今年は戦後80年である。
日本反核法律家協会が監修の『「原爆裁判」全資料』(かもがわ出版)が刊行される。
三淵嘉子をモデルにしたNHKドラマ「虎に翼」で有名になった「原爆裁判」の全資料が初めて活字になった貴重なものだ。

本にする作業としては、AIやOCRでも読み込めないようなクセのある手書きや薄い活字になっている膨大な裁判資料を、全て文字のデジタルデータに変換する根気のいる作業となる。これをぼくも少々お手伝いさせてもらった。
東京・大阪・併合という3つの裁判の資料を、すみずみまで繰り返し読むという作業となる。編集した松竹伸幸さんもブログで述べていたが、裁判資料の音読などは自分の裁判でさえ経験したことがないものである。
おかげで、ここで出てくる被告=国側のロジックがどういうものか、ようやく理解できた気がする。
さて、“原爆投下が日本の降伏を早め、戦争を早期終結させた”というロジックを、米国の政治家や米国民はしばしば口にする。
トランプ氏は会談の冒頭で「広島や長崎の例を使いたくないが、(イランへの攻撃は)本質的に同じことで、戦争を終結させた」と述べ、攻撃を正当化した。(読売25.6.25)
これに対して、日本政府は「論評を避ける」という態度をとっている。
林芳正官房長官は26日の記者会見で、トランプ米大統領がイラン攻撃を広島と長崎への原爆投下になぞらえ、ともに戦争を終結させたと発言したことについて「一般的に歴史的な事象に関する評価は専門家により議論されるべきものだ」と論評を避けた。(時事25.6.26)
しかし実は原爆裁判で日本政府自身がこの「原爆投下は戦争早く終わらせた」論を主張していたことが、この裁判資料を読むとよくわかる。
ぼくも資料を読みながら、これを日本政府が言うのかと驚いた。
この主張は、「被告準備書面(第四)」(1958年6月27日)の中、本書のp.94〜95に登場する。
今次大戦において広島、長崎に投下された所謂原子爆弾はその破壊力まことに巨大にして、その加害のはなはだしかつたことは、まさに有史以来のものであり、ために非戦斗員たる我が国民が原告等を含め広島市においては、十数万人、長崎市においては数万人も瞬時にして死傷せしめられたことは、まことに痛恨事とする次第ではあるが、右広島、長崎に対し相次いで原子爆弾*1の投下せられたことを直接の契機として、日本はそれ以上の抵抗をやめ、ポツダム宣言を受諾することになり、連合軍の意図する日本の無条件降伏の目的は達成せられ今次大戦は終結することになつたものであるから、原子爆弾の使用は日本の屈服を早め、戦争継続による、より以上の交戦国双方の人命殺傷を防止する結果を招来したものである。
なお、本書の巻末にある大久保賢一弁護士の解題の中でこの点への注目が促されているように、この事実自体はすでに報道もされているし、国会でもこの準備書面について質問されている。
審理の中で「原子爆弾の使用は日本の屈服を早め、戦争継続による双方の人命殺傷を防止した」とも主張した。(東京24.7.28)
(山田議員)「東京原爆裁判(いわゆる下田事件)」(昭和三十八年十二月七日東京地裁判決)において、日本政府は、「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。」(『判例時報』三五五号二十二頁、昭和三十九年)とし、「かような事情を客観的にみれば、広島長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い。」(同二十三頁)と主張したことを承知しているか。また、現在においても政府はこの考え方を継承しているか。
(安倍首相)御指摘の裁判の判決文に、被告である国の答弁の一部として、二で御指摘の引用文が含まれていることは承知している。政府としては、広島及び長崎に対する原子爆弾の投下は、極めて広い範囲にその害が及ぶ人道上極めて遺憾な事態を生じさせたものと認識している。また、政府としては、かねてから明らかにしてきたとおり、核兵器の使用は、その絶大な破壊力、殺傷力の故に、国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に合致しないと考えている。
読んでわかる通り、安倍首相(当時、第一次政権)なんとも歯切れの悪い答弁をしている。
この議論を厳しく批判できるような立場に日本政府が立つことが、トランプのような政治家の暴言を繰り返させない本当の保証になる。
裁判が提訴された1955年には核兵器禁止条約などはもちろん存在しなかったし、第1回国連総会で「原子兵器その他の大量殺戮兵器の廃絶」を決議したのは原爆投下後である戦後(1946年)になってからであった。
そういう時代に「原子爆弾は国際法上、違法である」とどうやって立証するのだろうか。その基本的なロジックをどのように組み立てたのか知ることがぼくにとって大いなる学びであった。日本国民として知っておくべき「常識」の一つと言ってもいいのではないか(つまり「常識」をぼくは55歳まで知らなかったわけだが)。
原告はどのように原爆の国際法上の違法性を主張したのか、日本政府はそれにどう抗弁したのか——誰にとっても新しい発見のある本だと思う。
*1:本では「原始爆」になっておりデジタル変換上の誤字。