「推古さんは男性の中継ぎではない」記事を読む

 「しんぶん赤旗」日曜版7月4日号の義江明子帝京大名誉教授、古代史)への取材記事を読む。“推古は男性天皇の中つぎで、蘇我馬子聖徳太子が主に政治を担った。”というイメージを、「女性が徹底して排除された明治時代」をはじめとする「近代以降の偏見」を排除して刷新しようとしたことを書いている(以下、引用は同記事から)。

中でも推古は、女性が即位できない「ガラスの天井」を打ち破った人物だといいます。…「…推古は優れた統率力を豪族に見せつけることで、男王の優勢を打ち破り、後の女帝らに道を開いた——これが私のジェンダー視点による読みです」

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 いや、今の視点に引き寄せすぎだろ…と初見で思わざるを得なかったが、しかし、記事に添えられた年表(上図)を見ると、

日本列島には、4世紀頃まで女性首長が3〜5割存在していたといわれています。6世紀末から8世紀後半にかけては、推古を皮切りに男女ほぼ同数の天皇が即位しました。

という状況なので、5世紀と6世紀に男王しかいないのが逆に不自然なのかな、と思えてきてしまう。

 そして、

女帝研究は困難を極めました。『日本書紀』をはじめ歴史史料が持つ政治的な意味合いをはぎ取り、日々更新される発見や研究成果を取り入れながら、「膨大に調べては数行書く」の繰り返し。

という態度には頭が下がるし、何よりもまず義江の本そのものを読んでみないことには信じる・信じないも言えないだろう、と反省した。