友寄英隆『「アベノミクス」の陥穽』


「アベノミクス」の陥穽―安倍新政権の論点〈2〉 (安倍新政権の論点 2) アベノミクス本の紹介もそろそろ終わりです。今回が最後になるでしょう。
 最後は、友寄英隆『「アベノミクス」の陥穽』(かもがわ出版)です。「え、誰……?」と思ったあなた、心配いりません。その反応がふつうです。知らなくて当たり前です。小さな本屋にはほとんど並んでいません。
 友寄は、月刊誌「経済」編集長を長く務めてきた人ですが、「経済」というのは共産党に近い経済誌であり、いわばサヨクです。サヨクとしてアベノミクス解説をしているのです。


 友寄の本は3月に発売されています。
 おそらくサヨクであるぼくが、一番最初に読んだアベノミクス本じゃないでしょうか。
 安倍政権ができたばかりのころに執筆がはじまったもので、そういう段階でのものです。
 しかも、本書は110ページしかありません。ブックレットですね。
 そういう制約があります。

うーん、初心者本ということでは難しいかな

 結論からいいますと、ブックレットという点が一番の制約になっていると思いますが、「わかりやすさ」という点では、もの足りない、といっていいでしょう。
 一見サヨクにとっては、実は聞き慣れたロジックでの批判が並んでいるように思います。ところが、よく読むと新しい論点が入っていて、それをきちんと理解するのはこの分量ではちょっと難しいのではないかなと感じるのです。


 サヨクが当面の自分たちの活動に使うため、という目的をもともと持っているので、上記のような印象になります。
 しかし、ここにある論点をそれなりの分量で展開していけば、アベノミクス賛成派にもきちんと説得をしてまわれる、少なくとも議論をしていけるくらいのものにはなるはずです。ブックレットの制約でそうなっていないのは何とも残念なところで、友寄には、今後そういう分量でアベノミクスについて書いてほしいと思います。
 もっともこの点については、前回とりあげた吉本佳生がのべたように、

これ〔アベノミクス――引用者注〕が成功するかどうかをさらに議論するよりも、現実に成功するかどうかを見守ったほうが、決着は早そうです。(吉本『日本の景気は賃金が決める』p.124)

ということなのでしょうが……。

どのような論だてになっているか

 本書は、次の3章構成になっています。

第I章 「アベノミクス」ではデフレ・不況から抜け出せない
第II章 デフレ・不況の真の原因を探る
第III章 デフレ・不況から脱却するための処方箋

 第1章はアベノミクスの評価です。アベノミクスを要素ごとにわけて国民にとって何をもたらすのかを書いています。いろいろ書いてあるので、くわしくは本書そのものを読んでほしいのですが、友寄が「はじめに」で「結論的にいうならば」とまとめている箇所を引用しておきましょう。


 結論的にいうならば、「アベノミクス」の効果は、ごく短期的には、最近の「円安」傾向と「無期限・無制限の金融緩和」、13.1兆円の補正予算案などのカンフル剤的作用によって、株式市場で一種の「ミニ・バブル」的な状態を作り出し、統計的には経済成長率を少しだけ押し上げることになるかもしれません。
 しかし、それは第一に、文字通り「一時的な効果」にすぎないでしょう。その効果が5月の連休までになるか、それとも7月の参院選までもつか、あるいは、もっと早く追加的なカンフル剤が必要になるか、いずれにせよ、内外の投機的な金融資本の思惑しだいでしょう。
 しかも第二に、その「ミニ・バブル」的な効果は、国民全体に及ぶのではなく、きわめて二極化した状態であらわれ、一部の大企業や金融界、ゼネコン、大資産家には法外な恩恵をもたらすのにたいし、大多数の労働者・国民には、将来にわたっての増税と福祉の切り下げ、失業と貧困、倒産と経営難をもたらすでしょう。
 さらに長期的な視点でみるならば、「アベノミクス」の効果は、国民の暮らしや雇用、財政や金融、産業経済にとってさまざまな悪作用をもたらして、最悪の場合には、日本経済を制御不能な困難な危機に追い込む可能性すらあります。(友寄p.4-5、強調は引用者)

 ただ、こんなふうに個々の害悪を書いている、というだけではありません。
 根本的には、アベノミクスはデフレ・不況を貨幣現象として把握しているために、デフレ・不況を脱することはできない、という認識を本書はもっています。
 ぼくの印象では、アベノミクスというのは、資本の側が「目先の階級的利益を得るためにおこした政策」というよりも、彼らなりにみて「本当に貨幣現象に問題がある」と信じてはじめた政策という側面が強いように思います。左翼の立場から見ると「誤謬」とでもいいましょうか。
 友寄もこういう立場なのではないかと勝手に推測しています。
 だから、1章のタイトルは「『アベノミクス』では、デフレ・不況から抜け出せない」となるのでしょう。


 第2章は、じゃあ、貨幣現象でなければ、日本のデフレ・不況というのは、なぜ起きているのだ、ということを友寄流に解説します。当然実体経済論の立場でこれを展開していくわけですが、どういうメカニズムかをかんたんに書いています。
 第3章は、第2章の診断にもとづく処方箋です。


 この構成をみてもらえばわかりますが、本書のキモは、第2章です。
 「真のデフレ・不況の原因分析」という積極記述を対置することで、アベノミクスはこの根本を解決しない、という批判を浮き彫りにしようとしています。それとの対比で、アベノミクス流の金融政策が役に立たないと言いたいわけです。

デフレ・不況の真の原因としての「二重の悪循環」

 さて、では、何を友寄は「原因」とみなしているのか。
 それは需給ギャップの存在、供給サイドの大企業ばかりが強くなって、労働者や国民の賃金は下がるばかりだった、という指摘をしています。ここでも「戦後最長の景気上昇」であった2002年2月から2007年10月までの期間がやはりとりあげられ、「完全に二極化した景気回復」と特徴づけられています。


 まあ、ここまでは左翼側がよく行っている主張です。
 友寄は、こうした2000年代的な需給ギャップが再生産されてしまうしくみが、日本経済にあり、そこにつっこんでいます。この点が特徴的だといえます。友寄はそれを「二重の悪循環」と呼びます。


 まずは、リストラ・低賃金と円高の悪循環です。友寄は、この循環が変動相場制になった70年代後半に生じたとのべます。大企業がリストラ・賃金抑制、下請単価切り下げでコストダウンして価格競争力=国際競争力をつけるが、それが円高という為替レートの切り上げによって、チャラになってしまう。そこでまたリストラと賃金抑制…。これの悪循環です。
 友寄は、かつてのようの集中豪雨的輸出による摩擦、円高、というパターンでは今はなくなっているけども、「国際競争力強化」の名前でコストカットを押し付け、円高…という循環は今日でも続いているといいます。


 ただ、この主張も、聞かれたことはあるでしょう。
 特にサヨクの人たちにとっては、わりとよく聞いたことのある話です。


 友寄が「二重」という、もう一つの「悪循環」のほうが、このパンフレットの新しい解説の意義だということになります。


 それは「インフレ率(「相対的購買力平価上昇」)と円高の悪循環」です。
 友寄はこう書いています。

 いま一つの「悪循環」は、1990年代以降の傾向として、低賃金・雇用不安による内需不振・長期不況・デフレと円高との「悪循環」です。(友寄p.66)

 これだけ聞くと、なんだかさっきの「悪循環」と違いがよくわかりませんね
 友寄は実体経済の悪化を強調したいので、修飾が多くなりすぎているのですが、友寄がそのすぐ次で解説している文章を、「余計な」文言を省略して紹介しましょう。

物価上昇率の低下(インフレ率の低下)が、各国と比較したときの通貨価値としての「円」の相対的上昇(「相対的購買力平価上昇」)をもたらし、円高を招くという貨幣経済の「悪循環」です。(友寄同前)

 これは初心者には少し難しいかもしれません。
 「相対的購買力平価」というのがわかりにくい。
 友寄自身が「相対的購買力平価」について書いていますが、ある基準の年に1ドル=100円だったのが、10年後に米国は物価が2倍になって日本の物価は変化しなかったら、1ドル=50円の円高となり、相対的購買力は上昇したことになります。


 これはどこを基準の年にするかと何の値段を比べるかで、かなりかわってきます。それをふまえて、友寄は1995年を100とした日米の消費者物価指数を比べています。日本はほぼ100のまま。米国は143で、だいたい1.5倍になっています。

とりわけ90年代以降は、日本の長期不況・デフレの深まりによって、インフレ率に拍車がかかり、それが円高を促進することになってきました。デフレによるインフレ率低下(「相対的購買力平価上昇」)と円高の悪循環です。(友寄p.67)


 友寄によれば、これが「二重の悪循環」のもう一つであり、このことがデフレ・不況の「真の原因」なのだといってます。左翼の論調としては、この「インフレ率の低下」を要素にあげて、それがデフレ・不況の真の原因だとまで述べているのは珍しいのではないでしょうか。


 ちなみに、友寄は、OECDの算出した購買力平価での円の実力が107円であることなどを示し、異常な円高を修正して円安になること自体は正当なものだという指摘をしています。

賃金抑制・リストラという真因と、インフレ率・円高の循環の連関を示す

 えっ! インフレ率の違いが!
 じゃあ、やっぱり、インフレ目標を決めて物価を上げればデフレも円高も止められるじゃん。という色めきだつ向きがあるでしょう。じっさい、岩田規久男などをそこで名前をあげて、そのような主張をしている、という例としてとりあげています。


 友寄は「それは大きな誤りです」とのべています。


 しかし、こうした主張は、現在のリストラ・デフレと円高・空洞化の「二重の悪循環」の一つである貨幣的な悪循環(デフレ→「相対的購買力平価上昇」→円高→デフレ)だけを一面的に切り離してとらえて、その現実のメカニズムを正確にとらえていないと言わざるをえません。こうした一面的なデフレ・円高論では「デフレと超円高をもたらしている真犯人は日銀だ」というまちがった結論になってしまいます。(友寄p.68)

 友寄は、たしかに二重の悪循環として、「インフレ率低下と円高の悪循環」を原因の一つとして認めました。しかし、その「インフレ率低下と円高の悪循環」は、あくまで最初にあげた悪循環(「リストラ・低賃金と円高の悪循環」)に含まれているもの、すなわち大企業のリストラと低賃金、下請単価切り下げにこそ起点があるのだ、といいます。

「二重の悪循環」の起点となり、悪循環を主導しているものは、大企業の「リストラ・低賃金」路線の推進であり、そこにこそ悪循環の究極の原因があります。「相対的購買力平価」の上昇という貨幣価値の変動はあくまでも実体経済の変動の反映であり、インフレターゲットなどという貨幣的な政策を強行すれば、「デフレも円高も止められる」などというわけではありません。(友寄p.68-70)


 インフレ率の低下について、友寄は「内需が低迷することによる」とか「低賃金・雇用不安による内需不振」(友寄p.66)とのべているだけで、まあパンフレットであるというせいもあるでしょうが、あまり展開されていません。
 友寄にとって大事なことは、左翼のおなじみの議論に、インフレ率の問題がどうからんでいるのかをモデルにし、後者が全体の連関の中のどこに位置づいているのかを示すことだったのでしょう。別の言い方をすれば、大企業によるリストラ・低賃金路線がデフレ・不況の原因であり、円高の根源であるとするならそれだけを書けばいいわけです。なぜ貨幣現象であるインフレ率低下の問題を友寄が「二重の悪循環」としてわざわざ自分の説明構図の中にいれたのか、ということですね。
 本書の役割はここにあるように思われます。
 逆にいえば、左翼でない人にはもの足りないかもしれません。あるいはわかりにくいかもしれません。


デフレの定義、「デフレ・不況」という書き方

 ところで、友寄は冒頭に、デフレの定義問題を少々こだわっています。ただ、このこだわりは大事だけども、初心者には難しいと感じたのでしょう。本論から外して「補論」で扱っています。
 どちらかというと、こういう補論での論争チックな叙述の方が面白いんですけどね。
 こういうこだわりは、リフレ批判派にわりと共通していて、小幡も吉本もそしてこの友寄も「デフレ不況」という言い方に問題を感じています。
 というのも、デフレをインフレにすればいいというリフレ派からすればデフレと不況を一体のものとしたがることが多いわけですが、逆に非リフレ派は「デフレは連続した物価下落だと仮に定義しても、それはイコール不況ではなく、日本経済の不況は別の原因がある」と言いたいからでしょう。

 友寄は、まず、

デフレーション」という現象は、厳密に言えば、「物価の連続的低落」のなかで、「通貨収縮」に起因する物価下落のことに限られます。(友寄p.13)

と一撃をあびせています。経済学的な本来の意味ではIMFOECDのような定義ではないことをクギをさしています(岩波『経済学事典』などを参照している)。インフレ抑制のために政策的に通貨を収縮させてインフレ率を低下させるディスインフレーション政策はあるけども、金本位制の崩壊と不換制によって、インフレが常態化し、厳密な意味でのデフレはほとんど起きないと述べています。


 この定義から出発し、不況による物価低落は、商品価値の減少に起因するもので通貨収縮によるものではない、と批判します。


 友寄はIMFの定義にとりあえず従うが、それだけで物事を考えようとするのは問題の真因を見ない考えだとして次のように書いています。

現在の日本の「デフレ」(物価の連続的低落)現象は、異常円高という貨幣的な要因とともに、実体経済の不況(とりわけ需要不足)が主要な要因になっており、さらに急速なICT革命による製品価値の低下という要因も加わり、複雑な特徴をもっています。ですから、とりあえずはIMFの定義をもとに「アベノミクス」の検討をすすめるにしても、実体経済の問題を抜きにして「デフレ対策」を論じるなら、「大胆な金融緩和」によって「デフレ脱却」ができるかのような理論的な混乱に陥ります。「アベノミクス」の場合は、むしろ、こうした理論的な混乱を悪用した金融政策を強行しようとしているといえるでしょう。(友寄p.13-14)


 この流れで、友寄は、アベノミクスの指南役とよばれる浜田宏一の「デフレ」論などを批判しています。


 浜田教授の「デフレ」論の特徴は、IMFOECDのデフレの定義と経済学的なデフレの定義をドッキングさせて、都合のよいように結論を導くやり方である。
 先にみたように、IMFOECDの「デフレの定義」は、現象としての「物価下落」に着目しているだけで、それが経済学的な意味での「貨幣の側に起因する物価の名目的下落」であると定義しているわけではない。そのために、IMF定義へ準拠している日本政府も、その要因を(1)供給構造、(2)需要要因、(3)金融要因、の三つがあると一貫して強調してきたのである。
 浜田教授は、「ものの価値が下がり、貨幣の価値が上がった」ことをまったく同一のこととしてとらえ、IMFOECDの「デフレ定義」は、「貨幣の側に起因しする物価の名目的下落」のことに限定していると認識しているようである。しかし、一般物価水準は、個別価格指数の総平均にすぎず、それは貨幣価値そのものではない。(友寄p.107)

 まあ、このあたりは、初心者にはある意味でどうでもいいことですが、「デフレ」定義問題というのは、本来こうした論争になっていくもので、面白いくだりの一つです。このあと、さらに「広義の買いオペ」論を批判していくのですが、それはもう実際に読んでいただくとして。


 繰り返しますが、本書は初心者むけにしては、ちょっときついかもしれません。というか、初心者が読んでも、それなりにわかると思うのですが、この本が意図した中心点(第二章)の意義付けがわかりにくいと思います。
 左翼的な実体経済原因論を柱にしたモデルに、(1)インフレ率問題がどう関係しているのか、(2)デフレ・不況をめぐる混乱について、いわば「導きの地図」を描く役割を果たしています。パンフレットという限界があるために、特に(1)はくわしく検討されているとはいえません。
 しかし、左翼の中でこの見取り図をおおまかに描いたことは、啓蒙書としては一定の役割を果たしているといえるかもしれません。