日高トモキチ『ダーウィンの覗き穴〔マンガ版〕―虫たちの性生活がすごいんです』

 原作はメノ・スヒルトハウゼンの同名書。*1そのマンガ版である。

 

 

ダーウィンの覗き穴:性的器官はいかに進化したか

ダーウィンの覗き穴:性的器官はいかに進化したか

 

 

 どんなマンガか試しに読んでみたい人はこちら。

https://www.hayakawabooks.com/n/nb4ed50f0c303

 

 一見するととっつきやすそうな絵柄、思わず話したくなる虫たちの極端なエピソードのオンパレードなので、気楽に読めそうに思える。

 しかし、実はしっかりしたテーマと論理があり、それをまじめに追おうとするとなかなか骨が折れる。しかも理系の研究者によくある感じの、断定をせずに、関連するエピソードを合間に入れ込んだりするので、率直に言ってわかりにくい。個々のエピソードはわかりやすいけども、問いに対する答えを追うのがとても大変だった。それはこの記事の終わりに少し書いてみる。

 

 だが、そうやって苦労しながら論理を追ってみれば、この本の冒頭にある通り、ダーウィンが提唱した「性淘汰(異性をめぐる競争を通して進化した選択のこと、もしくは雌により好まれる属性を持つ雄が選択され、進化すること)は、進化とは関係ない」という命題を批判(検証)するために書かれていることがわかる。

 しかし、こう書くと、この命題になんの興味もない人にはちっとも面白そうではない本のように思えてしまう。

 もう少し立ち入ってみる。「雄がどんな雌とでも交尾したがるのに対し、雌は受動的ではあるが相手を選択する」ということをダーウィンは広く観察された事実だとした。ベイトマンはこの「事実」の説明として「精子はコストが低く卵はコストが高いので、雌は選り好みするが、雄は相手を選ばない」というベイトマンの原理を打ち立てた。本書は、この「選り好みしようとする雌」と「それをかわそうとする雄」の競争のドラマとして読むことができる

 そして、人間から見て「極端すぎる虫たちの性生活」が、実はこのような自然の競争ドラマの共通した論理を持っており、人間もその一環であることを最終的には実感できるようになっている。つまり「極端すぎる虫たち」と「人間」の性生活はあい通じるものがあるのだと。

 

 と言っても、こうした論理を追っていくのがこの本の唯一の楽しみ方なのか、というと明らかにそうではない。

 やはり、一つは日高トモキチの絵とコマとセリフが魅力だ。キャラ名さえついていないが、スヒルトハウゼンのツッコミ役として書かれているネコミミのこの女性キャラをぼーっと見ているだけでも楽しいではないか。

 そしてもう一つは、やっぱり虫たちの「極端すぎる性生活エピソード」を羅列的に楽しむだけでも本書は十分に面白いだろう。覚えた知識を日常の会話の中で使いたくなる。

「半ゆでのイカを食べた女性が口の中で激痛を覚えたのは、イカがセメントの弾丸みたいな精子の袋を発射したからだそうで、そういう事故は時々起きてるんだってさ」

みたいな。

https://www.hayakawabooks.com/n/na2498c12b726

 

 他にも「女性がオルガスムに達しない場合は精子は膣内にあんまり残らないし、オルガスムスに達する場合はよく吸い込むんだってさ」というような知識として。……どこの日常会話で披露するんだ、そんな知識。使い方を間違えばセクハラである。まあ、会話の相手や内容が純粋にそういう自然科学バナシならね。

 

 だから、あまり構えずに、パラパラと読むだけでも本書は十分に楽しめるのではないかと思う。

 

論理を追うのが大変だった回

 さてここからは蛇足である。作者への通信のような役割しか果たさない。

 前述のとおり、論理を追うのが大変だった一例を書いておく。

 例えば第6回「秘密のクリトリス」の回だ。

 

 この回は雌たちが気に入らない雄の精子を排出する戦略以外に「さらに巧妙な戦略を用意している」と書いて、その多様な戦略を紹介していく回なのだが、なかなかその紹介が始まらない。

 「たとえば」といって「一部の齧歯類が行う二段階交尾」だというのであるが、p.64に、ウッドラット科のネズミが射精後も雄はペニスを引き抜けずに雌を引きずり回すというエピソードがすぐ書かれているけども、それは二段階交尾とは関係ない。

 その次に書いてあるシロアシマウスや他の生物が行う二段階交尾はそういう交尾があるというだけで、なぜそれが雌の戦略なのかという説明はない。

 その次にゴブリングモの二段階交尾の話が書かれるが、ここでもまだ二段階交尾が雌の戦略である理由は書かれない。それどころか、何百回・数時間も精子を出さないドライセックス(第一段階の交尾)を繰り返しているというびっくりする事実が書かれて、「なんのために?」という別の疑問がさしはさまれてしまうのである。

 ようやく次のシエラドームスパイダーの二段階交尾の説明の中で「生殖孔への刺激が最も激しく印象的だった雄のものを選んでいたのだ!」という結論らしきものが出てくる。

 しかし、そうすると、すぐに疑問が湧いてしまう。

 二段階を主体的に選択しているのは雄の方であって、雌の方じゃないのでは? 雄はさっさと射精すればいいのでは? なぜシエラドームスパイダーのようなケースが結論(「生殖孔への刺激が最も激しく印象的だった雄のものを選んでいたのだ!」)になるのか、意味不明なんだけど?

 この疑問は当然だったのだろう。p.66で「さっさと射精しちゃえばいいのでは」と疑問をネコミミに語らせている。

 しかし、これに対する答えは、“雌は複雑怪奇な生殖管を持っていて、簡単に精子は入れないのだ”というもので、ぼくなどは「えー? それは気に入った雄が射精しても障害になってしまうんじゃないの?」と思ってしまう。

 ここまでまだ二段階交尾をなぜするのかという説得的な説明が行われず、その間に入る説明に対して新しい疑問が次々湧いてきてしまうのである。

 そして、その次は、ブタの人工授精の話。これは雌は気に入ったシチュエーションでは交尾を成功させる例として出されているのだと後でわかるけど、ちょっと見ただけではなんのたとえなのかわかりにくい。

 このブタの話の後に、ジュウイチホシウリハムシの話がきて、ようやく読者である僕は「あ、雌が気に入った時だけ筋肉が弛緩して、その雄の精子を受け入れられるんだなあ」ということに気づく。

 つまり、要約すれば、二段階交尾は、雄が雌の気に入るようなテストを受けている時間であって、雌が気に入れば体に変化が起こり、雄の精子を受け入れる……ということだろうか、とやっとわかるのである。

 正直イライラしながら読み進めるのだが、そうやって結論にたどり着けば読み返した時には楽しんで読めるのである。そしてこのことは人間の前戯やオルガスムスに類推できると気づく。

 

 

 

*1:邦題。英語版タイトルは「Nature's Nether Regions」。直訳は「自然の股間」。「大自然のアソコ」とか「自然における下ネタ」とかみたいな感じ? サブタイトルは「What the Sex Lives of Bugs, Birds, and Beasts Tell Us About Evolution, Biodivers ity, and Ourselves」で「虫・鳥・獣たちの性生活は進化・生活多様性・我々自身について何を物語るか」。