「くさらせる叱り方」にかわる20の方法について

 下記の記事を読んで思ったことを、ちょっとだけメモ。

「くさらせる叱り方」にかわる20の方法 読書猿Classic: between / beyond readers
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-416.html

 この記事は「子どもをくさらせる10の叱り方」
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-415.html
の対案になっている。

 子育てをしていると現実的には「10の叱り方」で済んでいくという日々も確かにある。そのことを「ああ俺は今この瞬間、この子をスポイルしつつある」とかいうふうに嘆く必要はないと思う。一定の信頼関係の中ではそれほど大きな問題にはならないんじゃないか。

 そうでなければ、人類は今頃ダメな人間の集大成になっている。だって人類の大半はこういう叱り方をしてきたんだもん

 ただ、どうしてもこじ開けられないような行き詰まりとかに自分や子どもが陥っているとき、旧来的な叱り方の硬直性を見直し、批判し、風穴を開け、思考の自由さを取り戻すためには「20の方法 」のような「思考の柔軟体操」をやってみるのがよい。

 旧来的な叱り方は「言うことを聞かない=自分をバカにしている」という感情に支配され、「叱る=権威的行動」というドグマにしばられがちになるので、どうしても命令や脅し、皮肉といったものに流れやすい。もともとの「ある目的を達するための合理的な道筋はどうあるべきか」という思考方法に立ち戻るべきなのだ。
 そのさいにたしかに、こうした「20の方法 」のようなチェックは役立つ。

 しかし、逆に「20の方法 」をドグマにしてしまうと――たとえば何が何でも「20の方法 」にあてはめたり、「10の方法」を絶対的に避けようとしたりするような行動は、反対の硬直に陥るのではないか。