丸山政男『ソヴェートの市民生活』


 ジュンク堂に行ったら「アテネ文庫」の復刻をやっていた。
http://www.junkudo.co.jp/atene.htm
 同文庫は、1948年から64ページだてで発行されていたもので、10年ほど続いた。 

 いろいろ面白そうな本があったけど、丸山政男(真男ではない)という元陸軍大将中将の『ソヴェートの市民生活』を買って即日読んだ。

http://www.koubundou.co.jp/books/pages/00108.html

裏切られた革命 (岩波文庫) 終戦直後のスターリン体制下のソ連国民の生活が賃金、労働、家庭生活などに分けて書かれている。この種の知識は別段こうした復刻で読まなくても、まあなんでもいいけど手元にある村瀬興雄『世界の歴史15』(中公文庫)みたいなものを読んでもだいたいのところは得られる。それもきわめて批判的に。あるいは、労働という面に関してだけいえば、トロツキーの『裏切られた革命』のなかの「労働生産性のためのたたかい」の章を読めば、やはり批判的な情報が得られる。
 だから目新しくてたまらない情報があるということじゃなくて、そういう知識そのものよりも、当時の日本人がソ連という国家の生活水準にどういうまなざしを送っていたか、ということの方が興味深く感じ取れる1冊なのである。


社会主義は給料がみんな同じ」?

 ところで、ソ連経済というのはスターリン時代を一つの典型とするだろうが、「社会主義は給料がみんな同じ」という言説がある。ぼくはまず「社会主義ってソ連のことだろう。あんなもんは社会主義じゃないよ」と言いたいところだが、それはぐっと呑み込んで、ソ連を仮に社会主義だとして、ソ連という社会は本当にそうだったのかをこの本から考えてみる。

 この種の言い分は、巷間にあふれていて、ネットでも「ソ連」「給料」「平等」で検索すると山のように出てくる。

共産主義ソ連では、種を50個植える人と、30個の人と10個の人に同じ給料を払った。これは平等なのか?

http://ameblo.jp/yamato011/entry-10145813936.html

結果の平等を重んじるソ連をはじめとする社会主義国では、国民は働いても働かなくても所得が変わらず、労働意欲を失い経済が停滞した。社会主義は無能な人にとっては天国だが、有能な人にとっては地獄であるという制度になってしまったわけである。

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0051.html

マルクスはたとえ私的利潤の追求を禁じ、社会的利益を追求する社会を作ったとしても、人間はみんなのために喜んで働くだろうと考えた。しかし、実際は労働者の勤労意欲は低かった。 一生懸命働いても働かなくても給料が変わらないとしたら、適当に働くフリだけする人間が出てきても不思議ではない。

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/h-minami/note-socialism.htm

資本主義であれば、もちろん自分たちが稼いだお金は自分たちで自由に使うことができます。だから、松井秀喜さんはすごく豪勢な生活ができるし、要領が悪く2万円円しか稼ぐことのできなかった飛垣内徹さんは、貧乏な生活を強いられます。しかし、このような貧富の差を解消するために社会主義国では、国民の労働で得た利益を国が一括して管理し、国民に平等に配るということをします。その結果、6人は1人ずつ全員36万円ずつという風に平等にお金を受け取ることができ、貧乏に苦しむかわいそうな人たちが出てこないと言うわけです。……国民は全員、国営企業で働き、給料を国が国民に平等に分配することにより、貧富の差をなくす。

http://www.geocities.jp/ttovy42195km/newpage41.html

公務員は、主に勤続年数と階級によって給料が決まってきます。ようするに年功序列ですね。ものすごく能力の高いAさんと、昼寝ばかりのBさん、どちらも階級が同じなら同じ給料です。どんなにAさんの評価が高くても給料は同じです。Aさんだったら???と思いますよね。このような??となる人が増えてしまうと、共産主義社会主義は成り立ちにくくなります。正当に能力を評価してくれるほうが、誰だっていいですからね。

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1577491.html

 もういいだろう。

「労働に応じた分配」というスターリンの転換

 これにたいして、本書、『ソヴェートの市民生活』では、「社会主義的分配」の項目で次のように書いている。

凡ての労働には、生産の基準量(ノルマ)があって、凡ての労働者に共通する基本賃銀がある。この基本賃銀を土台にして、その上に差別をつけている。この基本賃銀は言わば最低の生活を保障するものであるが、熟練により工夫によってこの生産基準量を超過すれば、その仕事に対して、基本賃銀以上の賃銀、それも累進的な高率賃銀が支給される。(p.9、強調は引用者)

 そして、わざわざ読者の誤解を想定し、その誤解を批判して次のように付け加えている。

従ってソヴェートの社会主義制度下においては、分配は絶対的平等を意味するものではなくて、それは相対的平等であり、不平等を基にして行われる均等的分配を意味する。仕事の量と質の差、能力の差に拘らず、同一賃銀を受け取るというのは左翼小児病的な悪平等であって、仕事の量と質の如何によって報酬を異にすることこそ、社会主義の原理だという。(p.9-10、強調は引用者)

 国民の賃金が完全な平等だった時期がソ連にはある。それが第一次5カ年計画の途中で大きく変えられるのだ。その事情も、丸山は続けて書いている。

この分配方式は、第一次五年計画の中頃(一九一三年*1)から実施されたもので、かくして革命直後の戦時共産主義時代からひき続いて行われてきた「賃銀の均等主義」は、その時以来廃棄されたのである。そしてその仕事に対し、いかに正当に報酬するかが研究され、結局具体的には「出来高払制」となって現れたのだ。(p.10、強調は引用者)

成果主義の原型としての「出来高制賃金」

 トロツキーはこのスターリンの「出来高払制」への移行を『裏切られた革命』のなかで厳しく非難している。

出来高払い制という奥の手を考えだしたのはソ連の行政官ではない。目に見える外的な強制なしに肉体を疲弊させるこの制度をマルクスは「資本主義的生産方法にもっとも適合したもの」と見ていた。(トロツキー『裏切られた革命』岩波文庫版p.110-111)

 マルクスが『資本論』のなかで看破したとおり、労働者を「自発的」かつ苛酷な競争へと駆り立てる出来高賃金制度は、現代日本でもその骨格的思想をうめこんだ賃金体系=成果主義賃金として猛威をふるっている。
 日本の成果主義賃金が、途方もない労働時間の「自発的」延長をもたらし、鬱や精神を病む予備軍を量産しているのに似て、ソ連では狂躁的な生産効率向上運動が始まった。
 いわゆる「スタハノフ運動」である。

スタハーノフはもとドンバス鉱区の無名の一採炭工夫であったが、一九三五年八月、一交代時に従来の標準採炭量たる六トンを素晴らしく破って、一躍一〇二トンの採炭新記録を樹立したが、それ以来、生産の合理化と技術の工夫によって生産単位のコストを減じて、高度の生産能率を発揮する運動が、スタハーノフ運動とよばれて全国的に捲き起されることとなった。(p.15)

 6トンが102トンてwww こうした「労働に応じた分配」の結果、生活までもが大きくかわった。

「賃銀の平均化」が揚棄されて以来、市民の間には相当の収入の差が生じ、従って生活程度の差も目立ってきている。一般勤労者の平均月収が七、八百ルーブルである時、スタハーノフ主義者、流行作家、優れた芸術家、国家機関の重要要員等は二、三千ルーブルから中には数万に上る者さえある。(p.38)

“格差はいくらあってもよい”

 丸山は、この観察をソ連擁護的に次のように続ける。

端的にいえば、ソヴェート社会主義は、個人による人類の搾取に反対するだけで、自分の働きでするなら、どんな財産(生産手段ならざる)を作っても差支えないのだ。といっても、各人の所得は原則として勤労による所得だけなのだから、いかに蓄積されたとしても実は大したことはない、それが巨満の富に化するためには、それが資本化されねばならないが、せいぜい公債を買うか、不安定な原始商業に出資する程度で、ソ連には個人の投資する資本的な活動部面が存在しない。(p.38-39、強調は引用者)


 いわば公正な労働にもとづくものなら、格差などいくらあってもよい、という社会設計なのだ。
 ここまでくると、さっきぼくが紹介したような俗流の「社会主義ソ連悪平等分配社会」どころか、むしろそのようなソ連社会を批判してそのかわりに称揚する「資本主義」「市場経済」社会とそっくり、あるいはむしろそのような人々にとって「理想的」ともいえる労働社会がそこにあることに気づいてしまう。


“貧困はそいつの責任であり、格差は刺戟剤だ!”

 ちなみに、昨今「自己責任」論をもとに、生活保護受給者や「派遣村」参加者への非難として浴びせられる「働かざるもの食うべからず」というのは、ソ連憲法スターリン憲法)の12条に書き込まれた原則*2であり、本書でも前述の「社会主義的分配」の章の冒頭は次の一文である。

ソヴェート憲法は、その第十二条に「働かざる者は喰うべからず」と言っている。(p.8)

 ソ連ではこの原則にのっとって、最低の生活保障と同価値である「生産の基準量」を「ノルマ」と表現した。ある基準まで働くことで最低生計費を得られる、というものだ。ここから「生きるためにどうしても義務的に働くべき量」→「絶対に働かないといけない量」として「ノルマ」のイメージが派生し、とりわけシベリア抑留の日本人にそのように強制義務的な意味で使われたため、日本に持ち帰った時には「外から義務として押しつけられた絶対にやらないといけない目標・割当」という意味になっているのである。

 また、こんな描写もある。

貧乏は却って賎しめられる。なぜなら貧乏は自分の無能力と怠慢を表白するだけのものだから。働く熱情と努力さえあれば、いつでもその機会が与えられているとするなら、この生活上の差を露骨にしておくことは、市民の勤労と生産増加への却ってよき刺戟剤となると考えられている。(p.39、強調は引用者)

 貧困は自己責任であり、格差こそ上昇のスパイスだ! というわけである。
 どこの「ねらー」ですかwwwwww

 よく生活保護受給者や「派遣村」参加者を非難する言葉として「社会主義ソ連)」が持ち出されるが、ソ連は「働かないで食べていける」社会などではなく、その真逆の、非難者たちと同じ「極限的ワークフェア思想」の社会であったといえる。


根底に近代主義と近代草創期の「楽観」が潜む

 丸山は「ソヴェート市民の家計」の章を次のように結んでいる。

物を測る公正な尺度は過去に比較することだとすれば、戦時という特別な時期を除いて、ソヴェート市民の生活は、今日はたしかに昨日よりよくなっているのだし、とすれば明日は更によくなる希望が持てる。……前途に対する光明ある展望は、つねにソヴェート市民の前に示されている。事実明日への希望、これがソヴェートの市民が持つ常識であり、力の源泉ともなっている。(p.21)


 この丸山という男は何もソ連社会の深部を見てねえな、とかいう批判はたしかにあるだろう。
 しかし、国家が経済に介入するというしくみのもとで、成長が無限に続いていくかのような期待というか幻想は近代に共通のものであった。縷々見てきたように、近代日本それどころか、現代日本とさえその労働観や成長観が重なってしまうのは、このような無批判なままの近代主義ソ連でも日本でも共通しているからだ。
 ソ連を嘲笑してそれと真逆の体制をつくっているつもりでも、根底の労働観や成長観が似通っているなら、びっくりするほど同じ地点に着陸することになってしまう

 この本の背後に、何百万という奴隷・囚人労働があり、恐怖政治と対外的抑圧が潜んでいたとしても、何となく「明るさ」を感じられるのは、近代草創期特有の「楽観」がそこにあるからだろう。なんとなく懐かしい、そしてある種の人々にはひょっとしたら憧れをもって読まれてしまうかもしれないという、奇妙な復刻本である。

*1:原文のまま。1931年の誤り。

*2:条文全体は「ソビエト連邦において、勤労は『働かざる者食うべからず』の原則にのっとり、すべての労働可能な市民の義務であり、かつ名誉である」。