マンガ家・島本和彦の自伝的要素を取り入れたっぽいマンガ『アオイホノオ』は、いよいよ18巻である。
新人であるホノオモユルが、雁屋哲の近未来型忍者アクションものの原作を受け持つことになったものの、その第1話のスゴすぎる原稿をもらって途方にくれているところから始まっている。とうてい32ページにおさまりそうにない濃いボリュームなのだ。
そんなところに、さらに同じ雁屋哲原作の別のマンガを読んでしまい、自分と違いすぎる……というか自分にはとても描けそうにない細かすぎるメカの描写、いろんな角度からの構図などなどに、打ちのめされてしまう。
そんな焦りの中でホノオなりに工夫してネームをつくるのだが、友人からの評価は総じて「オモロない」。マンガ慣れしていないシロート友人からもダメ出しされてしまう。
破滅の一歩手前に追い込まれたホノオは、自分の強みを洗い出してみる。
- ギャグ。
- くだらない発想。
- パロディ。
- ゴム人形のような絵。
- ゴム人形のアクション。
死にかけるホノオ。
どれもこれも、雁屋哲の原作の風味とは真逆すぎて、何も描けなさそうに思えてきて完璧に自信を失うのである。
が。
そこから、開き直りモードに入ったホノオは、なんと、その「強み」を全開にして、雁屋哲の原作で遊ぶような感覚で描いてしまうのである。
しかし…
俺にはもう
このやり方しか
できん…
面白くも
なんとも
ないものを
描いて
叱られるより…
アホか
ふざけるな
と
怒られるほうを
選ぶ!!
これ、わかる。
すごくよくわかる。
別にぼくはマンガとかマンガ原作をやってことがあるわけじゃないけど、例えば文章を頼まれて書くことはある。
その時に、依頼があまりにも高尚すぎたり、もしくは同じ雑誌に載る他の執筆陣があまりに凄かったりすると、「俺は一体どうやって書けばいいんだああああああ」と悩むのである。
そういう時に、他の人の文章とか読んでしまったりする。
じっくり読んでしまったりするのである。
「なるほど、深いな!」としきりとうなずいたり、面白くて笑いが止まらないときもある。そして「俺にはこんな文章は書けん!」といよいよ深く思いこみ、ぱったりと筆が止まってしまうのである。
そんな時はどうするのか。
そうだ。ホノオのように開き直るしかない。
自分の強みはどういうところにあって、何をすれば楽しく書けるのかを、思い出して、とにかく筆をとるのである。
途中でふと迷いも生じる。
ホノオのように。
大丈夫か
これで…
本当に
……
雁屋先生の
原作を先に
知ってたほうが
笑いがとれるような
つくりになって
しまっているが…
すごくもっともな疑問。だが、もっともな疑問に向き合ったらダメだ。そこは開き直って一気に書くしかない。
これがすごくよくわかる。
だけど、島本のすごいところは、それがただのエッセイじゃなくて、ギャグになり、さらにマンガになっているところなんだ!
マンガになっている?
マンガになっているのだ。
一番恐れ入ったのが、155ページから展開される「雁屋哲原作の世界観のままの作画」と「ホノオモユルが描いたふざけた世界観の作画」が本当にマンガになって対比されるところだ。
コマの一つひとつが、それ自体、鋭利な批評である。
ここの対比描写は本当にすごいと思った。
原作の原稿用紙の添削が消しゴムで消されずにいるために、雁屋哲の思考の流れ、加えたポイントの重要性がわかるというのは、まるでマルクスの草稿を読む学者みてーだなと思った。