『“町内会”は義務ですか?』引用体験談のOさんからのメール


 拙著『“町内会”は義務ですか?』(小学館新書)を読んだ方(そしてぼくが引用している体験談を書かれた方)からのメールが届きました。

 興味深い内容であり、ご本人の許可を得て、公開させていただきます。

 突然のメールで失礼します。


 ご著書『“町内会”は義務ですか?〜コミュニティと自由の実践〜』の第2章「昔ながらの同調圧」で駄文を引用していただいた島根県のOと申します。友人が「本を読んでいたらお前の名前が出ていたのでその雑誌を買ってみた」と教えてくれて知るところとなりました。もとより、自分の書いた文章が活字(これも古風な表現で実状にあいませんが)になった時点で、このような形で引用されてしまうのは致し方ないことと考えますし、ムキになって異議申し立てなどするつもりはありません。


 ただ、「全然違うんだけどなぁ〜」という感じで一言申しあげたくなった次第です。


 この「季刊地域」は、特集が「むらのお葬式」でありましたので、編集者の要望にお応えする形で葬式を通じたつながりについてのみ書かせていただいたのですが、実際にはご指摘の「同調圧」なるものは蹴飛ばしながらこの地域で暮らしている。


 ただ、この場で求められているテーマでなかったから触れなかっただけで、この土地に住み始めた当初は、どの自治会に参加しようとしても拒まれ、どの水利組合に頼んでも水道水を分けてもらえないという状況の中で、半年間水道のない暮らしをし、それでも「うちはうちで(家の裏に広がる)西の原のキツネやタヌキを集めて自治会を作ろう」と笑いながら蹴飛ばして来た者です。そのうち「見ておられない」と声をかけてくださる方の仲介もあってメデタク自治会も水道もやって来た(こういうのを村入りと言うものか・・・)。


 自治会に入ったとたん、順番だからと、お手並み拝見と言わんばかりに自治会の役員をやらされ、最初に出て行った役員会で目にした予算・決算書にある「神社費」の項目に食い付いて、こんなモンが本会計に入っているのはおかしいと憲法まで引き合いに出してクレームを付け、居合わせた司法書士を業とする役員に「言われてみればそうだ」との「同調」意見を得て、以後神社関連の会計は全く切り離す、その数年後にはその神社から届く「お伊勢さんのお札」も「うちは浄土真宗ですから」とお断りし、やがて地域の中で「無理に受け取ることはないもの」である空気を作りあげてきた。地域で公害問題が生じれば真っ先に抗議文を作って行政に突き付けて企業を入らせない。そういうことを続けたうえでの「いいものだ」という感慨なのです。


 紙屋さんのおっしゃる「同調圧」など屁でもないと思っています。だからこそ、35年住んだ今でも「よそ者」であり続けているのです。それでけっこう。「よそ者」が田舎で暮らす心得として夫婦で確認していたことがあります。100パーセント受け入れてもらおうなどと最初から望まない。だからと言って対抗・対立の関係にもならない。「よそ者の割にそこそこやっている」という関係で充分という態度でいこう、と。


 まあ、どこかのらりくらりしているようで、言うことだけは言わせていただく。守るべきところは守る。
 それでも、「いいものだ」と思えるのが、私にとっての地域なのです。
 そこんとこわかってちょうだいよ、というのが私の正直な感想です。


 地域を相手に少々の「実践」をしたところで、後ろから撃たれることはありません(これまではありませんでした)。
 以上、ほんの少し鼻で笑われているような感覚を味わいましたので、自分の中で「スーッとしたい」だけの理由で申しあげました。

 ぼくは『“町内会”は義務ですか?』のなかで同調圧力おそるべしというニュアンスで書いたので、この方もまるでこうした圧力を恐れているかのような印象を与えてしまったのですが、当人としては「屁でもない」、それなりに覚悟と処し方があるのだ、ということです。