『リボーンの棋士』は奨励会の年齢期限に間に合わず退会になった主人公が再びプロを目指す物語である。
「九州漫画読み会ONLINE」で取り上げられた作品だったけど、配信をライブで見られず、アーカイブで見た。
https://www.youtube.com/watch?v=oZFJKVTq7xo
負の感情を前提にしながらメインテーマは…
将棋マンガはいろいろあるので、その中でこの作品の特質を探すとすれば普通は「プロになれなかった怨念」「負の感情」「コンプレックス」みたいなものがメインテーマになるはずなのだが、主人公・安住はその影がホント乏しい。ないわけじゃないけど。
そういうマイナスのオーラを削ぎとったキャラになっている。
むしろそれは安住と同様に奨励会を退会になった土屋に一身に担わされている。
6巻までで圧巻と思えるのは6巻の安住と元・師匠の伊達との対局である。
先ほど述べたように安住側は奨励会を退会した「怨念」「負の感情」「コンプレックス」を背負っているベースに加えて、元師匠への感情もある。他方で、伊達側には元弟子を退会させてしまった負い目や現在勝負から「降りた」(棋士としての終わり)ように後進の育成に勤しんでいる。
そうしたものが勝負が進むに従って、勝負の中にすっかり溶けてしまい、
師匠も弟子もプロもアマも関係ない。
あるのは自分と相手と将棋盤だけ…
純粋な棋理の追求……
そんな世界にまた来ることができた。
と安住ではなく伊達に思わせている。
そして安住は千日手で指し直しになった時、深夜3時であるにもかかわらず「最高の日だ」と思い、月に向かって
今日が終わってほしくない。
と心から感じるのである。これが「求めていたもの」だったのである。
いろんなものを背負っているはずの2人がそうしたものを一切流し去って勝負に没頭する、将棋とは、というか競技=勝負というものはそんな楽しさがあるのではないか、それはプロであってもアマであっても関係ない、という原初的な感情を強烈に描き出している。
最後に二人が出会った頃の姿に戻り、まるで子どもに向かっていうように、伊達が一言だけ
またやろうな。
と言い、安住が笑って
はい。
とだけ答える。他にもう何もいらないではないか、ということを示す素晴らしいシーンである。
1巻、つまり作品の出だしで「お、これは面白そうな作品だ」と思うきっかけになるのは、安住が過去に対戦したことのある有名プロ棋士・明星を、多人数での指導対局の中で安住が負かすシーンである。過去に対局したことなど忘れて対面する明星は素人の集団と思って侮っているのだが、途中で自分が不利であることに気づくが挽回できない。
ここでぼくらは安住に感情移入し、「ザマーミロ!」という気持ちになる。安住を侮った明星に一矢報いた気分になるのだ。いわばそこで「負の感情」「怨念」のようなものを読者として持つことになる。
だから、この物語はそのような感情を推進力にしていくに違いないと思うのだ。
あにはからんや、そうではないのである。(そして1巻のそのエピソードの終わりを読めばわかるが、安住はそのような感情にこだわってはおらず、むしろ将棋を楽しめなかった頃の自分を反省し、楽しみながら指すことで勝利を得ている。)
「奨励会を退会しプロになれなかった」という怨念の前提から出発するマンガかと思いきや、そうした感情を全て払拭するような勝負の楽しさがあるのだということを主題に据えてくるところが恐れ入った。前提は廃棄されているが、しっかり生きている、つまりアウフヘーベンされているのである。
安住がただ単に「明るいキャラ」なのではなく、勝負をすることの快楽の中に生きているがゆえにあのキャラなのだという説得性を持たせている。
そのほかの話題
なお、個人的には研究会の雰囲気がすごく好き。
このマンガでの雰囲気が好き、というより、囲碁とか将棋の熱心な研究会の姿がすごく好き。どういう雰囲気かといえば、一番それをうまく描いているのは『ヒカルの碁』の研究会の様子である。自主的にこれでもかと研鑽を重ねていく様子に、まるで『福翁自伝』の適塾のような近代草創期の野蛮な情熱を見る。切磋琢磨して研究し合う——なんて美しいんだ!(『まんが道』にもそれを感じる)
このマンガで言えば、2巻の古賀7段の研究会に出るシーンである。
特に研究に全く熱心でなく、惰性でプロを続けてるかのように見える小関との対比が好き。こんな雰囲気の研究会に俺も入りたい!
ところで、「九州漫画読み会ONLINE」でも取り上げられていたが、冒頭に出てくる安住と同じカラオケ店のバイト・森の扱いが雑。昔っぽい「女の子のそえものキャラ」になってしまっているので、もう少しなんとかしてあげて…。
疑問
伊達vs安住で、勝敗の行方が誰から見ても決まってから、伊達が指し続けたのは何故なのか。その解釈が今ひとつわからない。