8人きょうだいという大家族に育つ大瀬良螢(おおせらけい)が主人公で、高校生女子だった頃から社会人になるまでの時間軸で物語は描かれている。
螢だけでなく、きょうだい、親戚、友人たちのエピソードが展開されていくのだが、ストーリーの主軸には螢の「人を好きになる気持ち」が置かれている。
いちばんよくないのは
自分で自分を
ごまかすこと
だな
と幼い螢が誰かに言われている追憶的なシーンから物語が始まる。
幼い螢は「何を言ってるんだ」という顔をする。そんなこと、あるわけないじゃないか、と。どうして自分の気持ちと違うことを言うのか、ましてや自分で本当に思っていることと別のことをそう思っていると自分に言い聞かせてしまうのか、あり得ないではないか。
螢が誰かを好きになるけれども、それはわかりやすい姿をして当初現れてくるものではない。自分の憧れや屈折、もしくは世間体を気にしながら、自分では思わぬ姿をしてそれは現れてくる。
螢が好きになるは、一人目は、翻訳家であり作家である親戚(琴子)の家に出入りする編集者・柚木(ゆぎ)だ。「うさんくさい笑顔」というたっぷりな不審ぶりから始まるのだが。
螢はその気持ちを琴子に指摘されるまでの間、少なくとも物語の中で螢が「わかりやすく」だけでなく、「それとなく」であっても、柚木に好意を示すようなシーンは一切ない。
誰かに会ってその誰かの事「あ 苦手だな」って思う時って
まあその人がとんでもなく嫌な奴ってわけでもなければ
自分自身のコンプレックスや憧れがそれをさせてるんだと思うのよね
とは、琴子の言葉である。螢は憧れなのにそんなことがあるのかと不思議がる。
卑屈さ?を呼び起こされそうっていうか…
うらやましさ通りこして
ねたみそねみ
とさらに琴子が解説する。
憧れは好きという感情になるはずではないか、好きという感情が好きという感情で表現されないなんてあり得ないではないか、とは螢だ。
まったくそんな倒錯が理解できないのである。
螢は「幼い螢」のままなのだ。琴子が解説を続ける。
うん でもその人に
好かれる自信がない事に
瞬時に気づいてしまったら?
「好かれる自信がない」と思う理由は様々ある。
単に向こうが自分に関心が全くなさそうだという場合に防衛的にそう思うこともあるかもしれない。
自分はダメな人間だ、という気持ちの場合ももちろんそうだろう。しかし、他にもそれはある。
年齢差とか、地位(教師と生徒など)とか、そういう立場が違いすぎる場合。
あるいは同性である場合もそういう感情を持ってしまうことはあるだろう。早々にあきらめるということだ。
既婚者、ステディがいる、というのもよくあることだろう。
では、そんな気持ちが覆っているにも関わらず、自分が相手を好きだと思っているのはどんなふうに確かめられるのだろうか。
柚木の大学時代の友人でもあり、螢の尊敬すべき兄でもある畔(ほとり)は、嫌だなと思ったアート作品で、その嫌さのあまりにどうしても何度でも見てしまうものがあり、それが倒錯した好きということではないのかとアドバイスする。
それと似たようなことを柚木は直接螢に言う。
どうあっても
気持ちがそちらに向かって流れだしてしまうような
見ようと思わないのに目に飛び込んでくる……
臆病と強気がごっちゃになって
でも向こうの気持ちの開いているところを
探さずにいられないみたいな…
まさにそれだよ、とぼくは思う。
まず前半。「気持ちがそちらに向かって流れだしてしまう」「見ようと思わないのに目に飛び込んでくる」。これはわかりやすい。
そして後半。「臆病と強気がごっちゃになって」。相手は自分のことが好きなんじゃないかとと思う瞬間があって、アタックしたりアプローチしたりしようとするが、全く裏返しになって全然自分など歯牙にもかけられていないのではないかと絶望的な気持ちになる。その場合に臆病が支配してしまうので動けなくなってしまうのだが、しかし、それでも「向こうの気持ちの開いているところを探さずにいられない」のである。ある瞬間に垣間見せるものを、自分が勝手に解釈して、「それは私のことを好きだという気持ちに表れではないのか!?」などと。その根拠もない「開いているところ」=隙間を狙ってアタックしようとするがやはり臆病に支配されてしまうのである。
だけど「好き」という気持ちを、前半部分はともかく、後半部分のように表現するのは、「好かれる自信がない」と思う時だろう。
螢は柚木と会話をした後、柚木に向かって、こう言う。
柚木さんって兄のこと大好きですよね
私は柚木さんの事が好きなんじゃないかな
そう話す螢の表情を見て欲しい(下図)。
頬を染めて告白しているわけでもない。
目線を合わせていないけども、それは照れているわけでもない。
考えごとをして、その考察していることを確かめながら人に話している時の表情である。
まさに、螢は「自分の気持ちに素直になる」ようにしてそこに到達したのではなく、ロジックの果てにそこに到達したのである。
螢が好きになるもう一人は、琴子の家に「書生」として住み込み始めた、新人作家の小関だ。
あまりにひどい出会い。そして、出会って間もないのに小関の側から唐突に受ける告白。今度は螢が混乱する番である。
個人的に、この小関に感情移入する。小関には発達障害的な融通のきかなさがあるが、愚直で真摯なようにも見える。ぼくは螢にも好印象があるので、「こういう女性に、こんなふうに真摯に迫りたい」とつい思ってしまうわけだ。
小関の書いた小説が少し売れる。それは螢への「ラブレター」でもあるのだが、相当に転倒し、ややこしい表現がされている。
曲がりくねってひねくれてて
「Kさん」が好きなのにふと利己主義が顔出すとことか
正直だなってなるのと
真に同情を禁じ得ない苦しさみたいのがあるよ
とは琴子のこの小説の評である。
この作品の「好き」は倒錯している。
わかりにくい。
そのわかりにくさをロジックによって明らかにして、ラストはやはりこの感情が恋愛だったことを気持ちよく表現する。
1話だけ試し読みできる。