかと思う。ちゃらんぽらんにみえて、じつは、仕事への厳しいモラルを鴨居がもっているんじゃないだろうか。

 もう一つ。『キスケさん』のなかで、眉子がマニーという女友だちを実家につれていったとき、ふいに、家族から父親にむかし暴力をふるわれた話がとびだす。そのとき、眉子は、笑ってごまかそうとするのだが、マニーはそれは眉子のトラウマになっていることを敏感に察知して「もうじゃべるな」ときつくいう。
 「友だちには知られたくなかったな」
 とキスケに泣いて抱き着いてその話が終わるのだが、ぼくは、いきなりシリアスで息苦しく、刺々しい空気をその場に感じた。
 まったく突然にこういう話が挿入される。

 ぼくは、鴨居まさねという人物は、根底で、こんな寂しさや厳しさ、傷心のようなものをかかえているのだと思う。
 初期の短編には、笑うというより、切ない、ペーソスの効いた話が多く、いまのようなラブラブ路線にもその根底にこうしたものが流れている。

 ぜひいろんな人に読んでほしい。


 
 

採点83点/100
年配者でも楽しめる度★☆☆☆☆
2003年 1月 15日 (水)記