坂田聡『苗字と名前の歴史』

 2006年に出ていた本であるが、最近福岡市の博物館の1階にある小さな書店に立ち寄った際に立ち読みし、面白そうなので購入した。

 

苗字と名前の歴史 (歴史文化ライブラリー)

苗字と名前の歴史 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者:坂田 聡
  • 発売日: 2006/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

 ぼくの問題意識は「氏と苗字はどう違うのか」というものだった。さらに言えば「『夫婦別姓』などというように『姓』はほぼ苗字の意味で使われているが、氏と苗字と姓はどう違うのか」ということだ。

 自分の家系を調べていると藤原氏の系譜ではないかと考えられたのだが、途中で「宇都宮」を名乗っている。黒田如水に暗殺された宇都宮鎮房と同じ流れになるあの「宇都宮」である。それがやがて「カミヤ」になるのだ。

 なので、漠然と「藤原氏なら藤原氏という氏族が広がりすぎて、それを地名や通り名などで家ごとに分けていったのが苗字ではないのか」くらいに思っていた。

 

 結論から言えば、「氏は天皇から与えられた血縁グループの名前であり、苗字は中世に家産の管理単位である家が成立し、その家の名前として自分たちで私的に名乗り始めたもの。氏と姓は古代の段階で同じ意味になった」というのが本書を読んでのぼくの理解である。

 

氏と姓の同義化

 「氏姓制度」がよくわからない。高校教員(その後大学教授)だった坂田も「日本史を学ぶ生徒の多くが、なかなか理解できない制度の代表格」(p.22)と述べている。『日本史大事典』などを引いて坂田がまとめたのは、氏(ウジ)はだいたい上記の通りだが、臣・連・造などの姓(カバネ)は「その氏が国政上に占める地位を示した」という。

 つまり姓(カバネ)はぼくの理解では地位の重さを表しているのだが、同時にそれが役職(職務分掌)的な色彩も持っているというものだ。姓(カバネ)にはいろんなニュアンスが入り込んでいるので、とりあえず「国政上の地位の重さ」、階級のようなものとおさえておけばいい。

 名前の歴史を調べる上で大事なことは、この氏(ウジ)に与えられた姓(カバネ)は、律令体制の確立にともなって、つまり大陸の影響を受けた官僚機構の成立によってほとんど形骸化してしまい、平安時代になった9世紀にはその形骸化が決定的なものとなり、古代の段階ですでに氏と姓は同じものとなったのである。姓を「カバネ」と呼ばず「セイ」と呼ぶようにもなった。

 氏と姓の同義化、つまり氏=姓となった。

 天皇から与えられた血縁グループの名前として「氏」「氏名(ウジナ)」といい、「姓(セイ)」というようになったのである。

 

家の名としての苗字

 坂田によれば、苗字が生まれるのは、南北朝の内乱期であるという。

 それまでの分割相続から、単独相続となる。

単独相続を前提とした家産が成立とすると、父から長男へと先祖代々家産を継承する、永続性を持った家が出現することになる。……世代を超えて永続する家は、それを構成する個々人から独立した組織体であり、そのような組織体を識別するためには、組織体独自の名が必要となってくる。ここに、家という組織体そのものを指し示す呼称として、苗字が成立したのである。(本書p.34)

 これは武士の話ではないか? 庶民、農民はどうだったのか、という疑問も起きると思う。

 坂田は

遅くも一五世紀中には小農民が自立を遂げ、一六世紀の戦国時代あたりに彼らのレベルでも家が形成されて、〔今日の私たちが自国の「伝統」だと考えるような社会システム・生活文化・習俗などを含んだ〕「伝統社会」が成立した(p.175)

としている。

 坂田は社会学者の鳥越皓之による、3点の、家の特色を紹介している。

  1.  家産を持ち、それにもとづく家業の経営体である。
  2.  先祖を祀る。
  3.  家の直系での永続と繁栄を祈る。

 1.は農家が典型的だ。2.と3.は一体のものだ。家産を受け継いでいくことを軸にして生まれるイデオロギーであろう。

 既視感あり。これは見たことがある。

 まさにぼくの実家の亡くなった祖父母であり、それを受け継いでいるぼくの父母だ。

 彼らは律儀に法要を行い、仏壇を前に毎日「おつとめ」をし、3日に一度は墓参りをして墓の花を取り替える。彼らにとって仏教は生死についての精神コントロールをするブッダの教えではなく、先祖供養という土着宗教なのである。家産を守り受け継ぎ、先祖を祀ることで家を継承する。その家の継承を自分の生きる意味とし、死はその家の先祖たちの列に加わることである。子孫に受け継がれ、仏壇や墓が管理され、代々供養されていくことに大きな意味があるのだ。

 そこに生きる意味を見出さないマルクス主義者のぼくは、生きる意味を別のところに見出している。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

氏(姓)と苗字の違い

 といっても、氏(姓)と苗字の違いがよくわからないかもしれない。

 前提としていっておくが、現代ではこれらはほぼ全て同じものとして扱われているし、近世(江戸時代)にはこうした「同じもの扱い」がすでに行われている。だから「よくわからない」のは仕方がないのである。

 坂田は氏と苗字の違いを3点にわたって説明している。

 その説明は本を読んでもらうとして、その説明をもとに、いかにも日常の会話で出そうなQ&Aにしてみる。

 

Q「苗字と姓って違うの?」

A「今は同じ意味だね。もともとは別のものです」

Q「別だったの?」

A「古代に天皇から、その血族グループに与えられた名前を『氏』って言ったんだよね。藤原氏とか大伴氏とかあるじゃん。苗字は中世になって、家ごとに長男が土地を受け継ぐようになって自分たちで名乗り始めたものなんだよね」

Q「さよなら」

 

 おいおい、行っちゃったよ!

 しょうがねえじゃん。難しいこと聞いてんだから。

 気をとりなおして。

 

Q「苗字と姓って違うの?」

A「今は同じ意味だね。もともとは別のものです」

Q「別だったの?」

A「姓は古代、古墳の時代とかにできて、苗字は中世、鎌倉幕府がなくなったころくらいにできたんだ。藤原道長だと『ふじわらのみちなが』って『の』が入るよね。これが姓。だけど、足利尊氏だと『あしかがたかうじ』であって『あしかがのたかうじ』とは言わないよね。これが苗字なんだよ」

Q「ホントだ。『おだののぶなが』とは言わないよね。じゃあ『の』が入るのが姓で、入らないのが苗字ってことか。わかった」

 

 違う。いや違わないんだけど、それは表面的な理解であって、そういうことを言ってんじゃねーんだよ。ちなみにこの「の」による判別方法は岡野友彦の見解として本書p.39-41に紹介されている。豊臣秀吉の場合、「木下」「羽柴」は苗字だが、「豊臣」は天皇から賜った姓(氏)であるから本当は「とよとみのひでよし」が正しい……ってそんなトゥリビャルな部分じゃなくて。

 もう一回行くぞ。

 

Q「苗字と姓って違うの?」

A「今は同じ意味だね。もともとは別のものです」

Q「別だったの?」

A「姓は大昔に天皇からもらった、血のつながりのある一族、血族のチーム名なんだよ。血のつながった子孫なんていうのは、後になるほど、どんどん広がっていくから、中央でも地方でも、例えば『藤原』って名乗る人はいっぱいいたんだよね。もう遠い遠い関係になってもそれでも『チーム藤原』の一員だっていうことになるわけだ」

Q「へー。じゃあ苗字は?」

A「家ごとのもので、家の名前なんだ」

Q「うん? 血族って血のつながりでしょ? 血族と家って同じじゃないの?」

A「血族っていうのは遠く遠くをたどっていって血のつながりがあることになっていれば全部そのチームに入るんだ。だけど家っていうのは、ここでは家の財産、例えば田んぼとか畑のようなひとまとまりの土地だよね、その土地という財産をもって管理している経営組織体のことなんだよ」

Q「経営組織体?」

A「ほら、農家とかそうじゃん。田んぼが1ヘクタールあって、畑が2ヘクタールあって、それを家族で耕して、そこの収入で生活して……って」

Q「ああ、なるほど」

A「それまでは土地は兄弟で分けていたんですが、鎌倉時代の終わりくらいから、長男だけが相続するようになって、その土地とかの財産を守って管理していく単位が家になったんですよ。だから家のシンボルである名前が必要になったんですね」

Q「そうか。兄弟は同じ血縁関係者だけど、その土地は管理してませんものね」

A「だから、家の名前は、苗字だけじゃなくて、例えば代々『伝兵衛』というのを長男は襲名するとか、あるいは苗字じゃなくて、その家屋敷のことを屋号で呼んだりするようになったんです」

Q「やごう?」

A「同じ苗字だらけの地域の選挙とかで、同じ苗字でしかも同じ名前がいっぱいいるので、よく使われているよね。その家で代々襲名されてきた名前か、職業などがそうだ。例えば東京の神津島だと『げたや』とか『治エ衛門』とか」

Q「ふーん、家の名前を表すものがいろいろあって、その一つが苗字なんですね。でも兄弟で同じ苗字って普通ですよね」

A「うん。兄弟が独立しても同じ苗字を名乗ることは普通によくあることだったんだよね。だけど同じ苗字でもあくまでも家の名前であって、それがたまたま同じだったってこと。特に庶民は兄弟で独立しても同じ苗字を使うのが普通だったんだ」

Q「ああ。うちの実家の集落も、100世帯くらいだけど、カミヤ、ナカムラ、ヤマシタ、カトウ、スギウラが占めてる。どんどん独立して言ったけど、兄弟で同じ苗字を使ったんだろうね。今ではもう血縁があったかどうかもわからないんだけど。だからあなたの言うところの屋号でよく呼んでたね。『表具屋』とか『長十郎さ』とか」

A「苗字があって、家の財産=土地があって、それを先祖代々受け継いで、お盆にはその先祖のお墓詣りをして、やがてそのお墓に入って、子どもは結婚してその家を継いで……ということを強く強く願うような風潮は、家の成立とともにできたんだ。だから、保守派の中で夫婦が同じ苗字で家を継いで子どもを産めよオラって、セットでイキっているんだね」

Q「みんな農家じゃなくなって土地っていう財産や家業を受け継ぐ単位として家を意識しなくなったし、兄弟で独立しても男性は苗字を変えないことがほとんどだから、もう『家の名前』としての苗字を意識することはなくなったよね。むしろ血族のつながりとしての姓(氏)の意味に近いよね?」

A「まあ、姓(氏)が『天皇から与えられた』っていう点を無視したらそうだよね。もう苗字=姓(氏)っていう意識になるのは当たり前なわけだ」

 

夫婦別姓」、女性の名前

 本書は、「夫婦別姓」や女性の名前についても論じている。

 夫婦別姓については「夫婦同苗字」であるとして、その起源は、一部のリベラルがいうような「せいぜい明治以後の100年」というものではなく、江戸時代の庶民にも苗字があったとしつつ、保守派のいうような日本古来のものではなく、せいぜい南北朝に始まり、戦国時代に確立したほどのものである、としている。

 女性の名前については、幼名から成人の名前に変わることによって一人前の共同体メンバーになるという意味合いがあるのだが、社会的地位の低下によって幼名のままというふうになった、的な話が書いてる。例えば「鶴」とか「菊」のような動植物の名前は幼名(童子名)であるが、そのままだったわけである。

 「藤原氏女」というのはぼくらが考える近代的な固有名ではないが、それでも「藤原氏のメンバー」という血族の成員扱いではあった。

 ちなみに下記は文永5年(鎌倉時代)の文書に出てくる女性名である。

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坂田聡『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館)p.140

 「米女」「ライス女」w

 このように、ジェンダーの視点からも書かれているのが本書の特徴の一つである。