井戸が涸れたのを見て救われた老人の話を考える


【東日本大震災】「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる - MSN産経ニュース 【東日本大震災】「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる - MSN産経ニュース

津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が本当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031613200050-n1.htm

 記事に出てくる女性は、次のようにふりかえる。

明治29年に起きた明治三陸津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031613200050-n1.htm

 この記事は危険すぎる

津波の恐怖―三陸津波伝承録 (東北大学出版会叢書) 津波の防災思想の普及につとめてきた山下文男は『津波の恐怖 三陸津波伝承録』(東北大学出版会)の中で、「津波にまつわる俗説の類」という項をもうけて、俗説の批判をしている。マグロが大漁だったとか、イカが不漁だったとかそういうものだ。その中の一つにこの「津波の前には井戸が涸れる」というのがある。この佐藤という女性の体験は「涸れる」という形ではなく「井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする」というふうになっていて、女性が直接にみた事実は、「今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた」ということだが、「井戸に異変が起きる」という点では同じだろう。

 山下は、「前兆として井戸が涸れていたという現象は、魚の漁、不漁と違って非科学的とは云えないし、あり得ることではある」とことわったうえで、

田老町[現在宮古市に合併──引用者注]などでは、昭和の三陸津波のとき、明治の津波の際の語り継ぎとしてあった、その井戸枯渇説を信じたばかりに、実際に、危機一髪の目に遇った人たちがいる。

 母親[田老町津波体験録に登場する田島直志の母親──引用者注]が、地震が大きいから津波が来るかもしれないと云うので、すぐ逃げる支度にかかったが、母親は、思い出したように、待て待て、ばばさん(祖母)の若い頃の津波のとくぁ、井戸水と川の水が引いたと聞いていると云う。それで逃げる支度はしたが、そのまま床に入っていた。そのうち誰かが、井戸と川を見に行ったらしい(実は、この瞬間にも、津波が猛スピードで追っているというのにである。だが「知らぬは仏」)。
 「釣べ井戸の水を見たが、いつもとさっぱり変わりがないし、川の水も同じだ。昔の津波のときは川の水が音をたてて引いたものだ。なぁに、これでは津波の心配はないぞ。道向かいのじじさん(祖父)が体験を話した」。
 こうして母子も近所の人たちも油断してしまい危機一髪だったというのである。
(p.223)

 山下はこの昭和津波の体験のもとになった明治津波のさいに、「井戸が涸れた」という「事実」をそもそも疑う。明治の三陸津波は、日清戦争の凱旋兵士の戦勝会をやっていた夜半(午後8時頃)に、まさに不意打ちのように襲ってきた。井戸も川も見る余裕もないし、そもそも田老で生き残ったのはわずか36人にすぎず、正確な体験の継承かさえ疑わしいのだ。

 話者は誰だったのか? 井戸はどの範囲でどの程度涸れたのか? 事前の降雨量はどうだったのか?──今日の科学に結び付ける根拠にあまりに乏しい。

 山下はこう指摘する。

 ところが、津波の「前兆現象」としての、この井戸水枯渇説に対してたいへん興味を示す人たちが学者、研究者も含めて今日でも少なくない。勿論、研究は自由だが、津波の確かな前兆、前触れは井戸が涸れる涸れないに関わらず、ただ一つ、地震である。だから、三陸海岸津波記念碑に刻まれているように「地震があったら津波に用心、津波が来たら高い所へ」なのであって、住民の注意を散漫にさせるような井戸水枯渇説などは、書くにしても語るにしても防災上の影響をよく考えながら慎重にしてほしいものである。(p.224)

 はてなブックマークではこの「古老の知恵」を賛美するむきが強いが、警戒する声も出ている。現代に暮らすぼくらにとっては、こうしたいかにも「俗説」の体裁をとったものにたいする警戒の構えはかなりできていると思うし、これを見抜くこと自体はそれほど難しくはない。

 問題の本質は、「津波体験の個別性や経験主義にとらわれない」ということだ。山下は次のように指摘する。

 災害体験や教訓の伝承の問題について念のために云うと、まずは、特定の津波体験にとらわれ過ぎないことである。云うまでもなく体験は非常に貴重だが、津波にはそれぞれ個性があって、つぎに押し寄せて来る波が前の津波と同様のタイプとは限らないからである。
 例えば、津波は、まず引き潮(波)から始まり、そのうえで押し波が来るものと思っている人が少なくない。特に三陸海岸では、明治の三陸津波、昭和の三陸津波、そしてチリ津波と、いずれも引き潮から始まっているので、そう信じきっている人たちが多い。しかし、これは、体験した人がたまたまそうであったということで、海底地震による地殻変動の具合と、向き合っている海岸の位置関係によっては、引き潮からでなく、いきなり押し波でやって来ることもありうるのである。(強調は引用者、p.220)

 山下は、いきなり押し波でやってきた日本海中部地震津波(1983年)で13人の児童が犠牲になった例を引く。

激濤―Magnitude 7.7 (下) 講談社漫画文庫
 この点では、ぼくとて同じである。
 依然、東北の津波体験を漫画化した矢口高雄の『激濤』を紹介したが、ここではもはや津波に呑まれることが決定的となった段階でどうするかという問題に対して「体をしばりつける」という「防衛策」を紹介している。

矢口高雄『激濤』 - 紙屋研究所
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/gekitou.html

 しかし、今回の津波経験者の証言を聞くと、たとえば、ぼくがテレビで見ただけでも、南三陸町の町長はたしかに構造物にしがみついてために押し流されず、他の職員はほとんど流されてしまったという体験がある一方で、波にいったん呑まれて下に押し下げられたが、もがくうちに浮上して九死に一生を得た、という証言も聞いた。

 いわば状況に応じた「一つの体験」なのであって、これを防災思想にしてしまうと逆に危険なものに転化してしまう恐れが強いのである。自己の経験を普遍化する「経験主義」は一つの思想である。災害においては経験主義というものの危険が瞬時に露呈する。異なった状況化での「経験」は、それを別の状況に適用した瞬間に自分の生命を奪うからである。


 ところで、今紹介した『津波の恐怖』を書いた山下文男であるが、今回の震災で「九死に一生を得て」生存していたことがわかった。

九死に一生得た津波災害史研究者 山下文男さんをお見舞い
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-20/2011032010_02_1.html

 共産党本部で働いていた、在野の災害史研究者だったのか。