冨沢暉「普天間移設 軍事的意義の周知徹底」

 4月になって仕事内容が大幅に変わった。
 その結果、多くの新聞に目を通す機会が増えたのであるが、それだけ聞くと完全に窓際族である。実際にそうなのかどうなのかという詮索はしないでおいてほしいのだが、読売新聞を読む機会が格段に増えた。
 この新聞の政治記事のくだらなさといったらいい加減にしろと叫びたくなるほどであるが、保守論客に執筆してもらう記事は実によい。保守のホンネとか、保守論陣の本格的な論立てなんかをそういう保守系知識人がわりとていねいに語ってくれていて、左翼であるぼくはふだん触れないロジックでもあるから、大変勉強になる。単に「論戦相手の主張を知る」というにとどまらず、ぼく自身の考えを深いところでゆさぶってしまうような説得力をもつものもあるのだ。

「抑止力」ではもの足りないと思ったのか

 20日付(2010年4月)に載った、冨沢暉・東洋学園大学客員教授(元陸上幕僚長)の「普天間移設 軍事的意義の周知徹底」は面白かった。
 冨沢がタイトルにあげている「軍事的意義」というのは、沖縄海兵隊の「軍事的意義」である。
 普天間基地の返還をめぐって、民主党政権は、基地NOの声をあげて沸騰している沖縄県民(および本土の移転先候補地住民)の世論と、アメリカの要請の板挟みにあって、政権が崩壊しかねないほどの危機に直面している。この板挟みの前提にあるのは「沖縄の米海兵隊は撤退させてはならない」という命題である。「だれも日本国民が引き受けないのであれば、米軍に持って返ってもらえば?」という主張が吹き出てこないようにするためには、その基礎命題を死守しなければならない。
 そこで鳩山首相以下、閣僚が声を大にしてその命題の根拠としてあげているのは、「在沖海兵隊在日米軍は抑止力である」というものだ。

 しかし、冨沢の目にはそれは弱いと映ったのであろう。

今こそ、普天間の移設問題を解決の方向に導き、日米同盟を深化させていく上でも、「沖縄海兵隊の軍事的意義と在り方」に、議論の焦点を移すべき時と思う。

 このように述べて4点での政府担当者の認識を促している。
 その要点は、「日本周辺で最も発生確率の高い危機とは、北朝鮮国内の秩序崩壊である」として、沖縄海兵隊は最も即応性が高く、「動乱の朝鮮半島に駆けつけ、民間人を救出すると同時に、後続の陸上部隊進出のための各種条件をつくり出す任務を持っている」というものだ。

 国民向けに「より海兵隊の軍事的意義をていねいに」説明しようとしたつもりなのだろうが、ここでのロジックの中心は「邦人救出」である。
 「抑止力」というイメージは冨沢の論点からは消えてしまっている。政府が「海兵隊は抑止力」だという議論を続けるなら、この冨沢の主張はかえって有害になるのではないか。「海兵隊は抑止力」というあいまいなモノ言いは、「米軍は日本を守ってくれている」という、それ自体はあまり根拠のないが、しかし強固な国民的感情を難しく言い換えたものである。それゆえに中身はないが、強みのある議論でもある。

スペシャリストの思い込みが逆に議論を狭くする

 これにたいして、冨沢の議論は、たしかにロジックが詳細になり、目的も「邦人救出」が前面に来ているので、意義がクリアになったかのように見える。しかし、結局日本防衛ではなく朝鮮有事に備えるためのものであり、邦人救出にしても、日常的に沖縄に駐留が必要なのか、韓国にでもおいてもらえばどうか、という疑問をふくれあがらせてしまうだろう。

 実は沖縄海兵隊の任務については、4月1日付の「毎日」で、実は北朝鮮の秩序崩壊に際していち早く朝鮮半島に侵入し核兵器を探して除去することなのだ、と日米関係者が明かしている記事が1面をかざった。ホンネはこれなのかもしれない。

緊急時に展開し「殴り込み部隊」と称される海兵隊。米軍は沖縄駐留の意義を「北朝鮮の脅威」「中国の軍拡」への抑止力や「災害救援」と説明してきた。しかし、司令官の口から出たのは「抑止力」よりは「朝鮮有事対処」。中台有事に比べ、北朝鮮崩壊時の核が日本に差し迫った問題であることを利用したきらいもあるが初めて本音を明かした瞬間だった。出席者の間に沈黙が流れた。

http://mainichi.jp/select/world/news/20100401ddm001010008000c.html

 その記事にしても、冨沢の議論にしても「秩序崩壊」のイメージが定かではない。北朝鮮の政治的統治機能が解体状況に陥り、軍部が暴走し、破れかぶれのような形で核を使うようなイメージなのだろうか。

 いずれにしても、海兵隊は日本防衛のためにあるのではなく、朝鮮有事に備えてのものであるし、その波及で日本に被害が及ぶのはまさに「日米同盟」があるがゆえ、であろう。スペシャリストの細かい議論が、ギャラリー(世論)を意識した論戦では、かえってマイナスに響いてしまう典型である。

北岡伸一「共同歴史研究 『侵略』認め、日中攻守逆転」

 もう一つ面白かった論説は、18日付の北岡伸一・東大教授の「共同歴史研究 『侵略』認め、日中攻守逆転」だった。北岡は日中首脳会談で合意されてスタートした日中歴史共同研究の中心的人物である。

 北岡の議論の中心点は、侵略とか南京虐殺とかを否定するんじゃなくて、当然の前提として認めた方が、はるかに攻勢に回ることができる、というものだった。
 ぼくは以前から言ってきたが、ドイツのように侵略の事実をもう当然の前提にしたほうが、外交上はつけこまれるスキが逆になくなる。ここで否認したり世界に通用しない議論をすると、外交上の諸問題では本来優位に立てるはずの問題でもアドバンテージを失ってしまうからだ。国益を損なう、売国といってもいい。

 そもそも「日本がおこした戦争は正しかった」という議論に分があるなら、それらの人々は国際舞台で堂々とそれを展開し、サンフランシスコ条約をはじめとする国際秩序をすべてひっくり返すことを主張すべきだ。それができないのに国内でだけ憂さ晴らしのように侵略否定・虐殺否定をくり返すのは、まことに「武士道」にそむくのではにないか(笑)。

侵略の事実は認めざるをえない

 さて、北岡の議論であるが、彼が「読売」で書いたことはもっと練られている。

中国側は、日本側が日本の侵略を認め、南京虐殺の存在を認めたことが共同研究の成果だといっている。しかし日本側はそんなことは共同研究を始める前から当然のことと考えていた。

 これはそのとおりだろう。村山談話外務省の公式見解で、侵略と南京事件を認めている。

実際、日本の歴史学者で、日本が侵略をしていないとか、南京虐殺はなかったと言っている人は、ほとんどいない。

 専門家以外ではそういうやつがいるなあと言って北岡は満州事変と南京事件を例に、日本の侵略という事実認定は当然のことだと議論を進める。

「満蒙は日本の生命線」という言葉がかつて存在したが、この地域における日本の合法的な権益は、旅順大連の租借権や満鉄に関する権利など、南満州東部の一部の地域のものだった。
 中国側が時々権益を侵犯したのは事実だが、関東軍は謀略によって軍事作戦を開始し、南満州と東部内蒙古の全域、そして日本が権益を有していない北満州まで、あわせて日本全土の3倍の土地を制圧したのである。これは自衛をはるかに超える武力行使と相手国主権に対する侵害であって、それを通常、侵略というのである。

南京虐殺については、南京作戦に参加した多くの部隊の記録に、捕虜○○名処分、などという記載がある。あらためていうまでないが、捕虜には人道的な待遇をすることが大原則で、捕虜が極めて反抗的で、収容側の方が深刻な危険にさらされる例外的な場合を除けば、処刑等は許されないのである。
 なお、世界のどの国でも、もっとも愛国主義的な団体は在郷軍人会であるが、日本の陸軍の組織である偕行社が念入りな調査を行い、相当数の不法な殺害があったと認めている。

 じっさいこれをひっくり返すのは大変な作業である。現実に侵略したわけであるし、ロジック上も覆しがたいのだ。北岡は、そのうえで、

日本に侵略を否定する声が大きいうちは、中国は、日本は反省していないと主張し続けることができる。しかしわれわれが非を認めると、それがどの程度の非なのか説明せざるを得なくなり、守勢に回った。〔中国側が——引用者註〕各章の「討議の記録」の削除を求め、戦後編の非公表を求めたのは、中国が受け身に立ったからである。

とする。さらに、歴史的に絶対悪という存在の国が存在しない以上、負の側面をきちんと認めることで正の側面を自在に記述することができるようになる、と北岡は主張するのだ。北岡は、中国の悲惨な歴史の一つである、「大躍進」政策や「文化大革命」についてもふみこめ、とのべる。

中韓の過度にナショナリスティックな部分に逆に切り込める

 中国や韓国の歴史記述が過度にナショナリスティックになっていることは、よく知られたことである。ぼくも民間レベルで作られた日中韓共通歴史教材『未来をひらく歴史』についての感想を書いたとき、そうした違和感をもち、「大躍進」などの記述の不在に驚いたものだった。しかし、日本のなかで侵略や虐殺の事実そのものを否認しているために、そこにふみこむことさえできなくなっている。道義的な優位性を失っているからである。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/mirai-wo-hiraku.html

 あえてこういういい方をさせてもらえば、外交戦略上、侵略と虐殺の否定がいかに中国・韓国を「利して」いるか、ということになる。

 北岡は最終的に東アジア共通の教科書を考えていい、とさえ述べる。こんな提案をすれば、いかに日本が不利をこうむるかということを叫ぶ人がいるだろう。しかし、北岡のようにいったん侵略や虐殺の事実を認めてしまえば、攻守は逆転する。議論は中国や韓国にとって微妙な部分にふれてしまうからである。

中国や韓国が積極的に応じないという人もあるだろう。それでも一向に構わない。その場合は歴史を直視していないのがどちらか、世界に明らかになるわけだから。

参考:http://www.komei-bunka.jp/forum/44/index.html