つくりごとの、そらぞらしい、窮屈で不自由な、我々の日常を取り巻く人間関係を壊してみる、その第一歩を踏み出せば、世界は変わる。人間解放の革命である。
谷口菜津子『教室の片隅で青春がはじまる』は『教室の片隅で革命がはじまる』としたほうがいい。
高校と思しきクラスが舞台である。そこにはごく少数だが宇宙人や宇宙人との混血の生徒がいるというSF的な設定も入っている。
主人公のまりもはクラスで浮いている。「個性的」であろうとして常にスベりつつづけ、とうとう誰からも相手にされなくなっていたのである。
物語はまりもはもちろん、クラスの人たち、特に上位カーストにいる人たちが自分を取り巻く人間関係に違和感を抱いていて、それが壊れたりあふれたりする瞬間をとらえていく。
『教室の片隅で青春がはじまる』で断然爽快感があるのは、やっぱりそれぞれの登場人物が日常の人間関係を壊して一歩を踏み出すところなんだな。それは自分の世界を創造的破壊をするという意味で、本当に小さいことなんだろうけど、革命なんだよ。世界が本当に変わる。その世界が変わる感じをこの作品はグラフィックでよく表していると思う。
宇宙人の生徒・ネルは上位カーストに入っているもののアイコンのような扱いをされていて、しゃべったり行動したりしようとすると逆に笑われたりウザがられたりする。ネルは阻害されて、まりもと出会う。まりもがネルと初めて公園の雑木林のようなところで「コーラ・メントス」をやったときの、あるいは、まりもの家でコーヒーや鮭やイモの話、つまりお互いの話をするときの、あのキラキラ感を谷口はまことに「キラキラ」した躍動で描いている。孤独だった二人が、お互いの言葉がするすると染み込んでいく快感が伝わる。
本当は女子トークのモテやメイクにはなんの興味もない美少女ニカは、カースト上位グループにいるのがツラく、逆にオタクコンテンツにハマっているために、こっそりオフラインで会った同じ同好の士はクラスのカースト下位のオタクグループの一員だった。オタクグループをバカにする上位カーストについに耐えかねて、オタクの価値を高らかに称揚するニカ。「めっちゃ かっこよかった」のである。
谷口菜津子の短編集『彼女は宇宙一』のラストに「ランチの憂鬱」という作品があって、クラスや家庭の息の詰まる関係を最後に解放するカタルシスがあるのだが、『教室の片隅で青春がはじまる』はそれをうんと広げたような作品である。
あるいは『彼氏と彼女の明るい未来』も、欺瞞的であった二人の関係を創造的に破壊する結末を持っており、これもやはり同じ流れなのかもしれない。
しなしながら、本作のテーマは実はそうした点にはない。
主人公のまりもに照準を合わせてみれば、誰かの友達になることと創作を届けることは似ていて、それが有名になろうがなるまいが、誰からの心に届いて誰かを小さくでも変え続けているということ。それが創作をする者には励みなのだ。
自分が書いたものや創ったものは、ベストセラーになる必要はない。誰かに届いて誰かを励ましたり誰かの足しになってくれていれば、それは作家冥利につきるというものではないだろうか、ということが貫かれている。
「カメラに写し続けられる人生」というのは、自分は個性的で特別である、というプライドの裏返しである。
有名になってちやほやされる、ということを、あえて空虚に表してみるエピソードがある。まりもが小学生の時、くだらない作文だなと思いながら適当にデッチ上げた文章がコンクールで最優秀賞を受賞し学校の中で異様に注目を浴びてしまったことがある。「ちやほやされて」「尊敬された」のである。
しかし、それは嘘であることがバレて、帳消しになってしまった。みんなから軽蔑されて、だが時間とともに元に戻った。
「有名になりたい」ということは、その「ちやほやされて」「尊敬された」ことを取り戻すことなのだろうかとまりもは自問する。
そうではない。
そこで浮かんできたのはネルの顔だった。
ネルに届けたいと思うから創作をするのである(まりもの場合は動画作り)。
創作は友達に似ているのである。