「ごん狐」におけるごんの行動や気持ちがなぜ地域に伝わっているのか

 新美南吉はぼくの生まれた愛知県の出身である。「ごん狐」があまりにも有名だ。 

 

 さて、そんな「ごん狐」について、昨日(2023年8月21日)付の「しんぶん赤旗」で、教育実践の報告記事があった(全日本教職員組合などでつくる実行委員会主催の教育研究集会における国語教育の分科会)。

小学4年生で「ごんぎつね」を読み合った授業を紹介したのは奈良県の入沢佳菜さん。物語の冒頭にある「これは、わたしが茂平というおじいさんから聞いたお話です」という文章を長い間「読み飛ばしていた」と話しました。この文章から、キツネの「ごん」の話が「村に伝わる意味」を考えたいと授業を組み立て直しました。

 なお、新美の原文では次のとおりである。

これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 なるほど確かに、ごんの気持ちは、兵十にはわからないはずだ。想像するしかない。

なのに、ごんの行動や気持ちがなぜ地域に伝わっているのかを考え合いました。

 これが問題設定である。

 子どもたちがどう述べたのかは詳細はわからないが、一部分は次のように報じられている。

「ごんを撃ち殺したあと兵十はごんのことをわかりたかったんじゃないだろうか」「わからないところをみんなで考えて、話をつくっていって、それが茂平さんに伝わり、茂平さんが『わたし』に話し、『わたし』が自分たちに話している」と子どもたち。

 

 「ごん狐」が正確にどういう話だったのかを思い出せない人もいるだろう。

 無料で原文が読めるので、参考のためにおいておく。

www.aozora.gr.jp

www.youtube.com

 

兵十が遭遇した客観的事実

 問題設定に付き合うとすれば、確かにごんの気持ちは兵十にはわからない。

 人間側にわかる客観的事実をつないで、その間を想像で埋めたに違いない。

 想像をさしはさまない、客観的事実は次のとおりである。

  • 兵十が母親のためのウナギを捕捉中に、キツネAにウナギを盗まれたのを兵十自身が目撃した。
  • 兵十の家の前にイワシが数匹捨ててあり、兵十は商品を窃盗したと思われてイワシの行商人から制裁の暴行を受けた。
  • 兵十の家の前に連日クリ・マツタケが置かれるようになった。
  • 「連日クリ・マツタケが置かれるようになった」事実を、兵十の友人・加助は「神様の仕業だ」と解釈を施し、兵十に話した。
  • 兵十の家に侵入したキツネBを兵十が射殺し、射殺されたキツネはクリを咥えていた。土間にはクリの山があった。連日クリ・マツタケを置いていったのはこのキツネBではないかと兵十は判断した。

 

 例えば「キツネA=キツネB」の根拠について、作中ではまともに書かれていない。

 そもそも兵十がキツネAを認識したのは

兵十が、向うから、
「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました

というところだけである。「向こう」つまり一定の距離をもってキツネAを視認していることがわかる。遠いのだ。そのように遠くから見たキツネAを、最終的にキツネBと同一だと、なぜ判断したのだろう。「尾が短い」とか「黒い斑点がある」などの描写はないのだ。

  • 検察「あなたはキツネAをどこから視認しましたか」
  • 兵十「川上の向こうから…50mくらい遠くからです」
  • 検察「50m。50m先から視認できますか」
  • 兵十「…できると思います」
  • 検察「射殺したキツネBとウナギを盗んだキツネAがなぜ同一だと思ったのですか。尾が短いとか、黒い斑点があるとか、そういう識別のための何かがありますか」
  • 兵十「うーん…カンのようなものですかね…。家に火縄銃があったことからもお分かりだと思いますが、私は猟師も生業としておりまして、動物の個体識別にはかなり自信があります」
  • 検察「あくまで『なんとなく』ということですね」
  • 弁護人「異議あり。被告は『カン』だと言っているのに誘導しています」

というような感じか。

 また、射殺をされたキツネBがクリを持っていたので、土間に固めてあったクリはキツネBが運搬してきたのであろうことは一応根拠となる。ただキツネは肉食中心であり、「遊び」としてクリを山のように積んでいた可能性はないのか。クリやマツタケの前に兵十の家の前に散らばっていたイワシについても、キツネの仕業であることを立証するものは何も発見されていない。

 

 この全体をつなげて、一つのストーリーの原型を作り出せるのは誰か。

 「神様の仕業だ」というストーリーを作った加助の可能性もあるが、加助はウナギの盗難を見ていない。ウナギ盗難とクリ運搬を結びつけることができない。

 したがって、このストーリーを組み立てられる唯一の人は、兵十しかいない。

 だが兵十が話した素材を、加助がストーリー化した可能性はある。

 兵十がストーリーを作ったか、それとも兵十+加助か。

 

兵十は現場で「ごん、お前だったのか」と言っていないのではないか

 ぼくは、兵十の素材をもとに、加助が中心となってストーリーを作り出したと思う。

 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」のような込み入ったストーリーの組み立てができるのはやはり加助ではなかろうか兵十は「えっ?」とか「そうかなあ」とかいうだけで、およそストーリーを組み立てる能力がなさそうなのである。

 

 ということは、たぶんキツネを射殺した直後、兵十は実際には

「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」

という有名なセリフを現場で言ってない可能性が高い。

 それは加助がストーリーに仕立て上げて、解釈を施した結果であり、民話として成立したのちに加えられたのであろう。

 

独り身をあわれむ

 神様があわれんでクリやマツタケを届けてくれたというよりも、同じ独り身であるキツネが同情してくれた、という展開の方が、身にしみる。ウナギを盗んで台無しにしてしまい、今際の際の母親の願いを絶ってしまった贖罪の意味が込められれば、なおさらである。

 兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
 こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。

  「ごん狐」において胸を締め付けられる箇所は、ラスト以上に、このような、ごんが兵十に対して抱く同情心の描写である。その同情は村人たちの同情そのものである。

 加助が仕上げたストーリーは、家族や縁者の相互扶助が一切期待できず、誰にも頼ることができない「ひとりもの」に対する染み入るような同情、そして連帯の気持ちから、村(共同体)において急速に広がり、継承されていったに違いない。

 

「ごん狐」が書かれた時代

 「ごん狐」が書かれたのは、福祉制度も社会保障もほとんどない1937年である。

 昭和恐慌、満州事変、日中戦争が日本の農村に打撃を与えた中で、この童話は書かれた。

 貧困対策法であった「恤救規則」では貧困層を全く救えずにこの体制が破綻。内務省の諮問機関が、対象を広げ、国・地方公共団体の公的扶助義務を明確にした「救護法」を答申するが、実現が頓挫しかかる。そこに、民生委員の原型である「方面委員」が運動を起こすのである。

1930年、全国の方面委員らが中心となって実施期成同盟会が結成され、議会への実施要望の陳情などの活動を展開し、天皇への上奏までを決意した。その甲斐もあって1932年1月から実施された。…地域において直接生活困窮者と接していた方面委員が組織的に活動を継続し、ついに政府を動かしたことは画期的なことであった。(井上圭壯・藤原正範『日本社会福祉史』p.8-9)

 「ごん狐」は

むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。

という封建領主がいた時代の物語である。むろん社会福祉などは一片も存在しない時代だ。 

 相互扶助さえ受けられぬ住民への憐憫・同情・連帯が、加助の作成したストーリーを広く村に伝え継承させた原動力になり、それを昭和恐慌に苦しむ辺境に住んでいた新美が民話として完成したのであろう。

 それが

これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

と冒頭につけている理由である。どっとはらい

日米韓首脳会議の合意文書の中に解決の答えがある

 日本共産党志位和夫委員長の談話が、産経新聞の記事で切り取られて紹介され、ネットの一部で叩かれている。

b.hatena.ne.jp

 志位談話の全文は次のリンクを見てほしい。

www.jcp.or.jp

 

軍事ブロック強化、核威嚇、先制攻撃への組込みは正しくない

 中国が台湾への武力威嚇・武力行使をチラつかせ、北朝鮮がミサイル開発を進めることに反対するのは当然だが、それに対して軍事ブロックを強化し、米国の先制攻撃戦略への組込みの深化核兵器の威嚇・使用などで対抗するのは正しいだろうか。

 ぼくは正しいとは思えない。

 まさに、ロシアに対するNATO強化のような軍事同盟的対応が大破綻を招いた同じ轍を踏もうとしているように見える。まさに非常に危険な道なのである。

第5回中央委員会総会「参議院選挙必勝 全国決起集会」/志位委員長の幹部会報告

 ここで強調しておきたいのは、この構想は、ヨーロッパの教訓を真に生かす道でもあるということです。

 ヨーロッパでは、ソ連崩壊後、欧州安全保障協力機構(OSCE)というロシアを含めてヨーロッパのすべての国ぐにが参加する包摂的な枠組みが発展し、1999年には、欧州安全保障憲章をつくり、OSCEを「紛争の平和的解決のための主要な機関」と定めました。ところがOSCEの機能は生かされず、NATO北大西洋条約機構)諸国もロシアも軍事力によって相手の攻撃を「抑止」するという戦略を進め、「力対力」に陥っていきました。こうした外交の失敗が戦争という結果になったのであります。

 日本共産党が一貫して批判してきたように、今回の侵略の責任は、あげて国連憲章をじゅうりんしたロシア・プーチン政権にあり、軍事同盟の問題はロシアの侵略の免責には決してなりません。そのうえで、戦争という結果になった背景には、「力対力」に陥った外交の失敗があったことを指摘しなくてはなりません。この失敗を東アジアで繰り返してはなりません。排他的な枠組みによる「力対力」に陥るのではなく、地域のすべての国を包み込む包摂的な平和の枠組みをつくり、それを安全保障の第一に位置づけて発展させることこそ、ヨーロッパから引き出すべき最大の教訓があります。

 ぼくが指摘した「軍事ブロック強化」というのは、日米韓首脳会談のうち「日米間首脳共同声明」で打ち出された「日米同盟と米韓同盟の間の戦略的連携を強化し、日米韓の安全保障協力を新たな高みへと引き上げる」という部分である。

 ぼくが指摘した「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」というのは、やはり日米韓首脳共同声明のうちの新型迎撃ミサイルの共同開発に言及している部分である。18日の日米会談において滑空段階迎撃用誘導弾(GPI)の共同開発への日本参加が合意され、防衛省は「GPIは、我が国の統合防空ミサイル防衛能力の向上に資する」との見解を出した(18日)。

 「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)はアメリカの先制攻撃を前提とした攻撃システムである。

www.jcp.or.jp

 そして、ぼくの指摘した「核兵器の威嚇・使用などで対抗」というのは、やはりこれも日米韓首脳共同声明における「米国は、日本と韓国の防衛に関する拡大抑止は強固であり、米国のあらゆる種類の能力によって裏打ちされていることを再確認した」という部分における「拡大抑止」=核抑止に言及した部分を指している。核抑止は核兵器の威嚇はもとよりその使用を前提とした戦略である。

 「軍事ブロック強化」「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」「核兵器の威嚇・使用などで対抗」——この3点は、志位談話でも強調されている。ゆえに、ぼくはこの件について志位談話の方向を基本的に支持するのだ。

  1. 「軍事ブロック強化」
  2. 「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」
  3. 核兵器の威嚇・使用などで対抗」

 中国や北朝鮮のやり方が危険であるとしても、日本が米韓とともにこの方向に踏み出すことが正しいと言えるだろうか?

 およそぼくには正しいとは思われない。

 志位が述べたように、ウクライナ戦争からまさしく誤った教訓を導き出して、誤った方向にひた走っているように強く感じる。

 ここで注意しておきたいのは、このような方向は一般的な「軍事対応」とは区別される、ということなのである

 産経新聞日本共産党があたかも一般的な「軍事対決」批判、つまり絶対平和主義の立場から批判しているかのように書いて、ミスリードを誘っているように思われる。ソーシャルブックマークに並ぶコメントはそのミスリードにまんまと乗っかっているのである。

 他方で、「しんぶん赤旗」の記事にも、一般的な軍事対応として問題を描いているような表現(「軍事対軍事」「軍事対決」)が見受けられる。志位談話の中にもあるが、上記のような方向性とセットで使うならありえなくもないが、同党は、自らの批判が「絶対平和主義からの批判」(つまりどんなことがあっても、たとえ防衛のためでも、軍事力使用には絶対に反対するかのような立場)と受け取られないように気をつけるべきだと思う。

 

対案としての包括アプローチ

 共産党の示している対案については、なかなか興味深い。

 ここでも一般的に「対話での解決を」というのではなく、なんと日本共産党は、日米韓首脳会議における合意文書の中にその答えがあるというのである。

 18日に日米韓首脳が発表した「キャンプ・デービッド原則」は、AOIPの主流化支持を打ち出した。

この地域への我々のコミットメントは、ASEAN中心性・一体性及びASEAN主導の地域的アーキテクチャーへの揺るぎない支持を含む。我々は「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」の実施及び主流化を進めるため、ASEANと緊密に連携することにコミットしている。

 志位談話はこの方向こそ解決の道筋であるとしている。その上で、このAOIPの方向と、日米韓による軍事ブロック化の方向が「矛盾」すると指摘するのだ。

3カ国の首脳は、東南アジア諸国連合ASEAN)の取り組みとその「インド太平洋構想」(AOIP)への支持をあらためて確認した。AOIPは地域のすべての関係国を包摂する平和の枠組みの提唱であり、排他的なブロック的対応の強化とは根本的に矛盾するものである。

 排他的なブロック的対応を強めるのではなく、対話を強め、地域のすべての国を包摂する安全保障の枠組みを推進することこそ、求められている。

 ASEANのようなやり方——すべての国を当事者にして合意をじっくり形成していくという方式は、正直言って「即効性」がない。じれったい。問題国をつけあがらせ、のさばらせているかのように思える「のろまさ」がある。

 南シナ海をめぐる中国と東南アジア諸国との紛争は、ようやく「南シナ海行動宣言」(2002年)に結実したかと思えば、それでは実効性が薄く、さらに「行動規範」への昇格をさせる動きを強めているが、なかなか合意に達しない。その方向が見えたのは今年の7月になってからである。

インドネシア外務省は13日、東南アジア諸国連合ASEAN)と中国が南シナ海における行動規範(COC)を策定するための指針について合意したと発表した。(日経2023年7月13日)

 それでも「策定するための指針についての合意」でしかないのだが…。

 しかし、NATO・ロシア間のように侵略戦争といった劇的な破綻の形をとることはない。外科手術のようなはっきりとした解決は望めない代わりに、漢方薬のようにジワジワ効く程度であることを「我慢」するしかないのである。

 

 中国をめぐる、日米韓同盟やFOIPのような「ブロック政治」と、ASEANが示したAOIPのような「包括的アプローチ」の関係は、ちょうどロシアをめぐる、軍事ブロック強化の方向=「NATO」重視と、ロシアを含めた包括的なアプローチ=「欧州安全保障協力機構(OSCE)」重視の関係に似ている。どちらの契機もあったのに、ロシア・欧州関係においては、軍事ブロックを重視する方向に傾いていってしまったために、劇的な破綻を遂げてしまったというわけだ。アジアにおける中国へのアプローチは、まさにこの過ちを繰り返そうとしているかのように見えるのである。

 日米韓首脳会議の合意文書の中には、この2つの契機がどちらも存在している

 しかし、自公政権が重きをおいているのは、圧倒的にブロック政治強化の方向なのだ。

 日本共産党包括的アプローチの方を強化せよ、と主張しているのである。

 

 包括的アプローチ強化のためにAOIPをどうすればいいかという踏み込みがさらに日本共産党には求められるであろうが、今の日本の方向はその前の段階。まずブロック政治強化の方向を根本的に改めろ、と志位談話は呼びかけており、それは正しいとぼくも思う。

 

 ましてや拡大抑止=核抑止の強化や、米軍の先制攻撃システムへの加担は、日本の政策選択として支持する余地は全くない。被爆国失格であり、売国的政策とさえ言えるのである。

英語で非英米系の名前をどう読む? 「2000年」は? 「2分の1」は?

 英語の時事記事を声に出して読むときに苦労することが3つある。

(1)非英米系の名前・地名はどうやって発音したらいいの?

 ふだんから英語の動画ニュースやテレビニュースなどを聴いている人はバッチリなんだろうけど、文字の記事しか読んでいないぼくのような人間はさっぱりわからない。

 そもそも「Ukraine(ウクライナ)」だって最初は「ウクライナ」と発音していて明らかに違うなと思って調べたら「juːkréɪn  ユークレイン」であることがわかったほどである。

 いや、「Russia(ロシア)」でさえ、英語では「rˈʌʃə  ラシャ」だから…。

 まあ、こういう有名どころは検索してもすぐ出てくる。

 だけど、ロシアの野党政治家Navalny(ナワリヌイ)とかは一体どうやって発音したものかよくわからない。ようやっと調べて「ナヴァルニ」かなあとわかるが、中国やベトナムの政治家になるといちいち調べるのが大変である。

 

(2)西暦の特定の年の読み方は?

 西暦は一般的に前半分の二桁と後ろ半分の二桁を分けて読む、というのは知っている。

 しかし、例えば2000年は? あるいは2003年は? また、923年は?

 というのはよくわからなかった。

 それでこちらのサイトを参考にさせてもらった。

www.etsjapan.jp

(4)2000年 → “the year two thousand”と読む。…
(5)2001年から2009年は、“two thousand and one”のように、“two thousand and~”に当該数字を入れて読む。…

 3桁の年号の記述はなかったので、他のサイトで調べたところ、

kiwi-english.net

794年 → seven ninety-four

であった。

 1805年についても、

1805年 → eighteen oh five

なのだそうである。

 最初に紹介したサイトにも1800年とか1805年のようなものの読み方は一応記述がある。

1345年はBE〔イギリス英語〕もAE〔アメリカ英語〕も“thirteen forty-five”と読む。1407年など、3桁目に0が入る年号は、BEでは“fourteen oh seven”または“fourteen hundred and seven”と読むが、AEでは2番目の読み方は今では少々古めかしく、稀にしか使われない。1500年のように最後が00で終わる場合は、“fifteen hundred”、そして、1000年のように000で終わる場合は“(the year)one thousand”と読む。これはBEもAEも同じである。

 

(3)分数の読み方は?

 これは全然わからなかった。

 そこで下記のサイトを参考にした。

www.rarejob.com

 それによれば、まず日本語のように「分母→分子」ではなく「分子→分母」のようだ。

「何分の1」は「one+序数」

というルールのようだけど、「何分の2」とかになるとこの分母の序数にsをつけないといけないようである。

分子が2以上の数になる場合は、分母の序数に複数形の「s」を付けましょう。2/3であれば「two thirds」4/3は「four thirds」と表現します。

 面倒くせえなあと思っていたら、

序数を使わず、より簡単に分数を表現する方法もあるので覚えておくと便利ですよ。例えば、2/3を表現する時は数字と数字の間に「over」を挟んで、「two over three」と表現します。分母の部分を序数にして読まないのがポイントです。overを使った分数表現は、主に数字が大きい場合などに用いられますが、日常で使っても問題ありません。

とあり、ホッとした。

 

 関係ないけど、『資本論』の学習会をやっていて、分数の計算が出てくるとホント苦手に感じる若い人って多いなと思った。さらに、分数を小数に換算したり、パーセントに換算したりするのになるともう「お手上げ」になってしまう人もいる。そこで小学校の算数の授業のようなものを始めたりするのだが…。

 ぼくも、分数をまず分母から言い表すというやり方になかなか慣れることができなかった。

田村景子『希望の怪物』の書評が掲載されました

 日本社会文学会「社会文学」第58号に書評を掲載していただきました。

 田村景子『希望の怪物 現代サブカルと「生きづらさ」のイメージ』(笠間書院)についての書評です。

 本書は、『風の谷のナウシカ』『屍鬼』『魔法少女まどか☆マギカ』などの批評を通じて、1980年代からのこの40年間にサブカルチャーにあらわれた怪物表象を読み解いたものです。

などが取り上げられています。

 書評は3500字程度で、その冒頭を引用しておきます。

 いまぼくの中で切実な変革の課題は、日本が大きな転換点にある中で、既存体制の対抗勢力たる変革の運動、とりわけ左翼運動の前途に大きな危機感を抱いていることである。後継者がおらず、衰退し、消えていくのではないか? 長期的にそれが別の形でよみがえるにしても、その間の十数年(あるいは数十年)は国民にとって苦痛に満ちた時間になるのではないか?——理屈や理論での大きな見通しとは別に、脳裏にある切迫した感情としてのそのような絶望がぼくをとらえている。個別の組織のことが念頭にあるけども、現行憲法のもとで育まれた戦後民主主義運動そのものの先行きについての、昏い予感である。

 そうした気持ちで、今この田村景子『希望の怪物』を手に取る。他人事ではない、焦燥感をもって。本書が読み解いたはずの変革のための想像力は果たしてぼく自身にどう響き、どう届くのか、という切実さで本書に向き合ってみた。 

 この書評を脱稿したのは4月半ばだったので、ここに書かれていることは、その後、まさに自分の中で大きなものになっていきました。

 田村の本はさまざまなサブカルチャー作品を取り上げていますが、とりわけぼくは『新世紀エヴァンゲリオン』についての「怪物」論を取り上げました。

 その中で『風の谷のナウシカ』についても触れ、それが映画「君たちはどう生きるか」評と重なるものになりました。

 また『チェンソーマン』にも触れています。

 ぜひお読みください。

 なお、「社会文学」の同号を1冊だけなら譲ることができますので(本体は無料ですが、送料のみ受取人払いでお願いします)、本ブログのプロフィール欄にあるアドレスに住所・氏名を書いてメールを送ってください。(この募集は終了しました。)

双龍『こういうのがいい』

 双龍『こういうのがいい』は、形式に拘泥したり、強い束縛をかけてくる彼氏・彼女とのつきあいにうんざりした江口友香(えぐち・ともか)と村田元気(むらた・もとき)がゲームのオフライン飲み会をきっかけにセックスをし、それをきっかけに独特のゆるいつながりを始めていく物語である。

 「え? つまりセフレ(セックス・フレンド)のことだろ?」と思うかもしれない。

 Amazonの本作品紹介は次のような文言だ。

したい時に、したい事を、したい人と。一夜限りでもなく、付き合う訳でもなく、身体のみの関係でもない、ゆるくて気楽で、なおかつえっちぃ“フリーダムフレンド”となった村田♂と友香♀

 定義的には確かに「セフレ」であることを含んでいるのだが、「セフレ」ということに限定されているわけではない、というのが二人の自己規定なのである。

 とはいえ、まずセックスだ。

 この二人にとって、セックスは純然たる快楽を目的とした重要な(そしておそらく最も重要な)イベントである。そこは外せない。セックスをした時の相性というだけでなくて、頻度・タイミングが(豊富な量の側で)ピッタリ一致していることは、めちゃくちゃ大事なことではなかろうか。

 まあ一種のファンタジーである。現実には、生身の人間だからどこかにズレが生じるし、それが不満にもなるはずだ。だけど、やはりその不満を塗りつぶして妄想してしまう。まるで自分の欲望の合わせ鏡のように、「したい時に、したい事を、したい人と」できる頻度・タイミングがセックスにおいて保障されていれば…! と。

 原理的にはセックスを快楽だけのものととらえれば、10人セフレがいるなら、そのうちの誰かは自分の需要を満たしてくれる供給ができる人がマッチングできるかもしれないのだが、運用は大変そうだし、何より10人というストックを作るのが一大事業になりそうな気がする。

 

 しかしこの二人の関係はセックスだけに限定されない。

 オンラインゲームであったり、食事であったり、家飲みであったり、ちょっとしたお出かけであったり、「したい時に、したい事を、したい人と」できるという設定になっている。

 こうしたイベントは、通常、例えば気の合うカップルだったとしてもまずお互いの仕事の都合によって阻害されてしまう。それ以外にも他方の気分や健康状態などが上下するから、なかなかうまくタイミングが合わせられないのである。

 結構マジに付き合って、相手のことを知って、その異文化を克服する作業が入念に必要になる。例えば一方は焼肉が大好きだが、他方は肉ではなく魚が好きとか、あるいは男が奢るのは当たり前だと思っているとか、女がベラベラ喋るのは好きではないとか、そういうやつである。

 本作では、最初の出会いで、お互いがかなり似た文化であることを確認し、こうした文化衝突をおそらく一気に克服してしまっている。その上で、つきあいを最大にゆるくしていることで、「一致点での共闘」しかしないから、日常的な微妙な違いが顕在化しないのだろう。…ってこれは虚構の世界の人だから。読み手としてはあくまで「ゆるいつきあいだから、細かい違いはスルーしてしまう、寛容性を二人とも持っているのだろう」と勝手に補正して想像することになる。

 ただ作中でもそのような寛容性を裏付けるエピソードは用意されている。例えばこの状態でお互いに「恋人(彼氏・彼女)」をつくることはアリかと双方が問うシーンがある。お互いに「アリ」だと答えるのだ。

 

 ぼくはこの二人のつきあいのポイントは「タイミング」——つまり「したい時に、したい事を、したい人と」セックスをはじめとするイベントを開催できるという点にあり、その「タイミング」を軸とした世界の「リアリティ」を確保しているのは、おそらく二人の働き方であろうと考える

 

 村田は、かなり大きな企業のIT技術者のようなのだが、基本的に在宅勤務で、緊急の時だけ会社に呼び出されて会社で仕事をする。一定の所得水準がある正規労働者であろう。職場で頼りにされ、技術者として有能であることを示すエピソードが作中に盛り込まれており、「ふだんはあまり時間に追われず、家で自分のペースで仕事をしている」ことが印象付けられる。

 これに対して江口は、ファミレスのフロアスタッフで働く非正規労働者のようだが、職業人としてはかなりのベテランで、職場は忙しそうではあるが、こき使われたりしている様子はない。職歴が長いために「目をつぶってでもできる」と江口が豪語するシーンもあるなど、労働に汲々としてはいない。シフト制であるこの職業は、江口にとって桎梏とはならず、むしろ自由に生活を組み立てられる都合の良さとして現れている。

 そう、二人とも時間に追われていない感じがする。

 むろん、例えば村田は急に呼び出されて修羅場を押し付けられたりはするのだが、それは「時々」ある非常事態に過ぎないのであって、通常は「マイペース」なのだ。

 このような働き方としてのゆるさが、二人の関係の自由さのベースにあり、読者はそのベースに裏打ちされながら、セックスを軸とした「したい時に、したい事を、したい人と」という「フリーなフレンド」(二人は「フリフレ」とその関係を呼んでいる)の関係性に説得力を与えている。

 

 なるほど、「こういうのがいい」と思わせる関係である。

 これはもう本当にすばらしい関係だとぼくなどは思うのだが、どうであろうか?

 

 ちなみに本作における会話についてAmazonのカスタマーズレビューでも批判しているものがった。

現代社会が舞台なのにネットスラングで話すのがきつくて耐えられなかったです。…ストーリーやキャラは共感できる部分があるのですが私にとっては口調の痛々しさで全てが台無しになっているように感じました。

 二人が交わす会話のネットスラング多用+独特の速いテンポについては、ぼくも「勘弁してくれ」と思う。この会話のトーンだけはどうしても好きになれない。

 

伊藤野枝が本作を読んだとしたら?

 最近、堀和恵『評伝 伊藤野枝』を読む機会があった。

 

 

 伊藤野枝大杉栄と関係を持つにいたるが、大杉は長年連れ添った堀保子と、やはり深間となった神近市子との多重関係に陥って、「自由恋愛三か条」なるものと打ち立てる。

一 お互いに経済上独立すること

二 同棲しないで別居の生活を送ること

三 お互いの自由(性的にも)を尊重すること(堀p.97)

 しかし評伝の筆者堀からは

この三条件は、大杉の驚くほど無知な、男性中心主義のエゴイズムが丸出しである、といえる。また、多角関係に陥った大杉の、苦しまぎれの空論ともいえよう。(同)

と酷評されている。実際、この多角関係はいわゆる「日影茶屋事件」として神近による大杉への刃傷沙汰となって劇的に破綻する。

 堀の評伝では、伊藤野枝が求めたものの中心には自由があるとされる。伊藤の自由観には母・妻といった固定した役割の拘束を乗り越えようと格闘した印象がある。

『フレンドシップ』には、当然ながら主従関係はない。契約だって必要はない。野枝はここから拡がって、人間の集団に対する理想も考える。…野枝は「友情とは中心のない機械である」という。互いに個性を尊重しあえる友情こそが大事なのだ。夫、妻という役割を持つのではなく、互いの力を高めあっていくことこそ大切だいう。(堀p.149-150)

 

 読みながらふと思ったのだが、もし伊藤野枝が現代によみがえり『こういうのがいい』を読んだら、村田と江口の関係を絶賛したのではなかろうか。

 「こういうのがいい!」と。

Zip Zap Zopってなんだ?

 今日付の「しんぶん赤旗」を読んでいたら、アメリカの俳優・脚本家組合がストライキをしている記事があった。

 それに添えられている写真(記事は赤旗編集部のもので、おそらくこの写真だけロイター配信)で、参加者が「I bet Bob Iger doesn’t even know how to play Zip Zap Zop.」というプラカードを掲げていたのであるが、意味がわからなかった。

本日付「しんぶん赤旗」より(写真はロイターの配信)

 記事中にもこのプラカードについてのキャプションに当たるものはなかった。

 はじめぼくは「I bet」がわからなかった。「I 」が数字の「1」に見えたので、「1 bet? 何かを賭けているとかそういうことの比喩なのかな…?」と疑問に思った。

 そのあとの「Bob Iger doesn’t even know how to play Zip Zap Zop」は「doesn’t 」があるので、どうも主語はこの「Bob Iger」という人物なんだろうなとぼんやり考えた。「Bob Iger」は「ボブ・イーガー」と読むのかな…。

 しかし「Zip Zap Zop」はさっぱりわからない。

 「ボブ・イーガーはジップ・ザップ・ゾップの演じ方を知らない」…?

 何が何だかわからない…。

 

 そこで朝食をとっていたつれあいに聞いてみた。

「このはじめのは、I betだから『〜だと断言する』『〜だと確信する』みたいな意味だね」

 そうか。「〜だと賭けてもいい」みたいな感じで転じてそうなるのか。

「そのあとは、断言する内容が来ているよね。『ボブ・イーガーはジップ・ザップ・ゾップの遊び方を知らないと断言できる』っていう意味だと思う」

 なるほどですね。ネットでいくつか調べてみる。

 「Bob Iger」は「ボブ・アイガー」。ディズニーの会長のようである。

 「Zip Zap Zop」を検索すると英語のウィキペディアが出てきて、

Zip, sometimes known as "Zip Zap Boing" or "Zip Zap Zop" is a game often used as a theatre preparation exercise[2] and sometimes as an elimination game.

とあり「芝居の準備練習として使われるゲーム」とある。

 そこまでの情報をつれあいに伝えると、

「よくわからないけど、Zip Zap Zopは例えば日本でいうと『あめんぼあかいなあいうえお…』みたいな、劇の前にやる練習のことじゃないかなあ」

「つまりディズニーのお偉いさんは、演劇の現場のことをなんも知らない、っていう皮肉では…?」

と言った。

 そうか!

 そして

「Chat-GPTに聞いてみたら?」

と言われたので、聞いてみることにした(3.5、日本語版)。

アメリカの俳優・脚本家組合がストライキをしている記事の写真で、参加者が「I bet Bob Iger doesn’t even know how to play Zip Zap Zop.」というプラカードを掲げていましたが、このプラカードはどういう意味でしょうか。

 答えは次のようなものであった。

「I bet Bob Iger doesn’t even know how to play Zip Zap Zop.」というプラカードは、アメリカの俳優・脚本家組合のストライキに参加している人々が掲げていたメッセージです。

このプラカードの意味を理解するために、いくつかの要素を解説します:

Bob Iger: ボブ・アイガーは、ウォルト・ディズニー・カンパニーの元CEO(最高経営責任者)でした。彼はディズニー社を長年にわたり率いており、エンターテインメント業界で非常に有力な人物でした。

Zip Zap Zop: これは、演劇やアクティングのクラスや演習などでよく使われるゲームです。参加者は円を作って座り、順番に「Zip」「Zap」「Zop」と言って手のジェスチャーを交えながら相手に向かって単語を伝えていきます。このゲームはアクティングのスキルやリアクションの練習に役立ちます。

このプラカードの文脈では、俳優・脚本家組合の参加者は、ボブ・アイガーのエンターテインメント業界に対する理解や経験に疑問を呈しています。彼らは、アイガー氏がエンターテインメントの現場に詳しくないのではないかと暗に言及しています。ストライキに参加している俳優や脚本家らは、彼ら自身がエンターテインメント産業の重要な一員であるという自負や誇りを持っており、彼らの努力やスキルを理解し、尊重してほしいと訴えている可能性があります。 

 おおお…。

 AI規制を求める争議の記事を、生成AIを使って理解することになってしまった。

 そしてボブ・アイガーと同様に、ぼくもZip Zap Zopでどう遊ぶのか、アメリカの芝居の現場についてなんにも知らないのである。

www.youtube.com

 

 

 この組合はどういう要求をしているのだろうか。

 以下はGIGAZINEのネット記事である。

gigazine.net

 記事のリンクが貼ってある英文記事も(ぼくの拙い英語読解で)読んだけど、具体的な要求としては見当たらなかった。

 

 以下は記事にあるAMPTP(「映画テレビプロデューサー同盟」。記事からすると、組合の交渉相手である)のコメントの一部だ。

AMPTPとその加盟組合は、SAG-AFTRAと新たな互恵的契約を締結することを目標に交渉に臨みました。AMPTPは歴史的な賃上げと残業手当の増額、年金や健康保険料の上限引き上げ、シリーズ・オプション期間の短縮、SAG-AFTRA組合員のために俳優のデジタル肖像権を保護する画期的なAIについての提案などを提示する契約を提示しました。

 これが交渉相手側が示した「規制提案」である。

 しかし、組合側はこれに対して不満を突きつけたことはわかる。

今回WGAやSAG-AFTRAストライキを起こした理由は労働環境の改善だけではなく、「人間の脚本家や俳優がAIに働く機会を奪われないためにも、AIの使用を規制するべきだ」という主張も行っています。上記のAMPTPTが発表した声明にある「SAG-AFTRA組合員のために俳優のデジタル肖像権を保護する画期的なAIについての提案」について、SAG-AFTRAの交渉人だったダンカン・クラブツリー=アイルランド氏は「AMPTPが私たちに提示したAIについての提案とは、エキストラは顔や姿をスキャンされて1日分の給料を受け取り、その代わりに企業はそのスキャンした画像や肖像を同意や保証もなしに使用可能にするというものです。これを画期的な提案だというのであれば、もう一度考え直すべきです」と答えました。

 生成AIは明らかに技術の進歩であり、それ自体は歓迎すべきものである。しかし労働時間の短縮や賃金上昇ではなく、労働者犠牲のリストラに使うなどという資本主義的利用は許さない。…というのが模範的回答とはなろうが、現実はそう簡単ではない。

 ぼくが若い人たちとやっている『資本論』学習会で、第1部13章第5節「労働者と機械との闘争」の部分を数ヶ月前に読んだが、マルクスはまず、次のような模範的回答を用意していることを改めて学んだ。

一九世紀の最初の一五年間にイギリスの製造業地帯に生じた諸機械の大量の破壊——それは、とくに蒸気織機の利用が原因であるが——は、ラダイト運動の名で知られ、シドマス、カールスレイなどの反ジャコバン的政府〔「反動的なイギリス政府」という意味〕に、きわめて反動的な弾圧を行う口実を与えた。労働者が、機械をその資本主義的使用から区別し、したがって彼らの攻撃を物質的生産手段そのものからその社会的利用形態に移すことを学ぶまでには、時間と経験が必要であった。(マルクス資本論』3、新日本出版、p.752)

 しかし、同時に、“機械はゆっくりとその分野を征服していくだけだから、そのうちに新しいもうけ口もできて、転職の時間はあるよ”的な言い訳に対し、マルクスは反論のための生々しい現実批判を行う。

ある生産部面を機械が徐々にとらえていく場合、機械は、それと競争する労働者層のなかに慢性的窮乏を生み出す。その推移が急激な場合には、機械は大量的かつ急性的に作用する。イギリスの綿手織工たちの、緩慢で、数十年にもわたり、ついに一八三八年に決定的なものとなった破滅よりも恐ろしい光景は、世界史上に見られない。彼らの多くのものは餓死し、また多くのものは家族ともども長いあいだ一日二ペンス半でやっと糊口をしのいだ。それに反して、イギリスの綿機械は、東インドでは急性的に作用したのであり、そこの総督は、一八三四—三五年に次のように確言している——「この窮乏は、商業史上ほとんどその類例を見ない。綿織布工の骨は、インドの平原を真っ白にしている」と。(同前p.757)

 ぼくは若い人たちの学習会で一方的な「講師」をしているわけではない。いち参加者として、自分自身が学ばされる機会は多い。マルクスが、ラダイト運動を侮蔑しているわけではなく、その必然性に心を寄せ、それを大きく乗り越える展望は示しながらも、その過渡においては単純な理論では片付けられず、個々の労働者がどういう犠牲を払うかをきわめてリアルに告発していることを、ぼく自身が学ばされた。*1

 「AIの資本主義的利用を止め、社会に役立つようにする」というのは、根本的な社会改造と一体でなければ、一朝一夕にはできない。

 そうなれば、その過渡における要求は一体どうなるのかという問題は、実践的に絶えず現場で問われる。「現代のラダイト運動ですねww」と冷笑しているわけにはいかないのである。

 

*1:こうした全く私的なサークルであり資本論を学ぼうと思えばどんな市民でも参加できるこの学習会を、外部から弾圧によって破壊し、ぼくをそうした学習会から排除する動きがあって、あまりの卑劣さに、怒りに打ち震えている。

松本清張『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』

 リモート読書会は松本清張『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』である。「或る『小倉日記』伝」だけではなく、それに収められた短編全体を読むことになった。

 恥ずかしながら、松本清張で読んだことがあるものはほとんどない。

 つれあいと春に松本清張記念館に行ったことがきっかけで、有名どころをいくつか読み、映画などもネットで観た。正直、なんという読みやすさ、面白さだろうかと感動した。

 読書会では、参加者から口々に父が熱心なファンだったとか、母の本棚にたくさんあったとか、親がよく読んでいた、というエピソードが聞かれた。

 つれあいがファシリテーターで、松本の『半生の記』も読んでいたために、彼の年表をもとに、貧しくて学歴がなく辛酸を舐めさせられた話や、42歳で処女作『西郷札』を書き、44歳で『或る「小倉日記」伝』によって芥川賞を受賞するという遅咲きの作家であることなどが紹介された。

 『或る「小倉日記」伝 傑作短編集〔一〕』に収められた短編の少なからぬ部分は、「或る『小倉日記』伝」を含め、そのような松本の生い立ちを裏返しにしたような人生を描いた話が集約されている。

 「或る『小倉日記』伝」は、森鴎外の小倉時代の日記が紛失していることから、その時代の空白を埋めるために、田上耕作という障害を持った青年が当時の関係者の証言や史料を、地を這うようにして集める話である。

 他の「菊枕」「 断碑」「壺笛」「石の骨」などの短編はいずれも才能を持ちながら学歴が低くて世に認められず、自分の尊厳や意地を守って不器用な生き方をしてしまったために、学界や俳壇から疎外され、壮絶な死を遂げるまでが描かれている。

 「どれも同じような作品に思えた」「読むのが辛かった」という感想も読書会ではあったが、ある意味その通りだろう。

 ぼくは、これらの短編は松本清張の抱えていた鬱屈、劣等感、焦燥、あるいは実際に受けた差別や侮蔑が反映されたものであろうと読んだ。

 そうした感情や体験は、昭和の初めのころまでの近代では、貧困・障害者差別・ジェンダーなどからストレートに起因して、例えばぼくが生涯で読んで初めて泣いた小説『路傍の石』の愛川吾一のような形象——才能があるにも関わらず極貧ゆえに上の学校に行けず、昨日まで一緒に遊んでいた同級生たちに露骨に差別されて働きに出る——ではあったと思う。そのような文学としても読める。

 

 しかし、そうした近代草創期の時代性を超えて、ここに書かれている鬱屈は「何者にもなれない自分」への絶望・焦り・劣等感というきわめて現代的なテーマのようにも思えた。

 松本清張は、この点においてその鬱屈から抜け出した「成功者」である。その視点から、結局抜け出すことができなかった人たちへの、深い同情、憐憫、共感とともに、ある種の恐怖として描いているように思われた。

 逆に言えば、「成功者」としての上から目線というニュアンスも含まれていなくはないのだ。

 例えば、現代であれば、こうした「何者にもなれない自分」というテーゼに対して、「何者かになれ、というメッセージは資本が子どもに対して教育を通じて絶えず洗脳しようとするイデオロギーだ」とか「何者になれなくても全然いいじゃないか。のんびり、楽しく過ごしたいな。それが人生の幸せじゃないか?」とかいったアンチテーゼを突きつけ、もとのテーゼを武装解除してしまうこともできる。つまり解毒できるのである。

 以前、近藤ようこ『遠くにありて』を評論したことがあるが、この作品は、都会での生活に憧れ、陰鬱な田舎で高校教師として一生を終えてしまう主人公の恐怖のようなものから描かれはじめている。しかし、実は田舎の現実のリアルさを次第に認識しはじめ、その中にも文化があり、自分がそこで生きていくことをやがて静かに承認し、受け入れていくという変化を辿ることになる。

 

 ところが松本清張にはそのような解毒が一切ない

 「何者にもなれない自分」ということを本気で怖がっている松本清張がそこにはいるのである。

 その一面性がすごくいい

 現代は絶えず誰かが「個性を磨け」「才能を発揮せよ」「そして何者かになれ」というメッセージを送ってくる。それはぼくをも深くとらえている。そこから逃れようとはしてきたが、なかなか逃れられない自分がいて、ぼく自身がここで描かれた人物たちの一生に深い同情と、そして恐怖をやはり感じてしまうのである。

 

 特に、各短編で主人公たちが見せる、自分の尊厳を必死で守ろうとしたり、時には意地を張ったりして、次第に排除され孤立してしまう姿は、とても他人事とは思えない。(むろん、パートナーを殴ったり、「男としてのみっともなさ」に縛られたりするジェンダーは承服できないのだが…。)

 

「青のある断層」が人気

 他にもどの短編がいいかを読書会ではみんなで出し合ったのだが、意外に「青のある断層」を面白いという人が多かった。ぼくもちょっとした小ネタとして面白がって読めた。

 絵描きの話で、まったく下手くそな青年が有名な画廊に絵を持ち込む話だ。画商(奥野)は馬鹿にして相手にしない。

奥野はにやにや笑った。それから前の位置に戻ってきて、立っている青年に気づき、ほうっておいた気の咎めで素気なく追い帰すはずみを失った。(松本清張『或る「小倉日記」伝傑作短編集(一)(新潮文庫)』p.293、Kindle 版)

 この「ほうっておいた気の咎めで素気なく追い帰すはずみを失った」という人情の機微をさらっと書いてしまうあたりが松本清張のリーダビリティだと思う。

 しかし画商は、急にその絵に見入り始める。

 青年は包んだ新聞紙をほどいて待っていた。一流の画商が見てくれるというので、興奮していた。

 奥野は気のない顔で絵に向かった。与える返事ははじめからきまっている。

 絵は風景であった。へたな絵だ。児童画のように技術を知らない画面だった。稚拙な線と色彩が交錯していた。

 奥野は、じっと絵を見つづけた。彼の眼にしだいに真剣なものが帯びてきた。

「君、どこの人?」

と、奥野は、しかし退屈な声できいた。

山口県です。日本海に向かった萩という、小さい市です」

と青年は答えた。

「どこかの美校を出たの?」

「いいえ」

「じゃ、研究所とか塾とか?」

「いいえ、半年ばかり前、東京に出てきたばかりです」

 青年の声は明かるかった。

 奥野はすわったまま、青年を見あげて、

「所属の団体があるのかね?」

ときいた。

「ありません。田舎に絵の好きな友だちがいただけです。東京では、有名な先生に見ていただく機会もないのです。実は、生活費は妻が働いてくれているんです」

 奥野はうなずいて、

「まだ、このほか、描いたのがあるの?」

「三枚、田舎から持ってきました」

「ついでの時、いつでもいいが、持ってきて見せていただけるかな」

とやっぱり気のない声で言った。

「お名前は?」

「畠中良夫といいます」

と青年は頭を下げた。(同前pp.293-294)

 

 あとは読んでのお楽しみだ。

 読書会の次回は、カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』である。