松本清張『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』

 リモート読書会は松本清張『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』である。「或る『小倉日記』伝」だけではなく、それに収められた短編全体を読むことになった。

 恥ずかしながら、松本清張で読んだことがあるものはほとんどない。

 つれあいと春に松本清張記念館に行ったことがきっかけで、有名どころをいくつか読み、映画などもネットで観た。正直、なんという読みやすさ、面白さだろうかと感動した。

 読書会では、参加者から口々に父が熱心なファンだったとか、母の本棚にたくさんあったとか、親がよく読んでいた、というエピソードが聞かれた。

 つれあいがファシリテーターで、松本の『半生の記』も読んでいたために、彼の年表をもとに、貧しくて学歴がなく辛酸を舐めさせられた話や、42歳で処女作『西郷札』を書き、44歳で『或る「小倉日記」伝』によって芥川賞を受賞するという遅咲きの作家であることなどが紹介された。

 『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』に収められた短編の少なからぬ部分は、「或る『小倉日記』伝」を含め、そのような松本の生い立ちを裏返しにしたような人生を描いた話が集約されている。

 「或る『小倉日記』伝」は、森鴎外の小倉時代の日記が紛失していることから、その時代の空白を埋めるために、田上耕作という障害を持った青年が当時の関係者の証言や史料を、地を這うようにして集める話である。

 他の「菊枕」「 断碑」「壺笛」「石の骨」などの短編はいずれも才能を持ちながら学歴が低くて世に認められず、自分の尊厳や意地を守って不器用な生き方をしてしまったために、学界や俳壇から疎外され、壮絶な死を遂げるまでが描かれている。

 「どれも同じような作品に思えた」「読むのが辛かった」という感想も読書会ではあったが、ある意味その通りだろう。

 ぼくは、これらの短編は松本清張の抱えていた鬱屈、劣等感、焦燥、あるいは実際に受けた差別や侮蔑が反映されたものであろうと読んだ。

 そうした感情や体験は、昭和の初めのころまでの近代では、貧困・障害者差別・ジェンダーなどからストレートに起因して、例えばぼくが生涯で読んで初めて泣いた小説『路傍の石』の愛川吾一のような形象——才能があるにも関わらず極貧ゆえに上の学校に行けず、昨日まで一緒に遊んでいた同級生たちに露骨に差別されて働きに出る——ではあったと思う。そのような文学としても読める。

 

 しかし、そうした近代草創期の時代性を超えて、ここに書かれている鬱屈は「何者にもなれない自分」への絶望・焦り・劣等感というきわめて現代的なテーマのようにも思えた。

 松本清張は、この点においてその鬱屈から抜け出した「成功者」である。その視点から、結局抜け出すことができなかった人たちへの、深い同情、憐憫、共感とともに、ある種の恐怖として描いているように思われた。

 逆に言えば、「成功者」としての上から目線というニュアンスも含まれていなくはないのだ。

 例えば、現代であれば、こうした「何者にもなれない自分」というテーゼに対して、「何者かになれ、というメッセージは資本が子どもに対して教育を通じて絶えず洗脳しようとするイデオロギーだ」とか「何者になれなくても全然いいじゃないか。のんびり、楽しく過ごしたいな。それが人生の幸せじゃないか?」とかいったアンチテーゼを突きつけ、もとのテーゼを武装解除してしまうこともできる。つまり解毒できるのである。

 以前、近藤ようこ『遠くにありて』を評論したことがあるが、この作品は、都会での生活に憧れ、陰鬱な田舎で高校教師として一生を終えてしまう主人公の恐怖のようなものから描かれはじめている。しかし、実は田舎の現実のリアルさを次第に認識しはじめ、その中にも文化があり、自分がそこで生きていくことをやがて静かに承認し、受け入れていくという変化を辿ることになる。

 

 ところが松本清張にはそのような解毒が一切ない

 「何者にもなれない自分」ということを本気で怖がっている松本清張がそこにはいるのである。

 その一面性がすごくいい

 現代は絶えず誰かが「個性を磨け」「才能を発揮せよ」「そして何者かになれ」というメッセージを送ってくる。それはぼくをも深くとらえている。そこから逃れようとはしてきたが、なかなか逃れられない自分がいて、ぼく自身がここで描かれた人物たちの一生に深い同情と、そして恐怖をやはり感じてしまうのである。

 

 特に、各短編で主人公たちが見せる、自分の尊厳を必死で守ろうとしたり、時には意地を張ったりして、次第に排除され孤立してしまう姿は、とても他人事とは思えない。(むろん、パートナーを殴ったり、「男としてのみっともなさ」に縛られたりするジェンダーは承服できないのだが…。)

 

「青のある断層」が人気

 他にもどの短編がいいかを読書会ではみんなで出し合ったのだが、意外に「青のある断層」を面白いという人が多かった。ぼくもちょっとした小ネタとして面白がって読めた。

 絵描きの話で、まったく下手くそな青年が有名な画廊に絵を持ち込む話だ。画商(奥野)は馬鹿にして相手にしない。

奥野はにやにや笑った。それから前の位置に戻ってきて、立っている青年に気づき、ほうっておいた気の咎めで素気なく追い帰すはずみを失った。(松本清張『或る「小倉日記」伝傑作短編集(一)(新潮文庫)』p.293、Kindle 版)

 この「ほうっておいた気の咎めで素気なく追い帰すはずみを失った」という人情の機微をさらっと書いてしまうあたりが松本清張のリーダビリティだと思う。

 しかし画商は、急にその絵に見入り始める。

 青年は包んだ新聞紙をほどいて待っていた。一流の画商が見てくれるというので、興奮していた。

 奥野は気のない顔で絵に向かった。与える返事ははじめからきまっている。

 絵は風景であった。へたな絵だ。児童画のように技術を知らない画面だった。稚拙な線と色彩が交錯していた。

 奥野は、じっと絵を見つづけた。彼の眼にしだいに真剣なものが帯びてきた。

「君、どこの人?」

と、奥野は、しかし退屈な声できいた。

山口県です。日本海に向かった萩という、小さい市です」

と青年は答えた。

「どこかの美校を出たの?」

「いいえ」

「じゃ、研究所とか塾とか?」

「いいえ、半年ばかり前、東京に出てきたばかりです」

 青年の声は明かるかった。

 奥野はすわったまま、青年を見あげて、

「所属の団体があるのかね?」

ときいた。

「ありません。田舎に絵の好きな友だちがいただけです。東京では、有名な先生に見ていただく機会もないのです。実は、生活費は妻が働いてくれているんです」

 奥野はうなずいて、

「まだ、このほか、描いたのがあるの?」

「三枚、田舎から持ってきました」

「ついでの時、いつでもいいが、持ってきて見せていただけるかな」

とやっぱり気のない声で言った。

「お名前は?」

「畠中良夫といいます」

と青年は頭を下げた。(同前pp.293-294)

 

 あとは読んでのお楽しみだ。

 読書会の次回は、カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』である。