つるけんたろう『0円で空き家をもらって東京脱出!』


 空き家が全国的に問題になっている。
 ぼく自身、全然別の件で全国の「空き家条例」について調べる機会があって、以来、空き家を見るたびにその再生について物思いにふけってしまう。
 空き家が「問題」になってしまうのは、たとえば年老いた親が住んでいたが亡くなり、子どもが継がないといけなくなったのだが、子どもはもう全然別の土地で生活していて、今さら解体するものカネがかかるし、更地にしちゃうと税金が逆にアレになってしまうという妙な事情があって、そのままにして……というようなケースだ。
 そういうのを聞けば「その空き家にオレが住みたい」と思っている人間もいるんだろうから、どうにかうまくマッチングできないものか、という気持ちがわいてくる。
 自治体でそういうサービスをやっているところもあるんだけど、やっぱり「所有者」目線っつうか、土地や家を何とかするカネをもっている人と売りたい人を引き合わせるみたいなサービスが多い。
 本書で紹介されているみたいに、「土地も家もゼロ円でゆずる」というのは、自治体の公式事業ばかりみていたぼくにとっては「えっ!」と思うような衝撃があった。


 本書は、東京で暮らす貧乏漫画家が、食うためのわずかなマンガの仕事を得つつ、残りの日はバイトで埋め尽くされるという日々を送っているという状況から始まっている。このくり返しでいいのか、と。

もしやオレは
この都会でただいたずらに
人生を消耗しているだけじゃないのか?
本当にこれでいいのか…?

 そこで「尾道空き家再生プロジェクト」を通じて、家も土地もゼロ円(登記料などが20万円ほどかかる)で手に入れることに成功し、東京から脱出するのである。

再生にものすごい労力がいる

 しかし、読んでみるとそんなに単純に家と土地をゲットできるわけではなく(いや、取得自体は大家と話がパッとまとまった感じで、そう難しくなさそうだったが)、家を再生させるための自前工事がむちゃむちゃ大変そうだったんだわな。


0円で空き家をもらって東京脱出! ( ) たとえば壁を塗り直すための漆喰。これを混ぜ合わせる作業がミキサーもなくやるもんだから、どんだけ腰に負担かけてんだよ、というふうに映る(「住むためにはキッツイ左官作業が欠かせないの巻」)。
 処分だけでも大変そうなのに、広い家を、この作業をして回るのは想像するだにしんどそうである。


 しかし家賃代がゼロになるわけだから、東京で月6万円の賃貸に住んでいるとするなら、月6万円のバイトだと考え、しかもそのあと家賃ゼロの住環境まで手に入ると思えば、希望が湧いてくるかもしれない。

何が楽しいのか

 本書の白眉は、実は移住そのものではなく、移住が完了してから、空き家プロジェクトの人や地元たちに誘われて、次々と「無駄」なイベントに捲き込まれていってしまうくだりだ。
 たとえば、けん玉。
 なぜか筆者は尾道でけん玉をやっている人に魅せられてけん玉にハマり、けん玉の講師にまでなってしまうのである。
 あるいは、空き家プロジェクトの人たちにそそのかされて再生した空き家を卓球場にして管理人になったりしていく。


 よく読むと、けん玉を公民館で教えると講師料をもらったり、卓球場は少しおカネをとったりと、「ビジネス」になっていくのである。わずかの黒字のようでもあるし、赤字のようでもあるが、ああ、こういうのがリアルな「月3万円ビジネス」ってやつなのね、と思ったものである。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20121022/1350899950


 筆者は「つるさんって何やってる人なんですか?」と聞かれて「たしかに……あれ……何だっけ」と自問自答してしまう。田中優の言うところの「生活の百姓」になっているわけである。
 田中優の「生活の百姓」についての一文を再掲しておこう。

 ……今の生活では、多くの人が「会社にぶら下がって」生きている。これはイメージとは違って、とてもセキュリティーが低い暮らしだ。会社をクビになってしまったら、収入が途絶えるのだから自殺するしかなくなるからだ。それを逆にして、自分を中心に置いてみよう……。会社にも勤めていて収入を得ているけれど、同時に地域の農家のお手伝いをしていて、野菜がもらえる。これも資産だ。NPOに関わっていておカネが儲かるわけではないけれど、労力分は収入が得られる。それも資産だ。それ以上に、自分自身の能力を伸ばすことでそこから収入を得られるようにする。そのトータルで生活できるなら、どれか1つが失われても自殺に追い込まれることはない。
 これが望ましい暮らし方ではないだろうか。たとえば「自分はビデオが撮れる、写真が撮れる、漫画が描ける、イラストが描ける、文章が書ける、講演ができる、落語が話せる、語学ができる、スポーツの指導ができる、料理ができる」、なんでもいい。自分自身の能力を伸ばして、そこから得られる収入で生活ができるようになれば、それが最もセキュリティーが高い暮らしになる。ぼくはこれを「生活の百姓」と呼びたい。「百姓」というのは「百の仕事」という意味で、百姓はどれか1つが不作だったとしても、それ以外の産物で暮らせる仕組みだ。だからその生活はセキュリティーがきわめて高い。それと同じように、たくさんの収入源を持って、その中で生きて行けるようになれば、その人の生活はずっと安定するようになる。その「生活の百姓」をめざすのがいい。(田中優原発に頼らない社会へ 〜こうすれば電力問題も温暖化も解決できる〜』武田ランダムハウスジャパンp.155-156)


 漫画家、のような本職を持っている場合、ネット環境が発達した今では一応地方でもできる仕事だから、東京でコネクションがある程度形成できたというアドバンテージがあるのであれば、このような地方への脱出はしやすい。
 金銭で支払うべきものを労働で代替し、その労働が他人との共同や関係の広がり、未知の体験の中でできるのなら、漫画家のようなクリエイターはむしろ積極的にこのような地方暮らしをすべきなのだろう。
 本書は、筆者のつるがそうした活動にハマっていく、その快楽がよく描けていると思う。
 大工仕事のようなものの充実感、知らない人との組み合わせがいかにも楽しそうである。
 

オルガナイザーとしてのTさん

 このマンガの現実の土台を支えているのは、このプロジェクトの仕掛人である「Tさん」だろう。イベント好きで、何かをやろうと言い出して周囲の人を動かしてしまう、その感覚が、これぞ真性のオルガナイザーだということ。


 ぼくは左翼運動でいくつもの「長」のつく職をやり、町内会長をやり、保育園の保護者会長をやってきたが、それで思ったのは、自分にはつくづくオルガナイザーとしての素質がないこと。人をどんどん捲き込んで煽る、というのは、なかなかぼくの能力として身につかない。身につける方法もあるのだろうが、そういうことは、もう得意な人に任せてもいいんじゃないかと思う。
 保育園の存続運動も、実際には、KさんというTさんによく似たオルガナイザー&アジテーターがいて火がついた。


 筆者のつるは、Tさんについて次のように書いている。

Tさんの得意技は、「言いだす」こと。番長が号令を出して手下が動き始めるように、Tさんが言いだすと動きだす。その「言いっぷり」はまさに天性のものなんだろうなぁと感心してしまう。


 Tさんを見ながら、組織者とはどういうものか、あれこれ考えさせられた。