久遠まこと・玉井次郎『ソープランドでボーイをしていました』1


ソープランドでボーイをしていました 1 タイトルと表紙から想像されるものとはまったく違った。
 株のビギナーズラックで正規の職をやめ、やがて大損して食い詰めて、大震災で首がまわらなくなり、妻子を養うために、ひとり異郷の地でソープランドの住み込みのボーイとなった、50のおっさんの過酷なプロレタリア文学である。*1
 いや、本当に労働のつらさを、原則ナレーション方式でことこまかに描き、それが「ボーイ労働マニュアル」として実に懇切ていねいで、しかも、職場の男性労働者たちのすごさ、やさしさ、ダメさ、パワハラっぽさがうまく出ている。
 こんなにカタい絵柄なのに。いや、むしろ、だからこそ、男性労働者の無骨さが前景化するといえる。
 他方、風俗嬢のグラフィックの「別次元レベル」ぶりに、くらっとする。いやまあ、この手のマンガには、この種の男女異次元グラフィックは、ありがちなことで、たとえばあずまきよひこよつばと!』であってもこの男女キャラの異次元性は備わっている。


 このマンガを読むと、主人公の「職場におけるモノの言えなさ」の空気がビンビン伝わってくる。
 社会保険も、労働時間規制もない。
 採用の年齢差別は公然とおこなわれる。
 タコ部屋ともいえる厚生施設=寮への詰め込みと、不当な階層制。
 ピンハネ、罰金、パワハラが横行する。
 だけど、完全に無法な、奴隷の世界かといえばそうでもない。
 過酷な労働をたえぬけば、そしてさらにベテランになれば「それなりの」給与は見込める。
 ベテランとなりさらに店にとって不可欠な存在となれば、交渉力がうまれ、歩合の交渉もできる(客観的にみると、役割の大きさに比してクソみたいな賃上げにしかならないが)。


 賃労働として賃金が保証される側面と、個人事業主的な扱いで労働法の保護が及ばない側面が同居している。
 これは、現代の労働世界の縮図であり、典型化された形象である
 ふつうはモノがいえない、ベテランとして職場の不可欠の一部となってはじめて交渉力が生じる、という世界だ。
 この職場で「労働法を守らせる」ということの言い出しにくさは、一般の企業でそのことを言い出しにくい空気とほとほとよく似ている。
 軍隊の生活を描いた大西巨人の小説『神聖喜劇』は、軍隊を一般社会から隔絶された特殊な無法地帯として描く野間宏『真空地帯』への批判を意識している。*2
 『神聖喜劇』の主人公・東堂太郎が、軍隊内の生活マニュアルである「軍隊内務書」の

兵営生活ハ軍隊成立ノ要素ト戦時ノ要求トニ基ヅキタル特殊ノ境涯ナリト雖モ社会ノ道義ト個人ノ操守トニ至リテハ軍隊ニ在ルガ為ニ其ノ趨舎ヲ異ニスルコトナシ

を引用し、軍隊生活と一般社会が地続きであることをしばしば強調する。
 同じことだ。
 ソープランドのボーイの「モノの言えなさ」は、ぼくらの職場での「モノの言えなさ」そのものなのである。


 逆に言えば、ペーペーのボーイが「モノが言える」プロセスの援助を想像できれば、ぼくらは職場でモノが言えるようになるだろう。

*1:こう書くと文学系サヨの方々から文句を言われるが、ネタです。

*2:大西は、全然意識していないといっているが、うそだと思う。