もう一つ面白かった論説は、18日付の北岡伸一・東大教授の「共同歴史研究 『侵略』認め、日中攻守逆転」だった。北岡は日中首脳会談で合意されてスタートした日中歴史共同研究の中心的人物である。
北岡の議論の中心点は、侵略とか南京虐殺とかを否定するんじゃなくて、当然の前提として認めた方が、はるかに攻勢に回ることができる、というものだった。
ぼくは以前から言ってきたが、ドイツのように侵略の事実をもう当然の前提にしたほうが、外交上はつけこまれるスキが逆になくなる。ここで否認したり世界に通用しない議論をすると、外交上の諸問題では本来優位に立てるはずの問題でもアドバンテージを失ってしまうからだ。国益を損なう、売国といってもいい。
そもそも「日本がおこした戦争は正しかった」という議論に分があるなら、それらの人々は国際舞台で堂々とそれを展開し、サンフランシスコ条約をはじめとする国際秩序をすべてひっくり返すことを主張すべきだ。それができないのに国内でだけ憂さ晴らしのように侵略否定・虐殺否定をくり返すのは、まことに「武士道」にそむくのではにないか(笑)。
侵略の事実は認めざるをえない
さて、北岡の議論であるが、彼が「読売」で書いたことはもっと練られている。
中国側は、日本側が日本の侵略を認め、南京虐殺の存在を認めたことが共同研究の成果だといっている。しかし日本側はそんなことは共同研究を始める前から当然のことと考えていた。
これはそのとおりだろう。村山談話や外務省の公式見解で、侵略と南京事件を認めている。
専門家以外ではそういうやつがいるなあと言って北岡は満州事変と南京事件を例に、日本の侵略という事実認定は当然のことだと議論を進める。
「満蒙は日本の生命線」という言葉がかつて存在したが、この地域における日本の合法的な権益は、旅順大連の租借権や満鉄に関する権利など、南満州東部の一部の地域のものだった。
中国側が時々権益を侵犯したのは事実だが、関東軍は謀略によって軍事作戦を開始し、南満州と東部内蒙古の全域、そして日本が権益を有していない北満州まで、あわせて日本全土の3倍の土地を制圧したのである。これは自衛をはるかに超える武力行使と相手国主権に対する侵害であって、それを通常、侵略というのである。南京虐殺については、南京作戦に参加した多くの部隊の記録に、捕虜○○名処分、などという記載がある。あらためていうまでないが、捕虜には人道的な待遇をすることが大原則で、捕虜が極めて反抗的で、収容側の方が深刻な危険にさらされる例外的な場合を除けば、処刑等は許されないのである。
なお、世界のどの国でも、もっとも愛国主義的な団体は在郷軍人会であるが、日本の陸軍の組織である偕行社が念入りな調査を行い、相当数の不法な殺害があったと認めている。
じっさいこれをひっくり返すのは大変な作業である。現実に侵略したわけであるし、ロジック上も覆しがたいのだ。北岡は、そのうえで、
日本に侵略を否定する声が大きいうちは、中国は、日本は反省していないと主張し続けることができる。しかしわれわれが非を認めると、それがどの程度の非なのか説明せざるを得なくなり、守勢に回った。〔中国側が——引用者註〕各章の「討議の記録」の削除を求め、戦後編の非公表を求めたのは、中国が受け身に立ったからである。
とする。さらに、歴史的に絶対悪という存在の国が存在しない以上、負の側面をきちんと認めることで正の側面を自在に記述することができるようになる、と北岡は主張するのだ。北岡は、中国の悲惨な歴史の一つである、「大躍進」政策や「文化大革命」についてもふみこめ、とのべる。
中韓の過度にナショナリスティックな部分に逆に切り込める
中国や韓国の歴史記述が過度にナショナリスティックになっていることは、よく知られたことである。ぼくも民間レベルで作られた日中韓共通歴史教材『未来をひらく歴史』についての感想を書いたとき、そうした違和感をもち、「大躍進」などの記述の不在に驚いたものだった。しかし、日本のなかで侵略や虐殺の事実そのものを否認しているために、そこにふみこむことさえできなくなっている。道義的な優位性を失っているからである。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/mirai-wo-hiraku.html
あえてこういういい方をさせてもらえば、外交戦略上、侵略と虐殺の否定がいかに中国・韓国を「利して」いるか、ということになる。
北岡は最終的に東アジア共通の教科書を考えていい、とさえ述べる。こんな提案をすれば、いかに日本が不利をこうむるかということを叫ぶ人がいるだろう。しかし、北岡のようにいったん侵略や虐殺の事実を認めてしまえば、攻守は逆転する。議論は中国や韓国にとって微妙な部分にふれてしまうからである。
中国や韓国が積極的に応じないという人もあるだろう。それでも一向に構わない。その場合は歴史を直視していないのがどちらか、世界に明らかになるわけだから。