佐々木倫子『チャンネルはそのまま!』1巻

 「チャンネルはそのまま」と聞いて、ある種のメロディーとともにそのフレーズを口ずさんでしまうは35歳以上だと思うのだが、如何。
 佐々木倫子が「ビッグコミックスピリッツ」に連載を始めた『チャンネルはそのまま!』は、『動物のお医者さん』『おたんこナース』『Heaven?』ときた、絶対にハズレのない高いクオリティを予感させる流れのもので、1巻はこの期待を裏切らなかった。圧倒的な面白さである。

 

 

 北海道☆(ホシ)テレビというローカル局に、本人には知らされていないが、内々に「バカ枠」という枠で採用されたのが主人公の雪丸花子である。

 試験会場で能天気に大福を頬張っていたかと思うと、面接で「ドラマがやりたい」(ローカル局では基本的につくっていない)と超基本事項さえも押さえていないのに、なぜか採用。そのような受験的能力とは全く別の「何か」を期待されているからだ。
 だが、その「バカ枠」の本質、目的というものが何であるのかは、ハッキリとはさせられていない。
 それはエピソードの一つひとつで明らかにされていく、というか、読者に考えさせていくといったほうがいいだろうか。

 こうした設定自体がすでに興味をそそられる。

 だが、設定だけでは前に進めない。
 受験秀才以外の破天荒さこそがテレビの視聴者をひきつけ思わぬアイデアを出す──まあ、凡庸な漫画家なら前述の設定への「答え」をこんなふうに出してしまい、「バカ枠」の「潜在的天才ぶり」を描いてしまうところだろう。もうそれを聞いただけで「底抜けに明るいけども、本質的な鋭さをもった主人公」と、ステレオタイプな思考しかできない「受験秀才」という、類型的キャラクターを思い浮かべてしまう。当然お腹いっぱいだ。

 佐々木はそういう「答え」を拒否する。

 第1話「テレビの人」で、主人公雪丸がいきなり増水の現場に連れて行かれる。先輩報道マンのケガによって何の準備もなく実況をやらされることになり、それがニュースとしては驚異的な視聴率をたたき出してしまう。これだけ聞くと先ほどの「類型的キャラクター」うんぬんを思い浮かべてしまうのだが、そうではない。
 エンターテイメントとしては、この無準備中継のドタバタは相当に可笑しいが、それはさておき、話がどういうふうに描かれているかというと、「バカが混乱の中心にいて、思わぬミスや行動をすることによって、周囲から『何か』が引き出されてしまう」という具合なのだ。主人公は切れ者でも、大器の予感がするでもなく、相変わらずバカのままである。

 この構造で典型的なのが第5話「初鳴きには最高の日」だ。雪丸と同期で優秀かつソツのないアナウンサー花枝まきは、しかし先輩に「フレッシュさがない」と指摘され動揺してしまう。「フレッシュさとはひょっとして雪丸のようになることだろうか」と一旦は思うのだが、すぐ頭を振ってそれは自分のとるべき道ではないと思い定める。
 そして、本番。
 時間ギリギリに、誤字だらけの雪丸の原稿が、ほとんど直しもなく花枝のもとにつっこまれる。カメラにむかってしゃべりつつ、誤字と格闘しまったくミスなくすすめていくうちに、花枝には急激に鋭利な感覚が呼びさまされてくる。周囲が急によく見えるようになり、誤字だけでなく、ルビのない難読地名もスラスラこなしていけるようになる。そして最後には番組中におきたハプニングさえもきわめて完璧な形で処理してしまうほどに研ぎすまされていくのだ。それが具体的にどのようなものなのかはぜひとも読んでほしい。

 このように「バカが混乱の中心にいて、思わぬミスや行動をすることによって、周囲から『何か』が引き出されてしまう」というシチュエーションがいくつか登場する。
 しかし、それ以外のエピソードもある。
 つまり、「バカ枠」の役割というものは、およそそれだけではなさそうなのである。
 何か答えに近いようなところをうろつかせるがゆえに、「バカ枠」とはいったい何のためにあるのか、ということを読者に考えさせてしまうのだ。

 ちょっと考えても不思議な枠である。
 いや、これは実在の記録じゃないんだから、あんまりロジカルに考えちゃいけないんだろうけどね。佐々木倫子が「ここにバカを入れたら面白そうだな」という程度で始めただけかもしれないんだし。でもまあちょっと考えちゃうんだよね。
 たとえば、企業にとって、「異分子」をとりこむ、違った組織文化の人間を採用し革新を期待する、というのはよくある話だ。あるいは、『釣りバカ日誌』のハマちゃんのように、人間関係の様々なバッファーになり、組織が一律の方向に走り出さないような「スローペース、マイペース」の人間をおく、というもわかる。
 それらの場合、いずれにせよ、その個人に何らかの「能力」が期待されているのである。
 しかし、「バカ枠」における「バカ」はどう見ても「バカ」でしかない。
 ふつうの企業では存在が許されない。採用前に足切りされるか、入っても閑職においやられたり、疎外されたり、体よく首を切られたりするだろう。おそらく「バカ」のなかでもある種の傾向をもった「バカ」なのだと思う。その「バカ」を会社の特別な保護によって閑職にもまわさず、むしろ現場や最前線におくことで「何か」が期待されている「バカ」なのだが、その「何か」というのがよくわからない。

 いわばちょっとした謎解き、ミステリーを読むような気分でこの先読み進めていけることになるだろう。

 それにしても、前にも書いたが、佐々木が取材した素材を料理する力はハンパない。
 テレビ局、とくにその報道現場での「慣習」や現場ルールというものは、それを紹介されるだけでも十分に面白い素材である。たとえば、第6話「噂をすればトカゲ」には事件の話題になった人の「写真」を集める話が出てくるのだが、その画像には、画像の状況によって価値のランクがあるのだという。集合写真<スナップ写真、古い<新しい、といったものだ。
 それだけ聞いてもなかなか楽しいまめ知識なのだが、佐々木はそれを使って最も価値の高い画像を集める「ゲーム」のような話にまで仕上げている。取材した素材を素材のままで終わらせずに、きちんと料理するという佐々木の質の高さに驚くばかりである。