ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』


 「社会主義」国であった東ドイツに、モザンビークから大量の移民が来ていたという事実をぼくは知らなかった。
 モザンビークはアフリカの南東にある国だが、1970年代にマルクス主義をかかげるモザンビーク解放戦線(フレリモ)がポルトガルからの独立戦争を戦いながら政権を握った。
 東ドイツモザンビークは、いわば「社会主義兄弟国」となったわけだが、労働力不足に悩む東ドイツは協定を結んでモザンビークからの移民を受け入れた。将来のエリートになれる教育の機会が約束されたはずだが、実際にはドイツ人がいやがる仕事を、職業選択の自由もなくやらされ、給料の60%は天引きされ、それがどこに行ってしまったのか未だにわからないとされている。
マッドジャーマンズ  ドイツ移民物語 本書ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』(山口侑紀訳、花伝社)は、協定以後、東ドイツに移った3人のモザンビーク人の人生を描いている。実話そのものではなく、取材から得た事実をもとに典型として描き出されたフィクションである。
 生真面目で勤勉なジョゼ、陽気でややいい加減なバジリオ、最終的に医者となったアナベラ。

 日本のマンガになれた人たちには、絵に抵抗を覚えるかもしれない。
 『チャイニーズ・ライフ』を手に取った時も、『ベルリン 分断された都市』を読んだ時も、『パレスチナ』を見た時も、日本のマンガ作法との違いに、最初は違和感を抱くのだが、事実の持つ「興味深さ」の前に、たちまち引き込まれていってしまう。本作もまさにそれだ。

 一番衝撃的なのは、アナベラがモザンビークに残してきた家族たちのことが綴られた手紙を読むくだりである。
 アナベラの受けた衝撃を、日本風のコミックではなく、「絵画」を連続させるような手法で描出する。
 ここはおそらくこの作品のクライマックスともいうべき箇所で、「絵画」をちりばめて日常を表現する手法が一つの頂点を迎える瞬間である。


一見「いい加減」のように見えるバジリオ

 他方で、生き方として一番心に残ったのは、一見「いい加減」のように見えるバジリオだった。
 彼はオシャレにも敏感で、しかし女性にだらしないのだが、モザンビークに戻って来て強制貯蓄されていたはずの60%の給与が影も形もなくなっていることに怒り、現在に至るまで毎週水曜日、モザンビーク政府に対し金を返すよう仲間たちとデモをかけているのである。

金が戻ってくるまで、
水曜日のデモに参加しつづける。
オレたちはあらゆる面で利用され、
だまされてきた。
不正義や悪から目をそらして
何も言わなければ――
こっちがやられちまう!
オレはたたかい続けるぜ……!

 彼は単に不正を正すためにやっているのではない。
 いつか政府から金を返してもらったら、運転免許証をとって、運転手としてドイツの会社で働こうと思っているのだ。
 自分の夢(欲望)と社会的不正追及と個人の尊厳の回復を一体にして闘いをつづけること、それもいつ果てるともしれない中でそれをつづけることほど困難なものはない。それなのに、バジリオはたたかいつづけるのである。


 そんなふうにたたかいつづける人を畏敬の念で見ずにはいられない。
 例えば日本でも「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」という団体があって、治安維持法で弾圧されたことに対して国家賠償をもうずっと長いこと請求し続けている。


 そういう人たちの、気の遠くなるような地道なとりくみこそが、世の中を変えるのではないかと思う。
 世の中の当座の派手な動きではなく、闘争の中に人生の重さを籠められていることを本作で知ることができる。


 本作は、谷口ジローも『遥かな町へ』で受賞した「マックス&モーリッツ賞」における、2016年最優秀ドイツ語コミック賞を受賞している。