この本を作るにあたって、少しだけお手伝いをした。
サブタイトルが「『日本国憲法体制』を守りたい」。
日本国憲法第9条そのものについては改憲すべきではないかという意見を持ちながら、戦後憲法が育んできた価値観全体には必要性を感じ、「日本国憲法体制」を守ろうとする筆者が、9条を守ることを一致点にする「兵庫県九条の会」に招かれて講演・対話をしたその記録である。
その対話については140ページほどしかない本書を読んでもらえばいいだろうから、ここではその中の一つの要素についてだけ思ったことをメモのようにして書いておく。
もっと言えば、日本人が戦後に培ってきた思想や価値観みたいなものはないでしょうか。私はあると思うのです。日本が今持っているもののことを考えると、確かに日本に足りないところもあるのだけれど、持っているものもある。
この問題を論じ合うと、右の議論も、左の議論も、どうしても全否定になりがちなわけです。日本はダメだと、右も左もそれぞれに言う。実際にダメな所はたくさんありますが、僕は、日本は六〇点か六五点は取っていると思うのです。いろんな国に行ってみると、日本は全然できていないと思う所もありつつ、日本の方が圧倒的に勝っている部分もあります。
と言うと「どこが?」と言われたりしますが、まず日本は…(p.65)
「今日本に点数をつけるとしたら何点ですか?」という発想は面白い。
そのときに60〜65点をつける小泉の感覚は、おそらくぼくとそうズレてはいない。昔の大学の成績(優・良・可・不可)で言えば「可」、ギリギリ及第点*1。
前に、ピケティとサンデルの対談本(『平等について、いま話したいこと』)でピケティが「わたしは平等と不平等について楽観的にとらえています」「世界じゅうに…長期的に見れば常に平等へ向かう動きがあったことを強調しています」と述べたことを紹介したけども、ピケティの近著『平等についての小さな歴史』でもその立場をまず冒頭で確認している。
人類は確実に進歩しており、平等への歩みは勝ち取ることのできるひとつの闘いだ(p.15)
「今の世界は格差と貧困で真っ暗闇だ」と全否定するのではなく、まずは人類がどのような達成をしてきたかという到達点を確認している。ここまでやってきた、この流れに確信を持とうぜ、というわけである。まさに近代人としての楽観である。
戦後は長く保守支配、自民党政治のもとにあった。
しかしだからと言って、自民党とその支持者しかいなかったわけでもなく、社会はその人たちだけで構成されていたわけでもない。そこには左翼も大きな地位を占め、保守とのたたかいや均衡の中で、革新自治体をはじめ、国・地方での日本社会を形作ってきた。
いわば戦後日本は、左派も含めた合作の結果なのである。*2
そうした左派と右派の合作である戦後社会が、全否定されるべきものであるはずがあるまい。
なにしろ左派の革命スローガン、例えば共産党のそれが「日本国憲法理念の実現」であり、右派、端的に言えば自民党はその革命スローガン(日本国憲法)のタテマエに沿った政治をしなければならなかったという、まことに珍妙な状況が戦後日本なのである。この革命スローガンは、日本社会の金看板として、保守政権のもとでも一文字たりとも書き換えられることはなかったのだ。
これは安全保障についても同断である。
特にぼくは左翼に考えてもらいたいことではあるが、戦後日本が達成してきたことを、自分たちの運動が作り出してきたという点においてとらえなおし、その「体制的価値」をきちんと再評価すべきではないか。そのことをぼくは本書から学ぶことができた。
あなたは、今の日本に点数をつけるなら何点にするだろうか。
※なお、本書のスタンス自体のユニークさは下記の小泉のインタビューを見てくれれば十分伝わるだろう。
