『オーイ! とんぼ』37

 『オーイ! とんぼ』37巻は、プロゴルファーである有働二子女(にこめ)が停滞し鳴かず飛ばずの現状を打破し、殻を破るために、これまでの自分のスタイルを崩して…というかある意味破壊・否定し、新しいスタイルを確立しようと悪戦苦闘する巻である。

 

 

 幼い時から父に躾けられて体に染み付いてきたゴルフのスイングを破壊するのは至難である。自分の否定であり、自分を形作ってきた父の否定であるから。

 

 破壊を続け、創造のプロセスを歩んでいる間は、成果が出ない。

 スポーツでもビジネスでもそうだろうが、残酷な順位となって「成果」が示されるから、周囲は騒ぐ。本人は動揺する。

 

やっぱりオレは反対だ

ゴルフが壊れちまう

ゴルフのスウィングとは完成された豪華客船みたいなもので

インディアンのカヌーみたいなものとは違うんだ

壊れた後で元に戻そうとしてももう戻らないんだ

 

 兄であるハジメは二子女の挑戦に否定的である。

 この道でいいのだろうか? いいのだ、と言い聞かせて進むしかない。なにせ途中なのだから。

 

ばってん いままでと同じやり方を続けていても

きっと同じ結果しか得られない

なにか違うことを試さなきゃ

試してダメだったら 壊れちゃったら

もうそれでいい

 

私はそれまでの選手だったんだって

そう覚悟を決めてるの

そして違うやり方っていうのが

いまの打ち方なの

お父さんが教えてくれたゴルフを

アップデートするんじゃなくて

パソコンごと新しくする覚悟なの

 

お父さんと作ってきた

骨格に肉付けするんじゃなくて

もう丸ごと取り替えるつもりなの

お父さんを捨てるつもりなの

 

 この物語はいまぼくの心を打つ。

 なぜかといえば、それは左翼組織になぞらえてこれを読んでいるからである。

 組織のあり方や政策の方向を、これまでの経験の延長ではなく、大胆に変えなければ再生産ができないのではないか、生き残れないのではないか、という二子女と同じような問題意識があるからだ。

 これまでの成功体験にすがろうという気持ち。

 改革の途上で「成果」が出ないことへの周囲の喧騒。

 これまでの方法への「否定」=侮辱として受け取られる改革。

 もちろん、これは「お話」である。比喩がそのまま政治組織の方法に当てはまるものでもない。しかし、やはりこの巻が心を揺さぶるのは、まさに今「ぼくの物語」として読まれるからなのである。