仕事が遅いとは期限内にできるかどうかという問題


 「仕事が遅い人の共通項」という記事に注目が集まった。

仕事が遅い人の共通項 | Decent Point 仕事が遅い人の共通項 | Decent Point


 要約すれば、仕事が遅い人は、

  1. 素直でない、言われたとおりにやることができない
  2. すぐにやれない。今すべきことが分かっていない
  3. 人に聞くことができない。状況を伝えることができない。コミュニケーションできてない。
http://tirrano.com/?p=1543

ということだそうである。


 これは「仕事ができない」と同じことだろうか。

 「仕事が遅い」。


 仕事が遅い……ねえ。
 いろいろ考えてみたんだけど、同じような新人2人に、同じ仕事を与えてその時間差を競うというような状況だろうか。
 しかし、仕事というものはたいていのものに期限がある。その期限内にできればいいものであって、その範囲であるなら遅いか早いかはどうでもいいことだ。なるほど企業間では持っている技術や体制の違いによって一日でも納期が早いかどうかは確かに致命的なものとなるけども、同一企業内では同じリソースを利用できるのだから、期限内であればこのような違いを問題視することはむしろ起きてはならない。


 となると、この問題は、「期限内に仕事ができない人がいる」という問題になる。


 次の3つの種類の仕事を想像してみる。

  1. 単純作業。コピー機が「ソートして綴じる」みたいなことをやってくれるけど、たとえばあれを大量に手作業でやるようなものを想像してほしい。
  2. 一見単純・ルーティーン的であるが、創造的な部分が隠れているもの。業務レポートを書くというレベルのものとか、顧客に商品を提供するだけの仕事だが、顧客が激しく変動し顧客ごとにクセがついていて、それを前任者が我流でカスタマイズしていたようなシステムを引き継いでしまった場合とか。
  3. 創造性が強いもの。営業目標だけ決められ、あとは自分で売ってこいとか、こういうデザインの商品をつくってこいとかいうもの。

単純作業の場合

 1.で期限内に仕事ができないという場合は、標準的な早さというものがあるけども、それに追いつかないということだ。標準的な早さにならないのは、馴れていないから。馴れてもできない場合があるのは、コツを教えていないからだろう。コツを教えるのは、作業をマニュアル化=標準化することであり、「誰でも標準的にできる1.的な仕事体制」をつくるのは、先輩やその部署全体の責任である。
 元記事の人は別の日の記事で「ロボットになれ」と書いている*1、単純作業をプロセスに分解したのがまさに機械の出発点なのだから、そういうことを個人ではなく職場全体でとりくまないといけないはずである。

創造的な仕事の場合

 3.について、期限内にできるかどうかは、たとえばデザインの仕事なら着想できるかどうかという問題である。早いか遅いかというようなスピード問題ではない。着想のために蓄えてある引き出しが多い人、それを結び付けられる能力がある人。そういう人に頼むかそうでない人に頼むかという話であって、「あの人に頼んだけど仕事が遅いよね」とかいうレベルの話ではない。頼む人をまったく間違えているとしか思えない。
 新規の開拓が中心になるような営業は、創造的な余地が大きい。
 営業目標だけ示して何も手助けせずあとは売ってこい、というようなケースは、ほとんど個人請負みたいなもんで、まともな会社の組織的な営業ならこういう放り投げ方はしない。このような目的に対しては「できる・できない」のみが問題になるが、期限内であればやはり「遅い・早い」は問題にはならないだろう。
 そこに「標準的な営業目標」をもうけて、その目標に到達する時間が遅いか早いかを見るというのはあるかもしれないが、だれでも到達し得る成績を最低量として標準化したような場合は、そこにもし至れない人がいるなら、1.と同じ問題が起こりうる。コツのつかませ方、マニュアル化に職場として失敗しているのだ。
 単なる平均値に到達しないという場合なら、もはや「仕事が遅い・早い」の問題ではなくなっている。そんな人を現時点でそういう部署につかせて平均値を求めるのは人事政策として明らかに無理があるのだ。


単純作業と創造的仕事が混在している場合

 2.のケースが一番幅が多く、日常の仕事では圧倒的な量をしめるだろう。たいていの仕事はこういう姿をしている。
 もし期限内にレポートができてこないような場合は、これもマニュアル化の失敗に他ならない。創造的でひと味違うレポートをつくるために時間をかけてしまうことはありうる話だが、期限内なら何の問題もない。最低限のものが出てこないのはレポートするポイントと、パターンごとに定型の書き方を教えることで大半は解決する。それができていないのは、やはり標準化の失敗である。


 もう一つ、「顧客に商品を提供するだけの仕事だが、顧客が激しく変動し顧客ごとにクセがついていて、それを前任者が我流でカスタマイズしていたようなシステムを引き継いでしまった場合」というのを例に出した。
 こうしたケースは一見単純作業で、前任者が難なくやっていたように見えるので、なぜ後任のコイツはグズグズしているのか、というイライラが起き得る。
 要領のいい人は前任者のカスタマイズ部分を見抜き、それを捨て、目的を達成するための本質だけをとりだして、自分流にカスタマイズするか、誰でも使えるような簡便かつ普遍的なシステムに変えてしまうだろう。要領の悪い人は、前任者がつくった前任者にカスタマイズされたシステムにしばられて身動きがとれなくなり、システムを改革しようにもどう手をつけていいかわからないのだろう。
 このような場合、もし後任者が新人でなく、十分なベテランであり、利用できる企業内の資源もよく知っていて、顧客ごとの事情というものにも十分通暁してるという前提がちゃんとあるとすれば、それでもなおかつシステムを組み替えられないというのは、元記事がいうように「自己愛が強い」という言い方でいいかどうかわからないが、自分の頭に映じたことだけにとらわれてしまうと言えるかもしれない。
 

 おそらく、このように日常の仕事の中にひそんでいる創造的・裁量的な余地が大きい部分というのが、ホワイトカラー労働の少なくない部分を占める。
 だけどそれは「職場全体、もしくは集団で解決しろや」ということが答えになる以外にはないと思うのだが。ベテランとよばれる人がつまらないプライドのために仕事を囲い込んでいる場合も含めてね。商品の顧客への供給(配達)・提供というのは単純作業だが、システムの再構築が実は課題であるというふうに捉え直せば、それにはかなり創造的な部分がふくまれており、個人の能力ではほどけない問題もありうるということが出てくる。単純作業やルーティーンだと思うからできない人にイライラがつのるが、そうでない以上個人の力量にまかせるのは自ずと限界がある。組織力で突破した方がよほど効率がいい。とにかく報告・連絡・相談しろ、というよくある命題そのものだ。



結局は職場という組織の問題

 つまり、1.〜3.を通じてみてみると、単純でルーティーン化できる仕事はマニュアル化やコツ化によって標準化できるものであり、それがおこなわれていない職場の方に問題があるということになる。なぜなら「期限」をもうけておいて、それができない人が生まれてしまうのは、期限の設け方に問題があるか、期限を守らせることができないような作業状態になっているか、どちらかしかないのだから。
 他方、創造的な余地の大きい仕事の場合は、「仕事が遅い・早い」ではなくて、現時点でその仕事をする能力があるかないかにかなりはっきりと分かれるのであって、それは仕事を頼む人を変えるか、集団でコトにあたるしかないのである。ここでも「期限」という区切りを基準にすることによって、「できるかできないか」、それだけの問題であって、「早い・遅い」という量的な違いの在る個人能力差問題ではないことが明瞭になる。
 すなわち「仕事が早い・遅い」問題という把握から「期限内にできる・できない」という把握に変えたとたんに職場という組織の側の問題なのだということがあぶり出される。「仕事が遅い」という問題は「仕事が期限内にできない」という問題に読み替えられ、期限内にできないのは(1)職場が作業を標準化していない(2)能力的に無理がありすぎる仕事を職場が頼んでいる(3)職場全体で解決しないとできない、もしくは圧倒的にその方が早いということに他ならないのだから。


 元記事は純粋な人間観察として「仕事が遅い・早い」を示したかったのかもしれないが、職場というコンテクストの中でこういう示し方をされると(それは元記事の人にとって不本意かもしれないが)、すべて個人能力の問題として片づけられる恐れがあるという危惧をぼくは覚えた。


 問題が組織の問題として現れず、過度に個人の能力や自己啓発の問題として現れるのが昨今の特徴だ。「できないオマエが悪い」と。
 特に新人にこういう圧力のかけ方をされることが多い。終身雇用制の解体や労働力の流動化で、いよいよその傾向は強まっている。時間をかけて企業文化を教育していくゆとりはなく、はじめからスキルや能力があることが前提で、ろくすっぽ教えもしないでイライラされ、された方はスポイルされるのである。
 だけど、企業や事業所という組織体において、組織の問題でないものは一つもないと言っていい。断言しよう。仕事に支障や停滞が生じたら、個人能力ではなく、組織体としての不備こそ考え直すべきだろう。


 元記事の人は、仕事が遅い人には期限について伝えてあるけど伝わらないということで「コミュニケーション力」という個人能力の問題にしているのだが、組織としての機能不全ではないのかと問いたい。元記事の人は「何時何分」と期限を伝えることをギャグとして書いているが、分をとりのぞいて「5時までね」と伝えることは職場ではよくあることだ。


増田の記事について

 ちなみに元記事を経て書かれた下記の増田も、

精神論ではない仕事を速くこなす技術 精神論ではない仕事を速くこなす技術


個人の能力という土俵の上なのだがすでに指摘があるように、「できる人がよりいっそう能力を磨く」というような想定でしかない。元記事の問いともズレてるし、精神論であるかないかではないだろ。

*1:公平のためにいっておけば、元記事は「我流に直したり、自分の頭に無理矢理組み直さずに素直に受けとめろ」という意味でロボットという概念を使っている。