相手の雑な言い回しを心の中で噛みしめる雁須磨子の表現が好き

 先日、雁須磨子『ロジックツリー』について感想を書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 朝日新聞で南信長が同作についてレビューを書いていた。

それらを支えるのが圧倒的な会話の質と量だ。予定調和的でなく、現実の会話さながらに話が飛んだり噛み合わなかったり聞き直したり。皆まで言わぬ含みのあるセリフ回しも絶妙。

 雁の会話表現はつとに評価の高いものである。ぼくのつれあいなどは「雁須磨子の会話ってホントわかりにくよね〜」と言っている。どう考えてもdisりにしか聞こえないが、現実の会話の豊かさを削除しないために生じる「わかりにくさ」が味である、という彼女流の評価なのである。

 

 

 ぼくもまったく同意するほかないが、そのうちの一つとして、登場人物が雑な言い回しをする際に、それを聞いている別の登場人物が、そのセリフを決して口に出さずに心の中で軽く反芻するのがたまらなくおかしい。

 例えば『ロジックツリー』では下巻の211ページに主人公・螢の姉が「バクロ本」という表現をする。

f:id:kamiyakenkyujo:20210710141934p:plain

雁須磨子『ロジックツリー』下p.211、新書館

 実際には、螢の彼氏は小説家であり、螢のことをモデルに書かれた小説なので、「私小説」あたりが正しいのだが、それを雑に「バクロ本」と姉が言ってしまうわけである。一般人である姉が「私小説」というのはリアルではないし、ここは「あんたのことを書いた小説」としても物語の進行上問題はない。あえて「雑」にする必然性はどこにもないはずである。

 しかし、「バクロ本」という「雑」さにして、しかもそれを聞き手の内語で軽く反芻させることによって、例えようもないほどのおかしみが湧いてくる。あえて会話にするほど重大でもないが、完全にスルーしてしまえば、気づかれない。軽く触れるだけなのだ。そのおかしみがそのまま、リアルへと膨らんでいく。

 同じやり方は雁須磨子の他の作品でも頻繁に登場する。

 『つなぐと星座になるように』では例えばこういうコマがある。

f:id:kamiyakenkyujo:20210710142845p:plain

雁須磨子『つなぐと星座になるように』3、p.88、講談社

 無骨な男性が彼女にアクセサリーをプレゼントするために、店側に彼女のスペックを告げるシーンなのだが、男性は「女」と言ってしまう。アクセサリー店なので特に何も言わなければ女性を対象にした商品であるから徹底して不要な情報であるとも言えるし、その女性を「女」と雑に言いすてる言い回しにも「慣れてなさ」が伝わる。

 

 

 

 雑さを忍び込ませ、その雑さをもっともよい温度で目立たせ、読者に味わわせる雁のこの手法に、南のいう「(作品を)支える会話の質」の一つがある。