吉村昭『三陸海岸大津波』

三陸海岸大津波 (文春文庫)
 今回の震災の後、この本の存在を知り、地元のジュンク堂に走ったが、すでになかった。在庫状況をみると、1〜2日タッチの差だったようである。
 県立図書館で借りるか、と思って図書館に行ったが、そもそも備えてなかった。関係ないが、福岡県立図書館の蔵書の貧弱さは尋常ではない。何しろ吉村昭の文庫本と俺の本がないのだから。
 それでじっと増刷を待っていたのだが、今日紀伊国屋に平積みされていた。あっという間に読めてしまった。

「三陸海岸大津波」に脚光 故吉村昭さん記録文学 「三陸海岸大津波」に脚光 故吉村昭さん記録文学


 本書は、近代以降、三陸海岸を襲った3つの大津波の記録である。すなわち、明治の大津波、昭和の大津波、そしてチリ津波

 記録文学で売る吉村であるから、当時の様子の証言に大きな比重を割いている。その結果、客観的な記録というよりもその時代ごとに、人々が津波をどうイメージしていたか、津波への防災意識をどのように形成していたかが、わかるようになっている

 たとえば、明治津波も昭和津波も「異常な大豊漁が前兆としてあった」というイメージに彩られている。

 まずは、明治津波における大豊漁の叙述。

このような大豊漁は、むろん田野畑村だけではなく三陸海岸一帯に共通したものだった。漁は、マグロ以外にも鰯やカツオが処置に困惑するほどとれたという。(p.18)

 昭和津波の際にも、次のような証言がある。

 また、明治二十九年と同じように〔昭和の津波では――引用者注〕、沿岸各地で、例年にない大豊漁がみられた。(p.81)


 そしてくだんの井戸もある。まずは明治津波

また沿岸一帯の漁村では、井戸水に異変が起っていた。岩手県東閉伊群宮子町に例をとると、六月十四日から六〇メートルの深さをもつすべての井戸の水が、一つ残らず濁りはじめた。その色は白か赤に変色したもので、人々はその現象をいぶかしんでいた。(p.20)

 これは昭和津波のところでもくり返されている。

 この大津波〔昭和の津波――引用者注〕の来襲前には、明治二十九年の折と同じように各種の前兆ともいうべき異常現象がみられた。
 その一つに井戸水の減少、渇水又は混濁があった。(p.79)

 「豊漁」も「井戸」もおそらく津波被害の後に生まれた証言であろうから、人々がそれらを「津波の予兆」だと感じとり、当時なりの「津波予知システム」にしようとしていたに違いない。
 しかし、山下文男の文献について書いたところでも紹介したが、田老では、この「予兆」が起きずに、安心してしまい、逆に危機を招いている。そのことは、この吉村の本書にも登場する。

津波来襲前には、川の水が激流のように海へと走る。井戸は、異常減水をする。海水は、すさまじい勢いで沖合に干きはじめる。人々は、灯を手にそれらを注意してみてまわったが、異常は見出せなかった。(p.97)

 さらに、時代がずっと下って、1960年のチリ地震津波でも、これらの「予兆」がまったく無いという事態に直面した。

 同日午前三時頃、ハモ漁の漁師と同じように陸地でも潮の異常を眼にした人は多かった。が、かれらは、単なる高潮程度と判断し恐るべき津波とは想像もしなかった。その理由は、簡単である。地震がなかったからである。(p.157-158)

 さらに津波にありがちな前兆ともいうべき諸現象もみられなかった。津波襲来前の大漁、井戸水の減・渇水、さらに必ずといっていいほどきこえる遠雷或は大砲の砲撃音のような音響もきこえない。つまり潮は異常な速度で干きはじめていたが、津波にともなう必須の条件と考えられているものが皆無だったのだ。(p.158)

 吉村は「津波にありがちな前兆」「津波にともなう必須の条件と考えられているもの」と書いているが、これは科学的にそういうものだとされていた前兆ではなく、当時の人々にそう信じられていたものだと見るべきだろう。

 この他に、昭和津波で被害を大きくした理由に、古老たちの次のような判断がある。

しかし、三陸沿岸の住民には、一つの言い伝えがあった。それは、冬期と晴天の日には津波の来襲がないということであった。その折も多くの老人たちが、
「天候は晴れだし、冬だから津波はこない」
と、断言し、それを信じたほとんどの人は再び眠りの中に落ちこんでいった。(p.89)

 吉村はこの判断を明確な「迷信」という扱いをしているものの、「豊漁」「井戸」「雷鳴音」「怪光現象」などは「前兆」という扱いをしている。
 しかし、どれも今日の津波防災学の見地からは「前兆」として扱うことはできないものばかりなのだ。
 だから、そのような「教訓や防災知識を得るための本」としては本書を扱うべきではなく、当時の人々が津波をどうとらえ、記憶し、イメージしたかを知る記録として読むべきなのである。



これはどうなんだというエピソード

 今日では根拠のないつくり話とされているものも、吉村の本書では紹介されている。

宮城県本吉群唐桑村の根口万次郎という予備歩兵は、音響をきくと同時に敵艦来れりと叫んで剣をつかんで海岸に走り、他の町村でもロシア艦の来攻にちがいないとかなりの混乱が起った。(p.23)

 あと、不思議な証言がこれ。明治津波に襲われた人々のエピソード集であるが、最初に紹介されている「平塚トリ」という74歳の女性。冒頭に、

平塚トリという七十四歳の一人住いの女性がいた。(p.36)

独居であることが記されている。

津波の襲来した日は、夕方から雨が降り出したので早目に戸を閉め寝床に入った。その時大砲を発射するような音響が二発つづいて海の方からきこえたので、雷鳴にちがいないと思った。トリは生まれつき雷を恐れていたので、ふとんの上に起き上がって念仏を唱えはじめた。その時、家の外で豪雨のふりかかるような音がしたので思わず立ち上がった瞬間、海水が雨戸を破って流入し、家の中はたちまち海水に満ちた。(同前)

 津波を当初どう受け止め、どう行動したかが実に詳細に記録されている。ところが、そのあとの叙述では、

トリは、水の中に身を没したので全身の力をふりしぼり鴨居に飛びつき、必死になって水にさらわれまいと努めた。が、海水は壁を打ちぬき、トリの体を押し流した。トリの死後、家の鴨居を調べてみると、爪の痕が生々しく残っていた。

となっており、素直にこの文章を眺めれば、トリは流されて死んだとしか読めない。
 しかし、独居老人であったトリのトリビャルなまでの流されるまでの描写は一体だれが目撃したものだろうか、と疑問が残る。トリが奇跡的に助かり、その証言を残した後に死んだということも考えられるが、その「奇跡的生還」はまったく触れられないし、そのまま死んだと読む方が自然ではないか。

 こういう奇妙な「体験」もふくめて、先ほどのべたように、本書は、その時代ごとの人々が津波をどうイメージしたか、記憶したかの、貴重な記録なのだといえる。昭和津波における住民と子どもたちの体験作文が数多く紹介されているが、それらはまさに彼らにとっての「津波」イメージなのである。



人間は津波を制圧しつつあるか

 本書の最終章で、明治津波、昭和津波、チリ津波と時代が下るにしたがって、被害人数、世帯が大きく減っていることを吉村は記している。

その理由は、波高その他複雑な要素がからみ合って、断定することはむろんできない。(p.172)

とストイックな留保はおきながらも、

しかし、住民の津波に対する認識が深まり、昭和八年の大津波以後の津波防止の施設がようやく海岸に備えはじめられてきたことも、その一因であることはたしかだろう。(同前)

として、田老における防潮堤の建設によって、チリ津波では一人の死者も田老から出さなかったことを書いている。吉村はこの防潮堤というハードによる津波防災を高く評価しつつも、

しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。(p.176)

として、防潮堤をこえる高さの津波の襲来について危惧を述べるのだが、

しかし、その場合でも、頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるに違いない。(p.177)

と結ぶ。


 今回の津波の襲来について、この記事では、もし田老では防潮堤がなければもっと被害が大きかったかもしれないという専門家の証言を紹介している。
 吉村は「津波との戦い」というタイトルを最終章につけたのだが、それはそのような自然との戦いに、人間が勝利をおさめつつあるのではないか、という楽観が顔をのぞかせているとぼくには思われた。
 なによりも、本書の結び近くに、明治津波、昭和津波、チリ津波、十勝沖地震を経験した古老の次の言葉を引用していることは、吉村がそうした気持ちで本書を閉じたことを物語るものだ。

津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」(p.178、強調は引用者)

 この楽観が絶望的なまでに、今回の津波災害によってぼくらの胸に食い込んでくる。被害規模を一定数以下におさめることができるようになった災害というものも確かにあるのだろうが、津波に関してはいまだに「戦い」が続いていることは間違いない。明治津波から昭和津波、そしてチリ津波と人々の津波との格闘の精神史を描き出した本書であるが、その本書の閉じ方も、勝利宣言を出しかけてまた足をすくわれようとしている、一つの歴史的な意識にすぎないということができる。



津波防災知識は吉村の本から学ぶな

 ちなみに、近代の三陸津波については、できるだけ今日の科学の到達にたって非科学的な前兆や教訓をとりのぞいてその全貌を知りたいと思うなら、山下文男の文献が啓蒙的であると思う。

津波から生き残る―その時までに知ってほしいこと
 また、津波について、科学的な防災知識を身につけたいと思うのであれば、津波研究小委員会編『津波から生き残る その時までに知ってほしいこと』(土木学会)がわかりやすい。*1

研究としての津波災害への理解が進み、国や地域の対策に活かされることは良いことですが、わたしたちの研究成果が一般の人々の目に触れることはほとんど無いと言ってもよいかもしれません。(同書「はじめに」より)

という危機意識のもと、

本書は、津波災害からの教訓と、私たちが津波災害を生き延び、乗り越えて行くために知っておいて欲しいこととして、単に研究論文ではなく一般の人々にもわかりやすい形でそれを伝えるということを目的としてまとめられたものです。(同前)

という意図をこめてつくられた。

過去の災害の教訓を次の災害に活かすためには、どの災害にも共通する普遍的な側面と、それぞれの災害で全く異なる側面があることを理解する必要があります。この本には、その手助けになることがたくさん書かれています。(同書p.3)

 津波防災の知識は、吉村のような本からは決して学んではならず、こうした自然科学の知見にもとづいた啓発書によらなければならない。

*1:いや。あー…波の伝わり方とかはやっぱわかりにくいけどw