土山しげる追悼


 土山しげるが亡くなった。68歳だそうである。

土山しげるが68歳で死去「喰いしん坊!」「極道めし」などで活躍 - コミックナタリー


FRIDAY DYNAMITE (フライデーダイナマイト) 2013年 3/14号 [雑誌] 土山しげるについては以前「FRIDAY Dynamaite」誌(講談社)の2013年3月14日増刊号でその魅力を語らせてもらったことがある。
 下記は、その雑誌記事にあわせて書いたブログのエントリだ。

土山しげるを語る - 紙屋研究所

 上記のブログ記事では書き漏らしたことを以下に少し書いておく。

飯粒・ご飯粒の散らし具合が最高

 雑誌の記事の方では、ぼくはまず土山作品について魅力を解説する難しさを語っている。内容が奇抜すぎるものが多いからだ。「『おいしいメニューを追求する料理人の話』なんて単純なモノはひとつもない」(同誌記事)。
 設定が狂気じみている上に、さらにその中での一筋縄ではないマンガとしての魅力を取り出そうとすると、

  • 「OKFF(大阪食い倒れフードファイター)の邪道食いは反則だけど一見の価値あり」
  • 「この作品はある意味で落語だね。登場人物の話芸がいいんだ」

などとなってしまい、一体どんなマンガなのかさっぱりわからなくなってしまうのである。

 
 設定が一言で言えば「トンデモ」になっているのであるが、にもかかわらずエンターテイメントに仕上げられている。そして、一番重要なことは、どんなにめちゃくちゃな展開でも、とにかくおいしそうに食べるシーンがあること。


 ぼくの場合、土山流「グルメ」マンガ=「飯漫(メシマン)」のグラフィック上の最大のツボは、飯粒・ご飯粒の散らし具合。あれは本当にうまそうで、読んでいると丼物が食べたくなることは必定である。

土山のインタビューを読む

 この雑誌の号では土山のインタビューが載っていてなかなか貴重である。
 例えば、土山流「飯漫」を描く前は他のそういうマンガは読んでいたのか、という問いに「いや、全然(笑)」と答えている。それまではアクションものやヤクザものばかり書いていた。ただ、「食べるシーンの絵に力がこもっている」と評されていた、と土山自身が語っている。
 それが「飯漫」を描くきっかけになったのは次のエピソードだった。

「じつは『喧嘩ラーメン』を描く前に、過労で倒れて3週間ぐらい入院したんですよ。病院って患者が集まる憩いのスペースがありますよね。そこで他の患者たちの会話を聞いていると、食いものの話ばっかりなんですよ。『退院したら、まずはラーメンが食いたい』とか。それで退院後に『漫画ゴラク』の編集部から何か描いてくれって話があったときに、『だったらラーメンですよ!』と。ラーメン屋にはよく『ゴラク』が置いてあるし、こりゃピッタリだなって(笑)」(「FRIDAY Dynamaite」、講談社、2013年3月14日増刊号、p.96)

 これ、『極道めし』の原型じゃん……。
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 同インタビューでは、土山は『極道めし』が映画「網走番外地」での囚人たちの「犯罪自慢」をモデルにしたと言っているが、この「犯罪自慢」と病院体験での「語る食」を組み合わせたのが、『極道めし』ではなかろうか。
 土山流「飯漫」の走りとなった『喧嘩ラーメン』の取材は家の近所のラーメン屋1軒だけだったという。インタビュアーが「ずいぶん近場で済ませましたね」と笑っている。厨房の中などを見せてもらったらしい。


 土山が語るこだわりは擬音。「モグモグ」くらいしかなかった当時の食のシーンを変えることに挑んだ。「僕のこだわりのポイント」(土山)。

「……あと、口元を描く人もいなかったなぁ。みんな、食べ終わったあとの絵ばっかりで」(前掲p.97)

「実際に自分が食べたものしか描かないことですね。しかも、描くために取材して食べるんじゃなくて、子どものころから食べたくて食べてきたものを描く。そうでなければ読者には伝わってなかったと思いますね」(同前)

 描かれる料理が、ほぼ大衆的な料理オンリーである理由はここから生じている。

 関川夏央は『美味しんぼ』をグルメマンガの代表格として扱い次のように批判した。

感嘆符の氾濫と吃音に作者の苦心のあとがしのばれて微笑を誘うが、食べものの味と性交感覚の形容は誰が書いても同じものになるのが残念ながらことわりで、この努力もやはり報われることは少ないと思われる。(関川『知識的大衆諸君、これもマンガだ』文春文庫、p.119)

 続けて関川は嵐山光三郎の次の原則を紹介する。

  1. 人間は食べなれたものが一番うまい。
  2. 過度のご馳走は悦楽ではなく恐怖である。

 土山はこうした関川の批判を見事に乗り越えた。嵐山の第一原則に則りつつ、第二原則に真っ向から抵触するフードファイトという無謀なジャンルを使ってこれを塗り替えてしまったのである。「大飯食らい競争」などという聞いただけで気持ち悪くなるはずの絵面を使いながら、なおかつ、うまそうに感じさせるなどというのは常人のなせる境地ではない。


 68歳の死はやはり早いと惜しまれてならない。