安倍首相が病気を理由に辞意を表明して、安倍政権は退陣することになった。
いくつかの安倍政権論、安倍首相論が出ているけども、肝心なことは、安倍政権がやっていた政治、すなわち「安倍政治」は終わったのか・続くのか、まだ全然判断できないということだ。何か安倍首相の辞任とともにそれらの政治が自動的に終了し、区切られてしまうわけではない。
自民党内での後継選びが盛んだけど、ぼくが知りたいことは、名前が挙がっている各候補が「安倍政治」の何を受け継いで、何をどう変えるのか、っていうこと。それは、野党に政権が代わるとしても同じである。
ぼくはサヨクであるから、サヨクとしてこういう政策をやってほしいというテーマ(例えば消費税の減税とか、PCR検査の拡大とか)はいくつかある。それは右派や保守派からすれば認められないものも多かろう。
しかし、個々の政策のことを、ここで言いたいわけではない。
サヨであろうがリベラルであろうが、右であろうが保守であろうが、考えなければならないのは、やっぱり「安倍政治」が壊してしまった民主政治の基礎、それをきちんと作り直すことである。それは党派を超えて、誰が政権につこうとも必ずやってほしい。サヨクが政権についたとしても、それが単に「現政権を追及する道具」であったというだけで終わらせずに、まじめに作り直してほしいのである。
それが「安倍政治」が終わったのか、それとも続いていくのか、という一番大事なメルクマールである。
「民主政治の基礎」?
森友・加計問題やその近辺で、追及をかわすために使った安倍政権の手法は、どんな国会答弁も発言も、権力拘束としての意味を無にしてしまう異常な論法だった。ぼくは当時それを「足元が崩壊する感覚」と表現した。
この「ご飯論法」を初めて森友問題で聞いたとき足元が崩壊する感覚に襲われた。「(文書の存在を)確認したか?」と聞いてんのに「(ルールを一般的に)確認した」と答弁。これじゃあ全ての審議前提が崩れるわ。 / “「朝ごはんは食べたか」→…” https://t.co/bnqglEsn5E
— 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2018年5月7日
「桜を見る会」問題に至っては、「ご飯論法」などというレベルを通り越して、あからさまな税金での買収が行われ、言い逃れができないほどに証拠が積み上がったにも関わらず、ほとんど白を黒と言いくるめるような答弁がまかり通ることになった。
そして、それだけではない。
森友・加計学園に見られる公文書改ざんというやはり民主政治の基礎をなす問題が、ほとんど解明されていない。
うーん、いや、もっと市民感覚で言ってみる。
政治家は決してわかりやすい、明示的な文書を出して改ざんさせるのではない。それっぽい政治家の仕草やサインを受けて、官僚が「忖度」をして「自発的」に改ざんするという仕組みがどのようにして起きたのか。そして現に今も起きている・起きる可能性があるのかを究明しなければならない。
ひょっとしたらそれは「台湾沖航空戦」での戦果報告のように、まことに曖昧な経路で積み上がっていくのかもしれない。それとももっと政治家による明示的なプロセスがあったのかもしれない。
他にもたくさんの「政権の私物化」問題として挙げられている腐敗はあるのだが、ここに挙げた、
については、新しい内閣がどのような形でできるにしても、調査機関を立ち上げて、真相を究明する必要がある。
ところが、これらの問題に対して「公文書をきちんと管理するルールを作れ」的な主張がある。*1裏返せば「追及をするな。制度をまともにすればそれでよし」ということなのだ。
違う。
何が問題でそうなったのかが明らかになっていないのに、ルールや制度だけをいじったって大して効力はあるまい。*2どこに穴があるかわからないのに、「穴を塞ぎました」などとは言えないではないか。今この瞬間も政治家が私物化をはかろうとし、官僚は同じようにそれを擁護するために文書を改ざんしたり、めちゃくちゃな答弁をやったりするかもしれないのだ。
「過去の不正」を暴こうという話ではないのである。
今この瞬間に飛行機の部品がイカれているかもしれないのに飛行機を飛ばすんですか? という現在進行形の切実な課題なのである。
それぞれのスキャンダラスな事件がワイドショーネタとしてのブームが過ぎ去ってしまえば、上記の話は「民主政治の基盤」というなんとも地味なテーマになってしまう。だから世論としてはなかなか沸き起こりにくいかもしれない。しかし、やらなければいけない。
それがなされないうちは(たとえ野党に政権が代わったとしても)、「安倍政治」のもっとも変えなければならない部分は続いていることになる。
具体的には、次の4つのルートだ。
- 裁判。だが、これは政権の及ぶところではない。
- 国会での追及。与野党が合意して特別委員会を作るべきである。しかしこれも政権がどうこうできるものではない。
- 国政調査権を持つ国会の調査委員会の設置。原発事故で作った国会事故調のようなやつ。これも政権が(以下同文)。
- 政権としての第三者委員会の設置。これが政権が取りうる措置としては一番重要である。
つまり、新政権は第三者機関を設置できるのかどうか、それが基準となる。
先ほども述べたとおり、これは実際にはとても地味なテーマである。
しかし、新しい自民党総裁候補、そして対案をだす野党、報道するメディアはそこがどうなっているのかをくれぐれも追いかけてほしい。繰り返すが、これは党派を超えた問題なのである。
参考
上記について似たことをすでに白井聡が書いていたが、ぼくの観点は上記の通りで、少し違っている。
*1:一例をあげれば、2019年12月23日付日経社説。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53702310T21C19A2SHF000/
*2:現時点で法律を作ったり改正したりするのは、全く意味がないわけではない。ないよりはマシであるというのはその通りかもしれない。