土山しげるを語る

 「FRIDAY Dynamaite」の2013年3月14日増刊号で土山しげる作品の魅力について語りました。土山本人のインタビューの上に、載ってます。
 そう。この号は、今井メロの「特別付録DVD&スクープ袋とじカラー」がついている号です。ええ。


 ぼくなりに土山作品について思っていることを、ここでも書いてみる。

ご飯とラーメンを食べる描写が抜群

極道めし 1 (アクションコミックス) 土山しげる作品の最大の魅力は、なんといっても、うまそうに食べるその描写力にある。


 まず、絵柄。グラフィック。グルメ系の漫画は料理をうまそうに見せるというハードルがある。劇画作家であり、大学に行きながら夜間に絵の学校に通っていただけあって、画力はすごい。しかし、土山の場合は、なんといってもご飯、飯粒と、ラーメンの描写が抜群と思う。
 というか、こだわりがある。
 ご飯ものというのは、『極道めし』ではないが、やはり見ている者の喉を鳴らせるうえでは一番の武器だし、ラーメンは必ず視聴率がとれるというほどの国民食であるうえに、『喧嘩ラーメン』でグルメ漫画家としての地位を不動のものにした土山にはお手の物だろう。

「食べ方」を見せる

 もう一つ、というか、こちらの方が決定的だと思うが、食べ方を本当によく見せようとしている。土山はインタビューなどで、それまでのグルメ漫画への不満として「食べ方をどう見せるかへのこだわりが弱い」ことを批判していたが、まさにそれがものすごくクリアに克服されている。
 喰い方を描くという点で、他作家の作品で2つ比較材料をあげておく。
 『ウシジマくん』は、戦略的にだが、食事のシーンがけっこう多くて、反対にものすごくまずそうに食べている。というか、生き様の貧困を食べ方や食事に集中的に表現させている。
 『花のズボラ飯』は、意識的に性的なものとからめているとおもうけど、ヨダレや汗や涙がすごく多い。ぼくはこれが好きなのであるが、つれあいとかは、逆に「そういうものは汚い」という評価をもってしまう。

『喰いしん坊!』の魅力

 この魅力が最大限に発揮されているのは、やはり『喰いしん坊!』と『極道めし』だと思う。この2つはグルメ漫画史のなかで一つの独立峰、それも巨峰をなしているといってもいい。


喰いしん坊! 17 (ニチブンコミックス) まず、『喰いしん坊!』は、ものすごくあやういバランスの上にマンガを成り立たせている。
 なにがといって、一つは大食い・早食いといういわゆるフードバトルを対象にしていること。これは危険である。危険きわまりない。というのも、食が汚くみえるというものすごいハイリスクを負っているからである。つーか、よくこんなジャンル描こうとしたよな。だいたい、現実のフードバトルをぼく自身がみていたときも、批判的だったし、喰いっぷりがいいとか、おいしそうだとは微塵も思わなかった。


 ところが。
 『喰いしん坊!』は、けっこう読みながら食欲をそそられてしまったものが多い。つめこみすぎだぜ、という展開になる部分は、食欲はさすがにわかなかったが、勝負事として純粋に楽しめた。一度として「もうええわ」といって本を閉じる気にならなかった。


 というのも、さっき言った通り、喰いっぷりの描写のなせる技だというのが一つ。


 もう一つは、フードバトルをめぐるルールや技術の解説がものすごくシンプルでわかりやすかったということ。
 率直にいって、それがどれくらいマジなのか、科学的なのかはよくわからない。にもかかわらず、ぼくくらいの頭の程度だと、それで「ほうほうなるほど」と説得されてしまうのである。
 たとえば最初に勢いよくドカ食いするのはダメだとか、水は極力飲むなとか、小さくかんでいくのがいいのだとか、空腹で挑戦するなとか、そういうセオリー。日常的にウンチクで使えそうで楽しいし。こういうシンプルで、そのセオリー自身が好きになると、ゲームバトルマンガとしてのめり込みやすい。だから、食欲をはずれた部分でも楽しめたのである。


 このことと裏腹なのだが、このマンガのリスクは、つうか、土山しげるのマンガのリスクはだいたい、一歩間違うと「トンデモ」マンガになってしまうというところで、いったん物語世界から冷めてしまうと、メタに笑えるマンガになってしまうというものすごいリスクを負っている。


邪道 1 (ニチブンコミックス) 『邪道』なんかはオチの悲惨さもあって、ものすごく笑えたし、『喰いしん坊!』の亜流である『大食い甲子園』なんかも、のめりこんで読んだものの、明らかに連載を打ち切られるっぽい後半のグダグダ感で一気に冷めていった。冷めると、何が大食い甲子園だとかひたすら可笑しくなってしまう。
 『喰いしん坊!』だって、一歩ひいてみると、大の大人が大食いをめぐって人生をかけたド真剣なやりとりをしていて完全にアホなのだが、そういうツッコミを許さない力がある。とはいうものの、土山作品を読むときは、どこかでそのタガのはずれた感じを楽しむというのはある。
 「通天閣喰い」だの「二丁喰い」だの、アホですか

極道めし』の魅力

 『極道めし』は、要は、みんながよく知った食べ馴れたものこそ、美味しいものであり、それは食材ではなく、それをたべるシチュエーションこそが重要、状況を食べる、「空腹が最大のごちそう」というセオリーを忠実に機能させていて、ある意味で、食材や料理方法を競い合う、他のグルメ漫画に対するラジカルな批判になっている。


極道めし(8) (アクションコミックス) まあごたくはいいとして、なかでも個人的には、白飯をいろんな食べ方をするのがものすごくうまそう。元警官が、疲れ果てながら、あつあつの朝ご飯にとれたての生卵をぶっかけて食べるというのが最高。8巻でいろんな丼ものを制覇する男の話がでてくるが、そのなかで天丼と海鮮丼は対象から外されているのもものすごく納得する。あの二つはおいしい食べ物だが、がつがつと喰い、喉をならして食べるたべものではない。


食材・料理描写の排除

 『極道めし』と『喰いしん坊!』の革命性は、料理や食材の描写が基本的に排除されて、ひたすら食べることだけに焦点があてられているということ。


 ぼく自身は実はグルメ漫画は嫌いなほうで、ゲームバトルとして楽しむか、そこに興味深い人間模様が描かれるときだけ興味をしめしてきた。食材や料理法のウンチクにそれほど関心がない。


 逆にいうと、土山作品のなかでも『喧嘩ラーメン』や『食キング(しょっきんぐ)』は料理プロセスの描写が入る分だけ興味が奪われる。『食キング』は修業方法の荒唐無稽さを楽しむ人も多いけども、ぼくの中では本当に荒唐無稽さだけが前面にきてしまっている。手ごねハンバーグをつくるために相撲とりのマッサージをやらせるとかなんじゃそりゃとか思っちゃう。
 あれは「愛の貧乏脱出作戦」のマネだろうとか、「北斗の拳」のマネだろうとか、そういう楽しみ方もあるわけですが、そこまで入り込めない。