大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』


もしPTAをしなくていい権利をお金で買えたら - Togetterまとめ もしPTAをしなくていい権利をお金で買えたら - Togetterまとめ


 「PTAは任意団体なんだから退会すればいいのに…」とならずに、こういう問いが成り立ってしまうのは、このまとめの中の終わりの方のツイートにあるように、同調圧力がこわいからという1点につきるだろう。


 うちの地域の子ども会は加入率が25%ほどに落ち込み、夏休みのラジオ体操の保護者当番が続けられなくなり、なんとPTAにこの当番の話が回ってきた(この体操に出てハンコを押す)。子ども会を回している親たちにかわり、夏休みのラジオ体操当番をPTAの会員が全員輪番で出席してやれ、というのである。*1
 地域の子ども会はもはや任意加入という意識が強く浸透していて、どんどん入らなくなっているからだ。


 知らない人のためいっておくが、子ども会とPTAは全く別組織である。子ども会は地域の任意団体であり、PTAは学校を単位とした任意団体である。前者も後者も昔は半強制加入だったが、今は前者には「入っても入らないでもいい」ということが浸透しているが、後者が任意制であるとは思いもよらない人たちが未だにぼくの住む地域には多い。
 全く別組織であるはずのPTAにこの仕事が最近降ってわいた訳で、「子どものため」という旗印で、半強制加入で豊富な労働力を持っているPTAの負担は増える一方である。

地域ぐるみの子育ての一端を担ってきた子ども会が、減少の一途をたどっている。福岡市内にある子ども会は、人数不足のため4月から活動を一時休止し、子どもたちは隣接する地域の子ども会に加わることになった。……全国子ども会連合会に加盟する会員数は2015年度で約280万人と、ピークだった1981年度の約3分の1になった。(西日本新聞2016年4月10日付)

 そしてこれはPTAの幹部(活動家)や学校関係者が思い描く、典型的な悪夢でもある。任意加入を認めたとたんに、こうした崩壊とも言えるような現象が起きるに違いないと。

ぼくはいま任意加入の徹底を求めているが

 ぼくは、転校した今の小学校で、PTAの任意加入を求めている。
 いや、PTAはもともと任意加入なのだから、厳密にいうと、(1)規約に明記すること、(2)入学時などに任意であることを知らせること、(3)入会届・退会届を出すようにすること、を求めている。
 ぼくはヒラ会員なのでこんな根本議論はPTA総会ぐらいでしか出せない。
 いきなりこの3つはハードルが高いので、「今年1年かけて研究・検討に着手する」という提案を要し、事前に会長に見せた。
「できれば役員会として、役員会から提案してもらえないか」
 会長からはていねいな電話があったが、結論的に言えば、それはのめないということだった。
 仕方なく、総会のヒラ場でいきなり動議提案せざるを得なくなる。説明をするがとても十分な時間は取れない。
 大半は戸惑って手もあげず、「提案に反対」に手を挙げた中の出席者が「提案に賛成」よりも多かったので提案は否決された。


 その総会の場で、ぼくの提案を受けて会長が「任意加入をどう伝えるかは課題だと思っている」「今後考えていきたい」と述べた上での否決だったので、それコミで否決されたのだろうというのがぼくの解釈だった。


 したがって、その後、PTAの係(専門委員会の副委員長)をやりながら、何度か「運営委員会」(PTAの定例的な意思決定の会議)や会長にただしたが進展はなく、会長からやんわりと「役員会としてはこれ以上協議はしない」というむねを伝えられた。


 ぼくはあきらめられず、今度は校長に「請願」を行った。
 校長は官公署=学校機関の公職だから、請願法にもとづく請願の対象になる。
 そして、「PTAは任意組織だから学校としては知りません」と言われないように、PTAの規約で校長が校長としてPTAに組み込まれていることを示して、PTAとしての話ではなく、公職者としてどう振る舞うかという問題になることを述べた。
 実は、ここから劇的な進展があったのだが、まあ、それはまた別の機会に述べる。この記事にとってはそこはどうでもいい。

何かに取り憑かれているのではないか?

 PTA会長も、役員も、そして校長も懇談をしたのだが、こわがっているのは「任意であることをきちんと伝えてしまうと、組織が瓦解する」ということだった。そのあまりにもわかりやすすぎるモデルが、その学校の地域の子ども会なのだった。加入率25%の悪夢。


 少なくとも、ぼくの娘が通う小学校のPTA関係者たちが取り憑かれているのはまさにこれ。
 任意加入にしたら、誰も入らなくなる、そして仕事が回らない、ということなのだ。


 だからこそ、ぼくは何度も会長にも言ったし、校長にも述べた。
「任意加入といっても、ぼくが示している3つをいきなりやれということでなくてもいいんですよ。例えばまず規約に書くことを検討してみるとか。それに、活動の仕方だって、今の委員会制度を前提にするから、『あの仕事はどうするんだ』『この仕事も今でもギリギリなのに』ってなるんですよ。それを1年くらいかけて研究したらいいんですよ」
 有り体に言えば、1年研究して、まずは、こっそり規約に書き込むだけでもいいのである。それがぼくの提案に「応えた」ということになるのだが、とにかく彼ら・彼女らにとっての前提は、

  • 任意であることを大々的に知らせたら、崩壊する
  • 仕事が回らない

 こればっかりなのだ。
 いやー、ホントに何かに憑かれてるんじゃね?
 妖怪とか。


 思考が凝り固まってしまっているのである。
 校長に聞いたが、ぼくの娘の通う学校では、PTA非加入は一人もいない。例外なく加入。それほどまでに「加入しなければならないもの」ということが浸透している。ぼくは「任意加入についての提案が今後全く受け入れられないなら、来年度は退会することもありうる」というふうに告げている。
 非加入者が出れば、おそらく質的に違うものになってしまうのだろう。


 うちの学校では、校納金といっしょにPTA会費を学校がいわば「代理徴集」する。それは名簿などの扱いから言って問題ではないのかと校長に問うたが、いまのところ全員加入であるので問題は生じないのだという。ただ、非加入者が一人でも出れば扱いは変わってくる、というのが校長の回答だった。


 ここにも、加入が任意であることを知らせることで退会者(非加入者)が出ることを恐れる「根拠」がみて取れる。

「思想の屈伸体操」としての本書

 そこで、本書、大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』(太郎次郎社エディタス)である。すでに『PTAをけっこうラクにたのしくする本』を出している大塚であるが、前著は短いルポ・経験集のようにして、負担軽減と目的のクリア化を中心して、網羅的に様々な課題の解決方法を示した、いわば一種の百科事典的な良さがあった。
 本書は、エッセイ……というと言い過ぎであるが、PTAにまつわる「恐怖」「負担感」などの固定観念を解きほぐそうとする本である。鶴見俊輔は、かつてマンガのことを「思想の屈伸体操」と呼び*2、カチカチになったメインカルチャーの言葉と思想を解きほぐす役割として、マンガというサブカルチャーを特徴づけたことがあるが、まさにそれであろう。
 PTA問題を考える際の「思想の屈伸体操」


 目次を見るだけもそのことは一目瞭然であろう。

Part1◎嫌われスパイラルはなぜ続く?
 PTAの仕事はなぜ増えつづけるのか?
 減らせる仕事はないの? PTAの断捨離術
 データで見るPTA 担い手減少の現実
 「とにかくやらせる」から生じる本末転倒
 PTAが成立しなくなる!? タブー視されていた任意加入
 入会届け完備! ?合法?PTAが増殖中
 活動曜日・時間に正解はあるのか?
 保護者どうしの対立はなぜ泥沼化するのか
 地元に知りあい、いますか? じつはオトクなPTA
 「役員決め=地獄の根くらべ」の思い込み
 突破口になるか? お父さんのPTA 参加
 女性会長はなぜ少ない?─じわじわとPTA を変える、てぃーこさんインタビュー


Part2◎ヨソのPTA ではどうやってるの?
 「ポイント制」の罠にご用心
 パソコンできる人・できない人問題
 「ベルマークは勘弁して!」母たちの切実な叫び
 「おやじの会」はPTAのかわりになれるか?
 トラブルの温床? PTA改革で省いてはいけないこと
 会費なし、義務なしの町内会ができた!─紙屋高雪さんインタビュー


Part3◎ハッピーなPTA はつくれますか?
 PTAをとことんIT化したら、何が起こる!?─川上慎市郎さんインタビュー
 「顧客」はだれか? 「もしドラPTA」をやってみた─山本浩資さんインタビュー
 時間も手間もかけず、あくまで「消極的」に!─小沢高広さん(漫画家・うめ)インタビュー

http://www.tarojiro.co.jp/product/5583/

 あ、そうなのである。
 ぼくのインタビューも収録されている。

あたかもカフェで話をするように

 本書はあたかも、カフェで雑談しながら、聞いているように読むのが正解である。
 例えば次のような会話があったとする。

「うちの学校、今度の土曜日、フェスタなんだけど、PTAの委員総出で、フランクフルトとか焼きそば焼いて売るんだよね」
「へえ」
「売ったり作ったりするのはまだいいんだけど、物品の管理がすごくて、雑巾1枚、ラップ1本、スポンジ1つ、ぜんぶちゃんと返却したかをチェックするのがもう……」
「なんだそれ」
「つうか、フェスタ自体、こんな形式でやらないといけないのかね? 前の学校ではなかったんだけど。バザー委員会がバザーしていただけだったんだが、ここの学校では横断的に委員が総出でやるんだよ。やめてもいいと思うんだけど」
「PTAの仕事って減らないよなあ」
「なんで減らないのかね」


……というつい先日、ぼくがした会話が想定される。
 そこで本書の出番である。
 本書冒頭の「PTAの仕事はなぜ増えつづけるのか?」にこうある。

PTAでは、「前年どおり」が目的化しがちなことと、「人が入れ替わる」ことによって、仕事が減りにくいことがおわかりいただけたでしょうか。(p.16)

 それはおそらく、PTAは「子どものため」の活動をしているからでしょう。
 「子どものため」に手をかけること、すなわち活動を増やすことは、一般的に「すばらしいこと」「賞賛されるべきこと」とみなされますが、活動を減らすことは「よろしくないこと」と認識されています。そのため、「増えるけど、減らない」という現象が起きるのです。(同前)


 ここには端的に、活動を増やすさいのポジティブなエートスもパトスもロゴスもふんだんに用意されていても、減らす方にはがあまりにも貧弱なものしかないことが示されている。
 あたかもカフェで、大塚という、「ちょっと詳し目の人」が軽く語って、他の人に気づきや方向づけを与えているかのような風景


 もしぼくがそのカフェにいたら、話の方向として、「じゃあ、PTAの仕事を見直して減らすことが子どものためにこんなにすばらしいという大義の旗印ってあるかな?」というように転がっていくと面白いと思う。

減らす・変えることへのコスト

 ぼくはいまPTAで保護者のために講演会などを企画する委員会にいるのだが、その時に驚いたのは「地域の町内会などの幹部に特別な封筒で渡す案内状を今年は省略する」という提案をした時に、委員(ふつうのお母さん)から出た意見だった。
「気を悪くする人がいるかもしれないし、待っている人がいるかもしれない」
 もちろん提案をしたので出てきた意見だったし、その人に悪意はまったくないし、ぼくも「こんな意地の悪い意見が…」とかいう意味で挙げたのではない(意見を出してもらったこと自体は真剣に考えてくれたということなので喜ばしいことだと言える)。
 企画そのものではなく、企画準備の一つの作業を例年から変えることにすら、ここまで「配慮」が及ぶものかとびっくりしたのである。*3


 つまり企画をなくす、減らす、ということについて、PTAや町内会のような輪番システムの中では、蓄積がなく、恐れが生じやすいのである。
 「現実的なものは合理的なものであり、合理的なものは現実的である」というヘーゲルの命題が頭をよぎる。現実に存在しているものは、何かの理由・理屈・ロジックを持って登場したのであり、現実に存在しているものはそのような理由や理屈・論理のかたまりとしてそこにある、という意味である。
 しかし、現実性を失ったからこそ、それは退場する。
 昔何かの理屈でそこに登場したものは、時代や条件の変化で理屈に合わなくなったので、現実から追い出されていくはずなのである。


 そこには、理屈の力がいるのではないか、とぼくは思った。

 
 本書で大塚は、さらに「減らせる仕事はないの? PTAの断捨離術」としてどのようにリストラすべき仕事を探すのかという話に入っていく。

いまぼくが直面している課題に即して読むと

PTAがやっぱりコワい人のための本 冒頭に書いた、ぼくが提起し、ぼくの入っているPTA幹部たちが直面している疑問に即して言えば、p.45の「任意加入を周知したら、みんなやめてしまう?」のところが、ぼく的にはホットな話題である。ああ、ぜひ、この章をうちのPTA関係者に読んでもらい、思考のコリをほぐす糸口にしてほしい。


 大塚は、全国で任意加入を徹底したPTAのケースについて触れているが、それとは別に、次のような理屈を書いている。

みずからの意思で参加・活動する「ボランティア」というものも、自然なものとして日本社会に根づきつつあると感じます。(p.46)

現実的に考えると、ほとんどの日本人は「みんなと違うこと」をするのをひじょうに恐れるので、PTAが任意加入とわかっても、非加入を選ぶ人はそれほど多くならないことが予想されます。(同前)

 ここまでは「そんなに減らないよ」という説得である。

なかには仕組みを根っこから変えて、3〜4割の加入率で活動しているPTAもありますが、それでもいいと思うのです。いまだってPTAにがっつりかかわる保護者の率はそのていど(またはもっと少ない)だと思いますし、それでもし支障が出る場合は、人数が減ってもまわせるていどに活動を縮小すればいいはずです。(同前)

 これは、仮に減っても、それでいいじゃないかという提案だ。
 うむ、もしうちのPTA関係者と大塚がカフェで議論したら、たしかにこんなふうに議論が流れていくのが見えるようである。
 「え? そういう議論してないの?」「さっき、会長や役員と話しているって言ったよね?」と思うかもしれないが、してないのである。なぜなら、「ぼくの提案を議題にしてほしい」というところで話がほとんど止まっていて、肝心の「任意加入にしたら減るのではないか」という議論の本論まではほとんど深まっていかないのである。ぼくが付け加えのように一方的に軽く触れるだけで、そこに入り込んで議論する姿勢がないのである。


 ただ、こうした議論を、一度でいいから、ざっくばらんな場で仕掛けてみたい。
 しかし、今のPTAのスケジュールや会合の場ではそんなことを提起する時空間は一つもないのである。
 本書を読んで同意しなくてもいい。
 あくまで本書の役割は、思考のコリをほぐすことなのだ。


 本書は、そのようなPTAに関する凝り固まった石頭をほぐす役割を果たすにちがいない。
 「PTAがコワい人」にではなく、むしろPTAを熱心にやっている人に読んでほしい。

*1:子ども会に非加入の子どももラジオ体操にくるので、皆勤賞の場合に加入の子どもだけに渡すのはどうなのか、などの議論になったようである。

*2:「漫画における思想性は、その漫画のなかに織りこまれる思想そのものによるより、むしろ、自由な思想の行使にとって不可欠なしなやかさを保つための、思想の屈伸体操を提供することにある」、『鶴見俊輔集7』筑摩書房、p.69

*3:一応役員と前任委員長にも意見をきき、「案内状めいたものをつけたチラシを地域には配布するので礼を欠いたことにはならないだろう」「特別な案内状を出すことで地域団体の幹部も来る効果があるが、あくまで保護者メインに講演会をやればいいと考える」という返答をして、会議にはかり、すんなり納得してもらったが。