ドラえもんの動力源が原子炉であることは3歳の女のおじいさんでも知っている国民的常識だが、だからといって反原発の立場からドラえもんを憎むのは現状水準の科学に縛られた愚かな感情である。22世紀ではE=mc^2に則って、どら焼きなどの質量をエネルギーに変えているだけで放射能など出ない(右図参照=藤子・F・不二雄『ドラえもん』小学館、てんとう虫コミックス11巻、173ページ)。
ドラえもんには安全な原子炉が入ってる / バックトゥザフューチャーと同機能 – ロケットニュース24(β)
他方、アトムの場合は、壊れたアトムにさわろうとした同級生にたいして「さわると放射能で死ぬぞっ みろ あれを いまアトムのからだは原爆と同じようなもんじゃ」*1とお茶の水博士が叫ぶように、未完成の技術の水準での原子炉だから、保安院とかに管理されて、アトムを動かそうとするたびに、お茶の水博士(科学省長官)がやらせメールとか動員をかけるレベル。
川村湊『原発と原爆 「核」の戦後精神史』(河出ブックス)には、
アトム以降、人型ロボット[アトム]、猫型ロボット[ドラえもん]、そしてサイボーグ[エイトマン、サイボーグ009]などが、原子炉によって活動エネルギーを得ていることは常識化した。(川村p.105)
というくだりがある。「常識化」しているというのはものすごい断定なんだけど、この場合の「原子炉」といったさいに、別に現状の軽水炉はもちろんのこと、核分裂炉、核融合炉を想定する必要もなく、ドラえもん的原子炉を想定すればよいのである。
原爆の記録文学を残した医師・永井隆が「万物は原子から成り立っている。そこら中(じゅう)原子だらけだ。この原子の内には天主は天地創造以来こんなすばらしい力を隠していたのだ」(『この子を残して』)と小躍りしたように。
「原子力の平和利用」という言葉のあいまいさ
昔、環境派の活動家に「原子力の平和利用の可能性」とか言ったらものすごい剣幕で怒られたことがあるが、「原子力の平和利用」という言葉には、端的に言って「現状の科学技術水準での商業利用」ということと「平和利用のための研究」ということが未分化のまま混在しており、その両者の倫理的評価は天と地ほども違う。
前者は悪いが、後者は良い。
そんなに単純に二分できるのかよと言いたくなるくらいのスッパリ感だが、いいのである。
福島の事故を予見したとか言われたミスター原発こと吉井英勝(共産党衆院議員)でさえ、その予見の書である著書(『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』)の中でこう述べている。
核兵器廃絶の道にたつと、プルトニウムを産み出さない原発を模索するということになります。それは、原発の中で、プルトニウムを作らないことだけではなく、高レベル放射性廃棄物を生み出さないタイプの原発を検討するということと結びつきます。
私が学生の頃は、液体金属冷却炉、有機液体冷却炉、ヘリウム冷却炉なども、軽水炉とともに研究課題でありました。それらの中で、原子力潜水艦で実用化され、さらに陸上に揚げて規模を拡大したのが今日の軽水炉です。燃料としてウランがベストかトリウムかなど、核燃料についも研究がありましたし、制御棒で制御するか反射体で臨界・未臨界にするかなど、様々な課題がありました。かつて日本原子力研究所でも、トリウム溶融塩炉やエネルギー転換効率の高い高温ガス冷却炉など様々な原子炉に関する研究が行われていました。地震に遭っても安全が保たれる固有安全路などを開発するための研究もありました。
だから、軽水炉についても、原点に戻って、プルトニウムを生じないもので高レベル放射性物質、アクチニド(原子番号八九以上ですべて放射性元素。ほとんどが人工的につくられたもの)をあまり産み出さないもの、半減期が短くて放射性廃棄物が生まれても研究開発に取り組んだ技術者が現役で解決にあたれる期間に消滅処理できるタイプの原発は可能であるかという、原点に立ち戻った研究が大事です。(吉井p.80)
このトリウム溶融塩炉は「第四世代の原発」「安全な原発」とかいって騒がれていて、吉井のその著作にも、アメリカはそういう開発を進めておるのに、日本は「原発ルネッサンス」とかいって米国が捨て去ろうとしている軽水炉で浮かれていてアホかという話が出てくるのだが、まあその評価は措くとして。
先に引用した川村湊は『原発と原爆』のなかで、戦後の科学者の立場を、
という3つに分類し、「原則的にはこの三つの立場以外のものはありえず、日本の科学者たちはこの1〜3の分類の中に分けられざるをえなかった」(同)と書いている(強調は引用者)。「ありえず」って…すごいな。
川村の分類は今ひとつ判然としないところがあるが、素直に読めば、1.は軍事も平和もダメ、2.は平和利用、3.は軍事も平和もOKという分類のように読める。
だが、この「3分類」はいかにも乱暴なものだ。というか為にする議論のようにしか思われない。
武谷三男や坂田昌一がすでに1954年の段階で政府に敵視されていたように、
日本政府 原子力推進の“障害”と/民主的学者 排除リスト/54年「極秘」報告書
かなり早い段階から、平和利用という言葉のなかに、「性急な商業利用」と「可能性の学問研究」という二つの道が混在し、現実には両者は厳しく対立していたことがわかる。
マスコミの原発検証の特集などは、この川村的分類法に則っていて、「まあ昔はみんな誰も彼もが平和利用一色で誰も原発のことなんかは警鐘を鳴らしておらんかったわけですよ」というニュアンスの記事で埋められることが少なくないが、これは言葉の乱用というものである。
*1:『少年』1953年11月号「赤い猫の巻」より。