石黒正数『天国大魔境』は何か大きなカタストロフがあった後の日本を描いている。これから解かれるべき謎(の一つ?)が2巻でようやく設定されたが、まだ設定全体さえ見えてこない。
だから評価もしようがないが、かと言って物語の切片、絵、セリフが楽しめないわけではない。むしろノリノリで読んでいる。
(以下少しネタバレあり)
1巻のラストで出てきて2巻の冒頭で展開される、主人公・キルコの「中身は男、外見は美少女」というのは、性同一性障害的なテーマじゃなくて、
モロ好みの女性を描いた!っていう感じですかね。
っていう石黒の証言もある通り、「中身はオタク男子、外見は美少女」的なモチーフを物語用にシリアスにしたんだろうと思った。
1巻p.106にあるように、キルコが自分の全裸を鏡で眺めながらナルシスよろしく陶酔する場面。2巻にある、
好きな女の身体を手に入れた薄暗い悦び
という独白。あたり、な。
拙著『マンガの「超」リアリズム』の「その美少女の中身はおっさん、もしくはオタク男子である」の章で論じた「欲望の対象と欲望の主体が合体」というテーマだ。
石黒が入れ込んだ造形だけあって、ぼくもキルコがアップになるシーンを舐めるように、いやらしく見ている。
(ネタバレっぽいもの終わり)
さて、ぼくがこの物語でときどきボーッと考えてしまうのは、サバイバルについてである。
例えばキルコたちが「八巣旅館」というところに泊まった時に、電池をお礼に差し出すシーンがある。旅館の主人はその電池を
こんな状態のいい電池がねえ…
ある所にはあるんだね〜
と、しげしげ眺めるのだ。何の変哲も無い単三電池であり(下図)、それが包装されていて新品同様だというほどの意味であろう。
つまりこの世界では、工業製品が一切生産されていないんだろうなと想像する。大崩壊のあった時点でストックされていた工業製品の残りを見つけては消費しているだけの世界なのだ。
単にそこからぼくの想像が脇にそれた、というだけの話だけども、こういう世界になったら、まず何を確保すべきだろうかという気持ちになった。
当然水と食料だろうけども、例えば食料は畑を作ったりすれば調達していける見通しができる。もちろん収穫までしのぐために例えば缶詰や保存食のようなものを確保してかねばならない。
水は、浄化されたものが手に入らなくなるが、煮沸や濾過でけっこういけるんじゃないかと考える。
糞尿はどう始末するのかといえば、川や海にするのがいいと思うのだが、人口がどれくらい残っているのかもにもよる。
すぐに頭に浮かんだのは医薬品のことだった。
『漂流教室』でも子どもが手術してたし……。
あれは病院や薬局から当面かき集めるにしても、あるコミュニティが存続するほどの分量が残っているかというとそうでもない。だから心もとない。
そこから、一足飛びに、「やっぱり人を集めて、工業・文明を再開するための自治政府ができるんじゃないのかなー」と思わざるを得なかった。本作に出てくる「草壁農園」というのはそういうものの走りなんだろうなと思ったりする。
今のぼくら日本人のメンタリティや震災後の実績からいえば、中央政府が崩壊しても、わりと短期間に自治的なコミュニティができあがり、それが政府のようなものを作り出していくに違いないと思った。